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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」〜自信を育て、幸せに導く小さな習慣〜
PHP研究所 価格:1,100円

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(182)自家発電型エネルギーチャージで 乗り切るそれぞれの時代

↑↑↑コチラから音声朗読でお聴き頂けます↑↑↑

コロナ禍の渦中から10年後の様子を描い
た小説を読みました。
本のタイトルは「私たちの世代は」です。
著者は大阪生まれの瀬尾まいこさん(50)です。

コロナについては、完全に終息したとは言
えない現在、将来への影響に懸念を持ちつ
つ読み進めました。

読みながら、
私たちは好むと好まざるとに関わらず、時
代の影響を受けているとつくづく感じました。
そんな中で生きる私たちが、少しでも心強く
感じられる考え方はないものか?...と、
今月はこの視点からつぶやきます。

小説の内容は、
当時小学3年生だった女子が就活に向かう
頃までのストーリーです。
登校が始まっても友人たちと自由に交流で
きない様子や、親子関係のストレスなど、
心の機微が綴られていました。

将来、コロナを経験した子どもたちが何と
呼ばれるようになるのか?

コロナ世代?
マスク世代?

わからないけれど、マスクやソーシャルデ
ィスタンスを強いられたからこそ生まれた
傾向が取り沙汰されるのだと思います。

バブル世代や
ゆとり世代という表現も
望まず受けた影響が凝縮されたものです。

ただ、振り返ってみるとコロナに限らず、
何の前触れもなく私たちの生活が変わるこ
とはそんなに珍しいことではありません。


小説の中では、
ホームステイ期間中、主人公はクラスメイ
トである一人の男子が満足な食事にありつ
けないことを知ります。彼女は、母の提案
(というか優しいお節介)でその男子に毎
日パンを届けるようになりました。そのこ
とで、自分と同年代の子の生活苦を知った
り、そういう行動に出た母の優しさを感じ
たりしました。

また、一斉登校がスタートする日、彼女は
母とのトラブルをキッカケに不登校になり
ました。

彼女は引きこもり生活の中、コロナを機に
ネット上で知り合った同学年の女子や、パ
ンを持っていった男子との心の支え合いを
経て、ティーンエイジャーへと成長してい
きます。

これらを含め、彼女の学生生活にはコロナ
がなければ、経験しなかったことがたくさ
んありました。

そして、
紆余曲折の後に彼女は、子どもと触れ合う
職に就き、自らの経験を活かします。

ストーリーは、ハッピーエンドの感もあり
ますが、コロナが無ければ無かったで、
他の展開が広がっていたはずです。

私たちの人生は「8割の偶然によって左右
される」と言われる通り、計画通りに進ま
ないことの方が多いです。

目標を持ち、計画を立てるのは大切だとわ
かりながらも、自分の意図に関係なく降り
掛かる出来事によって、良くも悪くも将来
は変わります。

改めてこのことを意識すると
「いったい、何を軸に歩めばいいのか?」
なんて思いに駆られます。

時代を揺るがす非常事態に限らず
風邪一つ引いただけでも、発熱すれば日常
の生活はガラッと変わるわけです。

また、
人生スパンで言えば、
失業、病気、家族の死、その他にも、地面
ごと揺れ動き、手も足もでない状態に襲わ
れることもあります。

それなら、思い通りにならない未来を心配
するより、それを目の前にした時の身の処
し方や、考え方を工夫できる自分になって
おくことの方が賢明ではないかと思うのです。

災難が降りかかって来た時の
身の処し方や考え方?

そこで、思い浮かんだのが
「創造の病」という視点です。

これは、カナダの精神科医・エレンベルガ
ーが提唱したもので、病を機に人生を好転
させた実在の人物たちの歩みから見出され
た考え方です。

災いの渦中に居る時こそ、将来への良い兆
しを先取りして、後の幸いを思い浮かべて
みよう…

そうしてそれを気分の変化につなげ、次の
一歩を踏み出すエネルギーへ向けよう…と
示唆したのが「創造の病」という考え方です。

でも、
「そんなこと言ったって
気分が変わったところで、目の前のことは
変わらないじゃないの。それに良い結果に
なるとも限らないし」
….と、そんな思いも湧いて来ます。

しかし
「今ここ(目の前)」の気分に変化が起こ
ることで、そこからの行動が何かしら変わ
ってきます。

私たちは、幸いした現在を振り返るのは、
災難から時間が経過した後であることが
多いように思います。

だからこそ、
頭を抱えたくなるようなことが起きた時こ
そただ落ち込むのでなく、正にその時、第
三の発想ができる自家発電型のエネルギー
チャージの方法を携えておく。

人生での落ち込みはさまざまです。

例えば
・穴があれば入りたくなるような失敗
・信頼していた人からの裏切り
・大事なタイミングを逸する
…などです。

それに加えて、
光が見えて来ないことで孤独になり、不運
がずっと続くように感じられることもあります。

そんな時、
自分で自分を快復させる術を持っていると
どうでしょう?

それを拠り所に足元を照らし歩き出せるよ
うな気がしませんか?

ただ、そうは言っても、
大変な事態にいきなりこの視点を持つのは
難しいです。

そこで、
日々のチョッとしたミスやトラブルに、こ
の考え方を試してみる。

・忘れ物をした時
≫もっと重要なモノを忘れないようにする警告(だったの)かも
・スマホが故障した時
≫良いタイミングで修理するチャンスが来たのかも
・電車に乗り遅れた時
≫予定通りの電車に乗っていたら良くないことが起きたかも
….など

「どうしてこうなるのよ!」と悔いが湧く
時こそ、たとえコジつけであっても、いい
感じで心の折り合いをつけられるようにク
セづけておく。

もちろん
周囲との支え合いで乗り越えるのも大切で
すが、肩代わりしてもらえない精神的負担
を負った時、頭を切り替える柔軟さは心強
い杖になってくれます。

体力アップにジム通いも必要ですが、いざ
という時のためにも、タフでしなやかなメ
ンタルづくりに心の筋力アップも習慣にし
ておきたいです。

それでは、
今後いつか、あなたに起きるかもしれない
「どうしてこうなるのよ!」と後悔したくな
る場面で、この視点を思い出してもらえると
嬉しいです。

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posted by: リボーン | 人生 | 12:02 | - | - |-
(181)「不安」が「安定感」へと変わる理由


↑↑↑↑↑↑↑

こちらから朗読でお聴き頂けます。


 

「今後の生活はどうなるの?」
「両親の介護はどうしよう?」

「災害の時はどうしたらいいの?」

今年は特に、年頭から心痛めるニュースで不安が高まった人も多かったと思います。


何か心配事が起きた時、
あなたの心はどんなふうになりますか?

不安で心の揺れは大きくなる方ですか?
それとも
揺らぎは少なく落ち着いて居られる方ですか?

もちろん、心配事によって受け止め方は違

ってくるでしょう。

しかし、

近年特に先行き不安が高まる中、全く不安

がない…という人は少ないと思います。

そんな中でも、ことの大小・経済力の違い

等を越え、適度に平穏を保ち、安定感のあ

る人って居ますよね。

そういう姿勢は、生きていく上で何より心

強い味方です。できるなら、身につけておきたいです。

そこで今月は、
平穏な気持ちを保てる理由と、その実践について考えます。

━━━━━━
そもそも
不安は、まだ起きていない先のことに対し
て「・・になったらどうしよう」という怖れ
から来るものです。

そして、その怖れへの対処が思いつかない
時や、対処法はあるものの、自分には到底
対応できない…とお手上げの気持ちが不安
をかき立てるわけです。

そういう時に支えになるのが
「何とかなる!何とかする!」という姿勢です。

これが心の状態を左右することはわかります。
ただこれは、実際の局面で対処可能…という
より、そういう意識を持てるかどうかの問題です。

では、
「何とかなる」という心境はどこから生まれるのでしょうか?

ちょっとしたことに「何とかなる」と思えるのは当然です。

でもここで言うのは、「必ず解決する」と
いう確信ではなく、「何とかなるんじゃな
いかなぁ」というような「不確かな何か」
を信じる何となくの感覚のことです。

この「何となく」というのがポイントです。
これは、日々積み重ねる態度によって自然
に生み出され、「大丈夫だ」という安心感
となり湧き上がるようです。

日々積み重ねる態度?

それは、
その人が自然に行なっている、ある習慣のことです。

その習慣というのは、誰かが困っている時
や大変な事態に対し「支えたい」という思
いを持って、それを行動に移すことです。

そのような習慣を持つ人は、その人自身が
日頃から誰かを支える気持ちで人と接して
います。そのため「困った時は支えが得ら
れる」と見えない繋がりを感じやすいのです。

ここでちょっと
その根拠になる心の仕組みをお伝えします。
私たちの思いや行動は、鏡で反射されるよ
うに、周囲から返って来るという錯覚が起こります。

自分が腹が立っていると、相手も腹を立て
ていると思いやすい。もちろん、いつもで
はないですが、こんな感じです。

つまり、周囲の状況や相手の態度が問題な
のではなく、自分が相手に向けた思いが、
相手からも自分に向けられていると感じる
ことによって起こる影響は大きいということです。

学生時代にこんなことがありました。
サークルでのことです。

役員を決める時に、私はA子さんを推薦しました。
でも、
彼女は「失敗すると怒られるから無理」
だと辞退しました。

私は「え!誰に怒られるの?」とたずねる
と彼女は「みんなに」と言うのです。

メンバーの中に彼女へ怒りをぶつける人な
ど居ませんでした。

その後、A子さんの言動からわかったこと
がありました。
それは、口には出さないものの、彼女は人
を評価することが多く、怒りを感じしんど
くなっていたようです。

他人に厳しく評価をつける人は、自分も周
囲の評価に晒されていると感じ、人前で緊
張度が高くなり、彼女のような思いを抱き
がちです。

また、
他人の言葉の裏読みをする人は、相手から
も裏読みされているという思い込みから、
本音を言えず人間関係も困難になりがちです。

逆に、
相手の言葉を素直に受け取る人は、自分の
思いも適度に伝えやすく、人間関係に悩み
も少ないようです。

このように
自分の思考や姿勢は、関わる相手や環境を
通して受け取ります。そうして、それが気
分のアップダウンへとつながるわけです。

これらのことから
日々の思いや行いが自分を助ける副産物に
なることもあれば、自分を追い詰める副作
用になることもあるということです。

「大丈夫だ」と感じられる支えや安心を望
むなら誰かを支える気持ちで、それを実行に移す。

それが、
「何とかなる」という繋がりを感じさせ、
大らかな気持ちから安心感に変わる。

安定感のある人たちは、このようなことを
意図せず行うことで、安心という副産物を
得ているのでしょうね。

誰かを支えたいという思いや行いが、結局
は自分を支え安心感に繋がる。

それなら、必要以上に未来を心配し、不安
を重ねなくても良いのではないか。

さらに思うのは、
既に懇意な人への振る舞いより、知らな
い人、顔の見えない相手への振る舞いが鍵
を握っているようです。

たとえば、
お店のスタッフさんへの挨拶
電車内で席を譲る心遣い
道に迷っている人への声かけ
寄付・寄贈での支援
…などです。

なぜなら、懇意な人への気遣いや支えは、
何かの形で返ってくることがある一方、知
らない人からは見返りを期待できません。

見返りを期待せず、支える態度を習慣にす
るからこそ、見えない何かによる守られた
感覚が、鏡で反射されたように返ってくる
のではないか?という思いにたどり着きま
した。

もちろん、これが全ての不安解消になると
は思いません

ただ、
自分の思いや行いが見えない感覚となって
返って来るというのは、私の中ではかなり
腑に落とせました

日頃の心がけで不安がコントロールできる
なら、今後の意識次第で安定感も増してい
くと期待できます。

とは言いながら、まだまだ安定感に達しな
い私は、新年初のメルマガ配信を機に、日
々の心がけを見直そうと思います。

さて、
あたなはどんな思いを持って2024年をス
タートされたでしょうか?

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posted by: リボーン | 人生 | 15:42 | - | - |-
(179)自分の頭で考えていますか?_

「自分の頭で考えてますか?」って…?

そんなこと言われなくても毎日いろんなこと
を考えてますけど…と言い返したくなるかも
しれません。

ただ、近年よく耳にしますよね、
「自分の頭で考えてる?」
というこのフレーズ。

難しい単語が混じっているわけでもないのに
実のところ、何を問いかけられているのか?
わからなかったりします。

そこで今月は
「自分の頭で考える」とは何を意味するのか?
そして、
それは何のために必要なのかについてつぶやきます。

さて、
そもそも
「自分の頭で考える」って、理解しているよ
うで、具体的に実行できているのか?とたず
ねられると…どうでしょうか?疑わしい気もします。

わからないことがあれば、ネット検索で大抵
が解決する今、考えることの本質にも変化が
出て来ました。

今回取り挙げた「自分の頭で考える」という行為
それは
「正解のない問題について考え巡らすこと」です。

こんなふうに言葉にすることでやっと意識が
高まる感じでしょうか…。

答えのない問題を他人任せにせず、しっかり
向き合うことが本当の意味での「自分の頭で
考える」ということなのですね。

働き方、人とのつながり方、住まい方などを
はじめとして、ネット検索では参考にするこ
とはあったとしても、最終解決に至らない問
題は多くあります。
人生のステージ、それぞれの段階で


例えば
・どの学校を受験するのか?
・就職するのか、起業するのか?
・結婚するのか、独身を通すのか?
・出産するか、夫婦だけで過ごすのか?
・離婚するか、続けるのか?
・親の介護は自宅か、施設か?
など、更に細々したことがたくさんあります。

インターネットが普及して以降、益々、過去
大勢の人が辿ってきた人生をモデルにするの
は難しくなりました。考える材料を探すこと
ができるようになった今、考えてるフリは通
らなくなったとも言えます。

多様性という言葉が絵空事でなく、実感を伴
い迫って来る感じです。

そんな中、
私自身、果たして自分の頭で考えて来たのだ
ろうか?と自信が持てなくなることがありました。


そのキッカケになったのが、最近読んだ本の
中で出会った「ショック・ドクトリン 」という
ワードです。

ショック・ドクトリンというのは
惨事が起きた後、人々がショック状態に陥
り、思考停止になっている間に、それに漬け
込んで、利益を得る誰かが進める方向に舵を
切る政策手法のことを言います。まるで火事
場泥棒のようですよね。

今回のコロナ禍でも似たようなことがあった
と思います。それは、あり得ないほどの急ピ
ッチで進められたワクチン接種やソーシャル
ディスタンスと言いながら、電車内ではスグ
隣に人が座っていたこともその一例です。

あなたは、
この状況を不思議に思いませんでしたか?

時短営業の中、閉店間際の飲食店内が混雑
する様子に違和感を覚えながら、私は自分
の頭で考えることをスルーしていたことに
気づきました。

要するに、
違和感を持ちながらも多数派に扇動され、確
かな情報を探さず、流れに甘んじていたわけ
です。正に思考停止に似た状態でした。

今になって、これらの矛盾を指摘した当時の
発信を見つけ、情けない思いに駆られます。

またレベルの違う話ではありますが、
以前、「FIRE」という言葉が流行った時期が
ありました。
これは、経済的自由を手に入れ、早期リタイ
ヤすることを意味するワードです。労働に縛
られず人生を謳歌できるなんて、どんなにい
いだろう…と憧れた人は多いと思います。

確かに、しっかり目的を持って目指すFIRE
は意義のあることだと思います。しかし、こ
れといった目的を持たず、時間が与えられて
も、人生の幸福度の点から見ると本当に幸せ
かどうか疑わしいものです。それに気づく人
が増えたからなのか、最近めっきり耳にしな
くなりました。

流行り物に色めき立ち、自分の頭で考えず、
反応することの危うさが一層増してきました。

そう思うと、
ネット検索のようにすぐさま正解に辿り着け
なくても、自分なりの道筋で問題に向き合い
その時々にふさわしい道が見つけられるとしたら…?

とりあえず、他人との比較で心わずらわせる
土俵からは降りられるのではないでしょうか?

生きていく術として何が大切かを振り返る時、

・資産を増やすことに執着し、
心休まらない生活を続けるのか?

・足るを知る生活を意識し、
心豊かな暮らしを目指すのか?

生きる姿勢についての選択に目を向けられると
出来合いの居場所ではなく
心地良い自分なりの居場所が創り出せるので
は?という期待も湧いてきます。

そのためにも、
せわしない歩みを少し休めて、自分の
頭で考えてみる。

考え巡らせたその先を意識できると、言動に
も変化が表れるでしょう。

そうすると、そこで何が起こるのか?

それは、
そんな自分にフィットする繋がりが展開する
ということです。

言動の端々に自分の意志が反映され、そこに
共感する人との交流が生まれるからです。

多様性が当たり前になりつつある今、
また、
性善説を信じてばかりは居られなくなった今
だからこそ、「正解のない問題を考える力」
を磨いていきたいです。

そして
それは何のためかというと
「自己選択、自己決定」にたどりつくために
あるのだと思います。

多数派がうなずく一般的な解答ではなく
まずは、自分の最適解を見つける。

その結果、
誰かが作った大きな流れに乗るのではなく、
自分で考え、自らの意志で生きていくことに
つながるのかな...と思います。


ここまで読んで下さった方へ
私からの問いかけです。

「あなたは、今日
自分の頭で考えたことを思い出せますか?」

堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法

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posted by: リボーン | 人生 | 19:43 | - | - |-
(178)人生の風景を変える楽しみの入り口

下記内容をリボーンが朗読しています。

こちらからお聴き頂けます≫  リボーンの朗読

 

「早いなぁ、あっという間にお正月かぁ」
と、ちらほらこのフレーズが聞かれる
時季になりました。

雑務に追われながら、過ぎ行く日々を惜しん
でいる様子が伝わって来ます。

ただこれは大人の話で、子どもからは聞かれ
ないですよね。

では、
こんなふうに時の流れを速く感じるようにな
るのはいつからなのか?

誰にとっても、時間を巻き戻すことは不可能
だけど、時の流れの感覚に変化を起こすこと
はできないものだろうか?

そこで今月は、大人と子どもの時間の進み方
を比較して、その結果から人生の風景を変え
る試みをつぶやきます。


そのためにも、まず、
今自分が人生のどの地点に居るのかについて
確認しておきます。

人生を振り返るには、一生をいくつかに分け
る視点がありますが、今回は、サクッと「春
夏秋冬」4つに分けてみます。

まず、
  0〜20歳まで(学童期・青年期)を春
20〜40歳(成人期)を夏
40〜60歳(壮年期)を秋
60歳以降(老年期)は冬と考えます。

まあ、年齢の区切り方、定義はいろいろある
と思いますが、ココではザッとこんな感じに
しておきます。

改めて振り返ると、
冬の時季が迫る私は、背筋が伸びる思いがし
ます。

あなたは、今、
「春夏秋冬」
どの季節を歩んでいらっしゃるでしょう?

ここでは、
秋冬の時季にフォーカスして話を進めます。

「もう年末かぁ」…と時の流れを早く感じる
大人と、そうでもない若者。
同じ人間でありながら、時間の体感速度が違
う。このことについて、私たち大人は体験済
みですよね。

これは、年齢を重ねるほど、時計で計る実際
の時間より、心理的時間の進み方が遅くなる
ため、時の流れを早く感じるわけです。

一方、子ども時代の体感速度はゆっくりなの
はなぜなのか?

これは、経験の少ない子どもは、一つ一つの
出来事を新鮮に感じ、刺激の多い日々を送っ
ているということが挙げられるそうです。

それなら私たち大人は、年齢と共に時間の体
感速度は速まるばかりなのでしょうか?

いえいえ
そんなのはイヤですよね。

人生100年時代などと言われても、アッ!と
いう間に過ぎ去る実り少ない長寿時代なんて
迎えたくないですから…。

では、
どうすればいいのか?

そのヒントは、
既にここまで書いた中にあります。

それは
大人と子どもの違いのところでお伝えした
「一つ一つの出来事を新鮮に感じる子ども
の体感速度はゆっくりだ」という部分です。

これは、
同じことを繰り返す生活に脳が慣れると、そ
れらは記憶に残りにくく、時間を短く感じさせる、

片や、
興味を持って取り組んだ経験には刺激や思い
出が詰め込まれ、時間が長く感じられるとい
うことです。

刺激?
思い出?

「忙しいのに、そんなことを考えるのは面
倒」という気分になりましたか?

そうおっしゃる方は、
人生の時間にまだ余裕があるのかもしれません。

というのも
年齢によっては、今までの5年とこれから5
年先の状態に激変が予想される方は「面倒
だ」と後回しにする時間もないと思うからです。

子どもの成長
自分の老い
親の終末

子どもは自立して行くから良しとしても、
自分は冬の入り口に、
そして親は既に冬の時季に居るわけです。

もちろん、
刺激に欠ける予定であっても毎日繰り返され
るからこそ、成り立つ日々だとも思います。

ただ、
それだけで埋め尽くされる日々だと、
アッという間に過ぎ去る感覚はいっそう加速
するようです。

リハーサルのない私たちの人生は、毎日が本
番なわけで、私を含め秋後半から冬の季節を
歩む人たちは、何事も後回しが難しくなります。

体力的に動きづらいと言われる年齢に入るま
では、楽しめる日々を自ら開拓しながら生き
て行きたい。

そうして、その後に
開拓した時に蒔いたものを収穫しながら、二
度目の楽しみを味わう。そんな流れを創るこ
とができればいいなぁと思います。

「楽しめる日々?何それ?」
という声もきこえてきそうですね。

それには私も同感で
歳を重ねると、目新しいことを見つけても、
それについて行く気力が湧かない、また、い
ちいち反応しないことで自分を保っている現
状もあります。

しかし、
だからと言って消化試合的な時間の過ごし方
はしたくない。
そのため、残り時間を楽しみながら歩むにも
体力や気力、時間など、減りつつある中での
せめぎ合いになります。

それでも、私たちが命の期限を意識するの
は、自然災害や戦争など、衝撃的な事実を目
にした時ぐらい。ひとたび、それらのニュー
スから離れると、また今日に続く明日が来る
と漠然と意識を広げてしまいがちです。

そうして、
「また、いつか…」と先延ばしにしたその
「いつか」は二度と訪れることはなく、後悔
となって思い出される。

人生スパンで言うそんな後悔は、多くの人に
とって

【やってみようか迷った思いを
行動に移さなかったこと】

が浮かぶのではないでしょうか?

「あの時〇〇していたらよかった」という後
悔を「あんなことしても、どうせ時間のムダ
だった」という言い訳でやり過ごしたこと
は、結局動きが取れなくなってから、大きな
無念さとなって胸に迫るように思います。

行動といっても、
そんな大そうなことを言いたいわけではあり
ません。

例えば
・話の中で誰かが口走った本のタイトル、
・ネット動画で目に飛び込んできた風景、
・いつも通る道に掛かる新しいお店の看板
…など

ピン!と来たことをスルーしない!
興味を持ったことは、やってみる!
…など、その程度の話です。

ただ、変化に抗う私たち大人は言い訳をしがちです。
「一般的には…」とか
「普通この歳になれば…」とか
「時間やお金のことを考えると…」などと
行動を遮るための否定的なフレーズが頭に浮
かぶのですね。

確かに、
理性を働かせるとムダに思えて来ることもあ
るでしょう。
…というか
その方が多いかもしれません。

楽しみへの入り口は、日常のそこここに在る
はずなのに、行動を起こさず、いつの間にか
忘れてしまう。

残念ですね。

特に気持ちを向けなくても、日々が成り立つ
ものの中にこそ楽しみが隠れているように思
います。

フッと頭に浮かんだアイデア、
チョッと気になったフレーズがあれば、面倒
がらずに検索してみる。

こんなことでも後回しにしないクセがつく
と、その後の行動は変わります。

小さな入り口も、後から振り返ると人生を動
かす大きな分岐点になっていることがあります。

人との出会いもその一つです。

そして最後に付け加えるとすれば、出会いだ
けでなく、別れもその一つだと感じるように
なりました。それは、出口が入り口に繋がる
こともあるという意味です。

交流の先に展望が見えなかったり、不誠実だ
と感じる人や組織、グループなどからは、思
い切って離れる。
惰性でダラダラ関わっている時間や、そのた
めに費やす心身のエネルギー消費を意識でき
ると、自ずと答えは出て来ます。

もしあなたが今
「人生の風景、ここのところ変わっていない
なぁ」と振り返られているなら、時間の体感
速度も速くなっているのではないでしょうか?

それなら、
コロナ禍も明けたこの年末を機に楽しみへの
入り口に、チョッと心を寄せてみませんか?


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posted by: リボーン | 人生 | 13:29 | - | - |-
(175)リアルな迫力からのパラドックス

 

これまで当たり前だと思い続けて来たことが

実は逆なのではないか?

 

一般的な考え方を無意識に取り込んで来たこ

とへのふんわりした疑問が、ある時、ハッキ

リとした形で表れる….いわゆる自分の中の常

識が動く….

 

そんな経験はありませんか?

 

今月はこのパラドックス的な気づきから感じ

ることをつぶやきます。

----------------

ここ数年私は、障害者に関する動画を観るこ

とが多くになりました。当事者自らの発信や

介護者から受けるインタビューなどリアルな

日常が垣間見えるものです。

これが、私のパラドックス発見の入り口にな

りました。

 

まず、

呼び方についての前置きをしておきます。

ここでは、生活に不自由が少ない人を「健常

者」、不自由な人を「障害者」と表現します。

人の状態を2種類に分けることなど、通常で

きません。こちらでは、あくまでもわかりや

すくするための表現です。

 

とにかく、それらの動画は今までなら隠され

ることが多かったであろう不自由さや外出先

での障壁がリアルに発信されていました。

 

健康が良い状態

障害を負っているのは良くない状態

 

いや、

良くない…ではなく、 

健常者が考える「気の毒な状態」という気遣

い的な思い込みから、オープンにすることが

避けられてきたように思います。

 

これまでなら、ネガティブに捉えられがちな

このような現状は、オープンにしないという

のが暗黙の了解だったのでしょう。

 

それが最近では、「そこまで見せるの?」と

いうくらい開け放された状態で映しだされて

います。

 

初めこそ驚いたものの、見続けている内に

「これこそ制限のないネット界の醍醐味だな

ぁ」…と良い意味での驚きがありました。

 

それと共に感じるようになったこと、

それが、タイトルにもあるパラドックスです。

 

このことがハッキリしたのが、先日の芥川賞

受賞作・市川 沙央さんの「ハンチバック」を

読んだ時です。この作品は筋疾患の難病を持

つ当事者だからこそ描ける、自らを元に健常

者の想像を超えたストーリーです。

 

不自由さに対し言い放つ健康な女性の発言が

こんなふうに書かれていました。

-----

世間の人々は顔を背けて言う。

「私なら耐えられない。私なら死を選ぶ」

でもそれは間違っている。

私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。

-----

この件(くだり)を読んで感じたのは、普通

なら死んでしまいたいと思うくらいの不自由

さを抱えながら、強く生きる人を一般的に

「弱者」と呼ぶことへの違和感…これが私の

中に浮かんだパラドックスです。

 

健常者・障害者

どちらが弱者なんだろう?…と。

 

中でも市川さんが伝えたかったのは

読書文化の健常者優位主義だそうです。

 

その優位性とは次の5点です。

 

 ・目が見えること

 ・本が持てること

 ・ページがめくれること

 ・読書姿勢が保てること

 ・書店へ自由に買いに行けること

 

この5点から、重度障害者が読者として想定

されていない…と読書文化に問題意識を抱い

たそうです。

 

この5点について私自身、想像したことすら

ありませんでした。

 

近年そこここで聞かれる「支え合い」という

耳障りの良い言葉は、この国でどのくらい実

践されているのだろう?と考える時、満足に

は程遠いと思います。

 

弱者と呼びながら、その当事者の労力に甘え

る社会に矛盾を感じるからです。

 

動画の中には、いろんな工夫を凝らし、外出

に臨んでいる様子が映し出されています。想

像もつかなかった大変さを知ることで、私自

身、乗り物など外出先での目配りに変化がで

てきました。

 

障害をオープンにする潔さと共に、不自由さ

を周知させることで行動の幅を広げたいとい

う心意気が伝わってきたからです。

 

心の時代と言われて久しい昨今、

身体に不自由がなくても、耐えられないほど

に心の疲弊を感じている人は増えています。

 

しかし一方、どんな精神状態であろうと、生

き延びるために残された可動域をフル活用し

て、日々に臨まなければならない人たちが居

ます。

 

こうしてみると、弱者と呼ばれる人たちの姿

勢には圧倒的な力を感じ、勇気づけられま

す。健常者や強者だと思い込んでいる多数派

が与えたつもりになっている援助よりも、遥

かに力強く感じます。

 

障害を持っているから強いのか、

強いから障害を背負うように運命づけられた

のか?

 

そんなことはわからないけど、不自由が少な

い者よりずっとパワフルに思うのです。

 

乗り越えることなんて到底できない苦境を目

の前に、うまくすり抜ける工夫を編み出そう

とする姿勢が何ともたくましい。

 

それに加え、幸いにもこの時代には、工夫の

後押しするツールとしてデジタルデバイスが

あります。

 

視覚障害には音声で

聴覚障害には、字幕や振動で…。

 

スマホの過剰利用は事故に繋がり、

ゲーム依存など弊害もありますが

それにも勝る恩恵は多大です。

 

人の手を介さず、気兼ねなく頼れるデジタル

での支援は有難いのは確かです。

 

誰かに支えを求める時、

面倒くさいと思われないか?という懸念によ

って頼ることをためらう人が多いと思います

から。

 

そうは言っても、デジタルだけでは事足りず

時代が進んでも人の手や気遣いは重要です。

 

一般的に言われる「弱者」に対し、健常者が

「強者」であるなら、強者らしく、強者に相

応しい気遣いも育てばいいのに…と皮肉めい

た思いも湧いてきます。

 

これまでオープンにされることが少なかった

不自由さですが、今やネットを開けばすぐに

観られます。

 

現実を目にして、自分ができることを個々人

が自覚できれば、社会はずいぶん変わるだろ

うなぁ..と思います。

 

そんな意識を促す心がけとして、思いついた

ことがあります。

それは「かもしれない運転」。

 

覚えていますか?

運転免許取得の時に教えてもらった

予測しながら運転することで危険を回避する

アレです。

 

そこから

「かもしれない運転」ならぬ

「かもしれない地球の歩き方」が広まったら

いいのになぁと願います。

 

そうすれば、

弱者とか強者とか、他いろんな生きづらさの

元になる境目がすこし薄くなるかもしれませ

ん。

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posted by: リボーン | 人生 | 19:10 | - | - |-
ぐるぐる思考から抜け出すには、前提を疑うことから

 

↑↑↑音声でもお聴き頂けます↑↑↑

気がついたら、つらい思考がぐるぐる回っている。

早く抜け出したいと願いながらどんどん深みにハマって行く。

 

思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか?

 

「そんなことあったかなぁ?」と、

思い出せないくらいの人は幸せですね。

 

一方

それが定期的にやって来るとか、そういう時間で一日が覆われているという人は辛いです。

 

今月はぐるぐる思考に困っている方に向けてつぶやきます。

 

━━━━━━━━

誰しも悩みを持ちますが、

中でも、

性格にまつわる課題は、解決が難しく、

悩む時間が人生を無駄にしているような感覚にさえ襲われます。

 

しかしそれが、見方によっては騙し絵のように消えてしまったり、

手のひらサイズになるケースがあります。

 

不思議だし、

「ホントに?」と疑いたくなりますよね。

 

でも本当です。

これは、

悩みの「前提を疑ってみる」ということから

始まります。

 

ここで言う「前提を疑う」というのは、

今抱えている辛さは、悩むに値することなのかどうか?について吟味するということです。

 

私は相談をお受けしていて

真面目な人ほど悩みを深めやすく「解決には努力が必要だ!」

と信じていると感じるようになりました。

 

悩んでいる時というのは、

 

「なぜ、できないのか?」

「どうしてこうなったのか?」

 

…というふうに、

「なぜ?どうして?」と原因追求をして自分を追い詰めがちです。

考えても答えが出ないとわかっているのにやめられない。

 

 

例えば

 ・友だちが少ない

 ・同僚と親しくできない

    ・他人の目が気になる

 

これらをネガティブに捉え、落ち込み続けてしまう。

「なんとか努力して、自分を変えなければ」

と思いながら、そうできない自分を責める。

 

たしかに「他人と過去は変えられない」と言われますし、

「自分を変えること」が功を奏することも多くあるでしょう。

 

でも、

いつもそうとは限りません。

 

というのも、気持ちが疲れ切ったまま、自分を変えようとして

リバウンドを起こす人を見てきたからです。

 

そこで、まずは

その課題が悩むに値することなのかどうか?

を検討することがポイントです。

 

例えば1つめの

「友だちが少ない」と悩むのは、

「友だちは多い方がいい」という

一般的な考えが基本になっていないでしょうか?

 

でも、本当に多いだけが良いことなのでしょうか?

 

たとえ、友だちと思える相手が居ないとしても、

本や映画で心動かす自分を感じることでそれを補う術を持ってみるのはどうでしょう?

 

 

2つめの

「同僚と親しくできない」という悩みについては、

もちろん親しくできるに越したことはありません。

でも、職場は仕事をする所です。

仕事ができればひとまずOK!と割り切ることができればどうでしょう?

 

 

3つめの

「他人の目が気になる」ことについては、一番よく聴くお悩みです。

悩んでいる人から見ると、周囲の人たちが、

簡単に人間関係を築いていると見えるようです。

 

しかし、案外多くの人が、それに悩みながら

その人なりの工夫を重ね、社会とつながっています。

 

「人目が気になる」という悩みを持つ人は、

それによって、したいこと、言いたいことが制限され、

人生が窮屈だとおっしゃるのを聴きます。

 

それでも、

まずは、人目が気になるのは自分だけではない、

ということを知り、悩む方向を改めてみませんか?

 

 

ここで重要なのは「今の自分でもOK!」と

自分だけは、自分の味方で居ることです。

 

 

そうは言うけど

「その考え方、ちょっと甘くない?」と

思われるかもしれません。

 

 

この話で、クライエントさんの多くから返って来るのも

「そんな考え方をしたら、今以上にダメな自分になってしまう」

という反論です。

 

 

しかしながら、

自分へのダメ出しを続けることは、

本来の解決策のために正しく悩む力を奪ってしまうのです。

 

 

そうならないためにも、

誰もがもともと持っている元気な心の力を快復させることが先決です。

 

 

ただ、

このことは誰かが代わってくれることはなく

他人任せにはできないから大変でもあります。

 

 

そこで

冒頭に「騙し絵のように」という表現を使いました。

 

これは、現状は変わらないけれど、見方を変えることによって、

目の前のことが違って見えて来ることを意味します。

心の省エネとでもいいましょうか….。

 

自分を甘やかすのではなく、

悩みの形が違って見えてきたことによって取り戻した新たな気持ちで、

役に立たない悩み方を改め、

 

そうして、

自分を苦しめずにより良く進める第三の方法を見つけ出そう!

 

そんな思いからです。

 

原因追求した結果、出てきた答えがいくら正しくても、

実行できないなら意味はありません。

 

それに対して、ささやかでも確実な一歩に繋がる第三の道(役立つ知恵)を

考え出す。そんな思考の方が希望が持てるような気がしませんか?

 

そのためにも自責に陥らない思考を心がけていたいです。

 

たとえ強がりだとしても、良い意味での開き直りで、元気な心を取り戻し、

気概を持って生き抜く。

 

そんな姿勢は、地味な歩みであっても、何かしらの形で周囲に伝わり、

いつしかそれが豊かさを伴い返って来る。

 

一朝一夕とはいきませんが、これを信じられると気持ちに変化が起こります。

 

もし今、

あなたが、出口の見えないグルグル思考にハマっていたら、

悩みの前提を疑い、騙し絵感覚を味わってみませんか?

 

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posted by: リボーン | 人生 | 12:37 | - | - |-
(163)「自分らしい」ってどういうこと?


■「自分らしい」ってどういうこと?

「自分らしい」というフレーズは、自分に正
直に、自信を持って生きる人をイメージさせます。

辞書的な解説を見ると、「ありのまま」とか
「個性が表れた状態」などとあります。

確かにそうだ、とは思うのですが
抽象的で、私の心にはフィットしないのです。

ありのままに生きられるに越したことはない
と思いますが、いつも正直でいるのは難しい
と思いませんか?

そこで
今月はこの表現を実践に移すことについて、
私なりに理解を進めたいと思います。


さて

「自分らしく生きていますか?」

ときかれて「はい」と胸を張って応えられ
る人は、どのくらい居るでしょう?

ご相談を受ける中で、「自分らしく居られな
い」ことが悩みのベースになっている方は多
いです。

そんな方々に
「どういう状態なら自分らしいと感じるので
すか?」ときいてみてもハッキリとこたえら
れる人は少ないです。

「自分らしい」というフレーズは、耳馴染み
がよく、自己啓発本などでも頻繁に用いられ
る表現です。でも、自らの「自分らしさ」に
ついて、どれだけの人が自覚しているでしょう?

まず、
相談者の言う「自分らしく居られない」とい
う状態を切り口に「自分らしい」を探ってい
きます。


相談者には「自分らしく居られない」人間関
係の典型例や、問題に感じる場面と、そこで
の気持ちを語ってもらいます。

最初に湧き上がる感情は、イライラや怒りが
多いです。
その後、次第に後悔や悔しさ、情けなさが加
わってくるようです。

そこには、
相手の選択を優先したり、
周囲の流れに足並みを揃えたり
他人の選択を、まるで自分の考えのようにし
て物事を決めてしまったというケースもあり
ます。

そこで相談者は
自ら選択していないことが「自分らしく居ら
れない」状態につながっていると認識します。

最終的に自分が下した決定でも、借り物の選
択であることは本人が一番わかっているから
です。

ただ、
自分以外の誰かの考えであっても、それをし
っかり咀嚼し、心から同意できる意見であれ
ば、それは自分の選択となり、問題はないと
思います。

ここでポイントになるのは、自らの考えでは
なく、ひきづられる形で相手の決定や周囲の
流れを取り込んでしまう点です。

何もせず、怠けているという意味ではありま
せん。自分の感覚と向き合うことなく、別の
方向へと力を尽くしてしまう。そうして、選
択に違和感を感じてもそれをスルーし続け、
疲労が重なる…そう言った方がピン!と来る
でしょうか。

このような心情からは

「間違った選択は避けたい」
「周囲に迷惑をかけたくない」

など、自分の内側の感覚より、事態がすんな
り運ぶことを優先する様子が伝わってきます。

自分以外の考えで進められるこの流れについ
て、その人自身が一番わかっているため、後
悔に繋がるのも頷けます。

こうした思考の流れは、まるでチェーンが外
れた自転車をこいでいる様子を連想させます。

なぜなら、いくらこぎ続けても、前進しない
自転車同様、選択を続けていても、他者の考
えでは、自分の目指すものや希望の状態に近
づけず、疲労が溜まるばかりだからです。

こんなふうに考えると「自分らしく居る」基
本は、自らの考えで選択することから始まる
のだと理解できます。

そして、私たちは選択する時、周囲に影響さ
れつつも、それと折り合いをつけながら判断
を下すことで自分なりのスタイルができてい
くのですね。そしてそのプロセスが自分らし
さを育てていくのだと思います。

そこで、実践レベルで考える「自分らしさ」
というのは
100%自由に振る舞うというのではなく、
その相手、その場によって
選択する自由度を意識し、調整できることな
のだと思い至りました。

また、ここまで考えてきて私は
自分らしく居られるかどうかは、相手や場と
の折り合いだけでないと思えてきました。
というのも、自分らしさのベースには、目指
す生き方を支える「心の筋力」が影響すると
感じるからです。

ここでいう「心の筋力」というのは、自分と
向き合う力のことです。
具体的にいうと
「こんなふうに生きたい」という希望に対し、
「それは無理」と制限する自ら作る壁に対峙
する力です。

ここには
時間的余裕を生み出す力
自分を慈しむ気持ち
希望を見出す力


が含まれます。

そして
自ら作るこの壁については
目に見えないから、気づきにくいのか
気づいているけど、気づかないフリをしてい
るのか
….熟年世代にとっては、痛い所です。

他の誰でもない自分がかける制限、
この枠が、自分らしさを一番抑制しているよ
うに思います。

こう考えると、
この壁と誠実に向き合う「心の筋力」への意
識次第で、自分らしさのアップは期待できそ
うです。

ただこれが
一番難しい。

でも
一番やり甲斐のある挑戦だと思います。

誰にも代わってもらうことはできないし
年齢は関係ないとは言え
できるだけ早い時期が望ましいです。

そういう意味では
誰にとっても
自分らしさを意識にのぼらせた


「今ここ」が、

そのタイミングなのかもしれません。

さて、
あなたは今
「自分らしさ」を
どのくらい活かせていますか?

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7ヶ月ぶりにトランポリンエクササイズを再
開しました。
20年ほど続けてきた自室でのトランポリン。
ワンコにちぎられたりでボロボロになったた
め、買い換えようと昨年末処分しました。
それなのに、次のを購入するのに半年以上も
かかってしまいました。
このトランポリン、飽き性の私が唯一継続で
きている運動です。格好を気にせず、自室で
できるからです。とにかく努力が苦手な私、
好きな曲を聴きながら、足を交差させたり腰
をひねったりして、ウェスト絞りを兼ねた全
身運動を楽しむ。20分ほどでもかなりの運動
量です。面倒だな、と思った時は「1分だけで
も」という気持ちで短縮バージョン。

いろんなところから発売されていますが、私
は知り合いから薦められ東急オアシスのもの
を購入しました。
運動不足を感じている方は是非♪

posted by: リボーン | 人生 | 11:19 | - | - |-
(162)安心の基準

 

こちらのページ内容はスタンドFM(音声)でも配信しています。

 

2022年も半年が過ぎました。

コロナ禍が収束しつつある今、社会情勢にも

大きな変化の波が押し寄せ、不安を抱く人が

増えているようです。

 

どの時代でも、全てが安泰というのは、難し

いですが、不安になる気持ちには、何か傾向

がありそうです。

 

今月は、心の安定・不安定について、私の経

験を混じえてつぶやきます。

 

━━

ここ最近での変化といえば、

・円安や物価上昇などに伴う先行きの不安

・仮想通貨やブロックチェーン、WEB3等

 資産形成につながりそうな仕組みの恩恵

 に預かる人・そうでない人

・アフターコロナの働き方では、在宅ワーク

 をうまく利用する人、そうもいかない人

 

悲喜交々の様子が繰り広げられています。

 

状況の変化によって、良い波に

 ≫乗っていると感じ、安堵する心理

 ≫うまく乗れない、と焦る心理

 

これらは対局のようでいて、

似た傾向を感じます。

 

それは、

 「みんな一緒」

 

という多数派からこぼれ落ちていないかどう

かを基準にした心理だと感じるからです。

 

そして、

それらの情報を得るため、ネットから離れら

れないという人も多いのではないでしょうか?

 

この「みんな一緒」という、ある種の安心感

は、時代を超えて存在するようです。

 

というのも

私たちは、コロナ禍を大変だと嘆きながらも

みんなに降りかかった災難だと受け止め、国

をあげてステイホームに努めました。

 

また、

時代は遡り80年以上前、死を分ける悲惨な

戦争体験ですら、国民全てに起きていること

と受け止め、耐えるだけでなく、命を差し出

す先人たちの姿があったのです。

 

死が目前に迫る激動ですら耐え抜く私たちが

周囲との比較で脆くもくずれ、自殺さえ考え

てしまう。

 

何が、こうさせるのでしょう?

 

 

それは

 【みんなと一緒でない不安】

   から来る心理が影響しているようです。

 

 

周囲と比較して、

他人は持っているのに

自分は持っていない

 

その状態は耐え難く、大きな不安に繋がる

のでしょう。

 

中でも、

金銭的余裕の差については、

一番の比較になるでしょう。

 

「お金持ちは幸福になれて

 そうでない者は幸せにはなれない」という思考。

 

もちろん、金銭的余裕が心の安定に深く関わ

るのは当然だと思います。

 

ただ、

それだけが幸・不幸に紐づいている…..

そこに生きづらさを感じます。

 

なぜなら

【みんな一緒】の仲間入りができても

それは多数派に属しただけの気休め的安定で

しかないからです。

世の中の流れや常識は

個人ではどうにもならない大きな力によって

価値が変わることがあります。

 

もちろんお金は、幸せの必要条件です。

でも、それ一点に心と時間を使ってしまうこ

とが、実は不安に繋がるのだと、この時代に

いっそう強く思うようになりました。

 

 

ずいぶん以前ですが、

私には、金銭的余裕が幸せに繋がるわけでは

ないと実感した経験があります。

それは、パートナーの他界数年後のことです。

 

別れから数年が経ち、母子家庭ながら余裕の

ある生活ができていた時の話です。

 

寂しい気持ちが癒えてもよさそうな年月が過

ぎたはずなのに、顔中には大きな吹き出物が

できたり、原因不明の体調不良に病院を梯子

していました。

 

実家は近くに在り、何不自由ない暮らしでし

たが、安心や幸せとはほど遠い心の状態で、

焦りは大きくなるばかりでした。

 

パートナー他界により、私は、自分の力が及

ばないところで人生に変化が起きることを痛

感しました。

 

そして、生きる拠り所を外に求めるのではな

く、それを自分の中に見つけたいとあがいて

いました。それだけではなく、生きる価値さ

え見出せない焦りは、子育てや友人とのおし

ゃべりで紛らわすことはできず、身体に表れ

たのだと思います。


そんな中、救いを求めたのが読書でした。

 

図書館に通い、いろんな本を読み漁りまし

た。それは、偉人の伝記や心理学など多岐に

渡ります。

 

成功した人の本も読み、学びにはなりました。

でも、直接の行動につながるような希望に

は結びつきませんでした。自分の力量とはか

け離れたものを感じたからです。

 

一方、

行動に結びついたのは、心身の回復につなが

る色彩心理の書籍でした。本の内容を実践し

体調が回復したことで、同じような症状に苦

しむ方に拡散したいと考えるようになったの

です。

 

このことは

自分の努力が誰かのためになるかもしれない

という希望につながり、生きる勇気が湧いて

きました。


その後、

何の知識もない中、色彩心理学の先生数人に

電話をして、師と仰ぐ方に巡り合いました。

同時にカウンセリング心理学に一層力を入れ

るようになりました。

 

体調不良で仕事を辞めていた私は、回復した

後も、仕事に復帰しないまま、しばらくの間

は色彩心理学とカウンセリング心理学の学び

に没頭しました。

自分が価値あると思うものにほとんどの時間

を割いた期間でした。

 

貯金を切り崩し過ごした、この約2年間で、

【みんな一緒に】という多数派思考は消え、

自分の感覚を拠り所に生きるようになりました。

 

今でも私に勇気をくれるのは

「努力することで達成するかもしれない」

というささやかな光を見つけた時に湧き上が

る希望です。

 

そうして

他の誰でもない自分が、価値あると思うもの

に時間を使うことが、結局は心の安定につな

がると思えるようになりました。

 

世の中は移ろい、様々な価値が変動します。

 

他人の表面的豊かさを羨み、それに追いつく

ために時間を使うことがどれほどの安定につ

ながるのか?

 

頭でわかっていながら、時間をお金に換算す

る切り売り的な思考が常となってしまう。

 

それが多数派の考えであり

常識的と言われる行いなのかもしれません。

 

でも、

人生スパンで考えた時、

 流れるように過ぎる日々の時間

 確実に減っていく生涯の残り時間

 

周囲の変動に振り回されない心の安定を得た

いと考える時、どんな思考に至るでしょう?

 

 

誰にとっても限りある時間、

何に価値を置き、費やすのかがカギになります。

 

 

あなたは

誰かのためになることで

お金を出してでも体験したいこと

 

 

何か思い浮かびますか?


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少し早めのサマータイムをスタートさせ、1ヶ

月が過ぎました。4時半起床で7時までにひと

仕事を終えると、一日の流れに余裕ができま

す。加えて、スマホとタブレットを集中モード

にして、通知オフにしました。この効果はスゴ

いです。ラインやツイッター、スタFの通知が

来ないと無駄にアプリを開くことがなくなりま

ます。チョッと覗くつもりがあっという間に数

十分経っていた….という後悔が激減。得した気

分です♪

posted by: リボーン | 人生 | 23:08 | - | - |-
(160)「私、HSPなんです」発言への危惧

▼下記内容を音声で聴く≫声のブログ

 

タイプ分けで自己分析するのは、楽しみに繋

がることも多いです。自分にはこんな特性が

あって、こんな素質も秘めているのだ、と

自分も意識できていなかったことを知ると嬉

しくなります。

 

 

しかし、

心の症状を示す新語についてはどうでしょう?

 

 

例えば、

既に周知されているトラウマやアダルトチル

ドレン(AC)に加えて、数年前から広まっ

ているHSP。

 

 

これは、Highly Sensitive Personの頭文字を

とったもので、さまざまなことへ敏感に反応

し、生きづらさを抱える人の総称です。

「繊細さん」とも呼ばれていますね。

 

 

ただ、

これは病気ではないので、医療受診して下さ

れる診断名ではありません。

 

 

そのため、

私が、ご相談を受ける中で、

「HSPなんです」とおっしゃる方のほとん

どは、ネットのセルフチェックで判断されて

いるようです。

 

 

発達障害などに伴う、視覚、聴覚、皮膚感覚

の敏感反応については医療受診は有効だと思

います。受診の結果、その方の特性が確認さ

れ、サポートに繋がるのは幸運なことだから

です。

 

一方、

人間関係にまつわる敏感さの判断はど

うなのでしょう?

 

 

その判断によって、ポジティブな言動に繋が

るなら良いのですが、そうではなく

 

「だからできない」

「だからしない」

 

という消極的な方向へと

進むのは残念だなと思います。

 

 

トラウマやアダルトチャイルドに関しては、

虐待や性被害、子ども時代の深い傷つきを抱

えた人が、トラウマ治療やACの回復ステッ

プを踏むのは、必要だし、効果的な方法だと

思います。

 

 

自分の状態に名前がつくことで、救われ、そ

れが生きる力に繋がれば喜ばしいことです。

 

 

例えば、

心身症状ではありませんが、DVやセクハラ

というワードがそれに該当します。被害の状

態がネーミングされたことにより、当事者や

周囲にも気づきが促されました。

その結果、大きなムーブメントにつながり、

社会が良い方向に進みつつあります。

 

 

しかし一方、

そうでない場合の過剰反応を危惧し、新種の

ワードの捉え違えに疑問を感じます。

 

 

それは

人生の歩みをストップさせ、生きづらさを増

すこともあると感じるからです。

 

 

例えば、

アダルトチルドレンへの過剰反応などでは

親の落ち度を繰り返し思い起こし、育った環

境を恨み続けるなど、生きづらさの箱に自ら

入ってしまう。

 

 

でも本当のところ、

自分を枠に閉じ込める思考はできるだけ早く

手放したいと願っているはずなのです。

 

 

そこで

自らできることとして、提案したいことがあります。

 

 

それは、そのことへの

 

 「語りを変える」

 

       ということです。

 

 

例えば、

過去については

「いろいろ大変な思いをしたけれど、

私は頑張ってきた。よく生き抜いた」と自分を労う。

 

 

現在については

「なんだかんだ言いながら、希望を持ちたい

と将来について考える自分が居る」などと、

未来から差し込む光を想像し、ささやかで

も、生活に工夫できることを考えてみる。

 

 

自分についてどう捉え、いかに考えるかは、

私たちはいつも自由で居ていいのだと思います。

 

posted by: リボーン | 人生 | 20:56 | - | - |-
(157)動かせない気持ち、どんなふうに乗り切っていますか?

この2年間、私たちは自力ではどうにもなら
ない事態を経験しました。人生いきていれば
い、いろんなことが起こる….とは言うものの
長期間続くとストレスは溜まるばかり。これ
は、世間的なことに限らず、個人の身に起こ
ることでも同じです。

そんな時の対応として、効果を上げる視点を
シェアさせてください。

それは
 どうにもならないこと
 動かし難い気持ちに対し

 ズバリ
  それを「おもしろがる」ということです。

そう…..
「おもしろがって」それに取り組もうと試み
ることです。

よく「楽しんでやる」という表現を聞きます
が、「おもしろがる」とは似て非なる視点だ
なぁと思います。

….というのも、
「楽しむ」というのは自分ごと

一方、「おもしろがる」というのは、ちょっ
と自分を突き放す感じで距離ができます。そ
んなふうに自分を観ることで、他人ごと感覚
になりやすいと感じるからです。

他人ごと感覚になれたところで、自分を一つ
の駒と見立てて、どう動かせばイイ感じにな
るかな?....と想像する。

そうして、
・こうすれば面白くなるんじゃないかな
・こうすれば案外うまくいくかも
…..などと言う、自分ならトライしづらいア
イデアが浮かんできます。

なんせ、他人ごとですからね。

例えば
・苦しいこと
・自信がないこと
・自分の意に沿わないこと
 ….などに試すのは最適です。

自分の感覚に従って動くという考えは、もち
ろん忘れてはいけない視点だけど、その態度
に発展性がないなと思った時は、このモード
もアリかなと思うようになりました。

また、ネガティブな感覚をおもしろがるなん
て、不謹慎だという考えもあるかもしれませ
ん。でも、こういう時こそおもしろがって
取り組むことで、案外乗り切れそうな気がし
ます。

本来の自分なら、やらないことだろうけど、
おもしろがるモードに入れば、何とかトライ
できそうです。

ちょっと勇気の要ることや、恥ずかしさを伴
うことにも、おもしろがるモードは効果アリ
です。
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     ・
     ・
今、あなたの中で実行に移しづらいこと、迷
っていることはありませんか?

例えば、
・入会を迷っているサークルへの見学
・いつも黙っている場所での発言
・苦手な人と共にしなければならない時間

「頑張ってやる」より、ライトな感覚でヒョ
イと飛び越える感じを味わってみませんか?

■編集後記

お年始早々「絶対という自信なんて持てない
なぁ」と感じたことがありました。それは、

現在、こころの辞書サイトの見直しをしてい
るのですが、そこでサーバーに手を入れる
PC作業中のことです。再設定作業の時、
いろんな入力が必要になります。自分の電話
番号入力間違いや項目へのチェックミスなど
のために、数時間のロスがありました。これ
は「私は間違ってない」という無意識の思い
込みがあったせいです。そのため、サポート
デスクとのやり取りも進みませんでした。こ
んな愚かな思い込みをするなんて、と最後に
は自分で自分を殴りたい気分になり、笑いま
で込み上げてきました(笑)
愚かな態度に、年頭からキツイお叱りを受け
た思いでした。
こんな感じの始まりを迎えたりぼーんですが
日々の気づきが、ささやかでもあなたの心に
フィットすることを願いながら、今年も綴っ
ていきます。
どうぞよろしくお願いします<(_ _)>
 

posted by: リボーン | 人生 | 13:34 | - | - |-