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コロナ禍の渦中から10年後の様子を描い
た小説を読みました。
本のタイトルは「私たちの世代は」です。
著者は大阪生まれの瀬尾まいこさん(50)です。
コロナについては、完全に終息したとは言
えない現在、将来への影響に懸念を持ちつ
つ読み進めました。
読みながら、
私たちは好むと好まざるとに関わらず、時
代の影響を受けているとつくづく感じました。
そんな中で生きる私たちが、少しでも心強く
感じられる考え方はないものか?...と、
今月はこの視点からつぶやきます。
小説の内容は、
当時小学3年生だった女子が就活に向かう
頃までのストーリーです。
登校が始まっても友人たちと自由に交流で
きない様子や、親子関係のストレスなど、
心の機微が綴られていました。
将来、コロナを経験した子どもたちが何と
呼ばれるようになるのか?
コロナ世代?
マスク世代?
わからないけれど、マスクやソーシャルデ
ィスタンスを強いられたからこそ生まれた
傾向が取り沙汰されるのだと思います。
バブル世代や
ゆとり世代という表現も
望まず受けた影響が凝縮されたものです。
ただ、振り返ってみるとコロナに限らず、
何の前触れもなく私たちの生活が変わるこ
とはそんなに珍しいことではありません。
小説の中では、
ホームステイ期間中、主人公はクラスメイ
トである一人の男子が満足な食事にありつ
けないことを知ります。彼女は、母の提案
(というか優しいお節介)でその男子に毎
日パンを届けるようになりました。そのこ
とで、自分と同年代の子の生活苦を知った
り、そういう行動に出た母の優しさを感じ
たりしました。
また、一斉登校がスタートする日、彼女は
母とのトラブルをキッカケに不登校になり
ました。
彼女は引きこもり生活の中、コロナを機に
ネット上で知り合った同学年の女子や、パ
ンを持っていった男子との心の支え合いを
経て、ティーンエイジャーへと成長してい
きます。
これらを含め、彼女の学生生活にはコロナ
がなければ、経験しなかったことがたくさ
んありました。
そして、
紆余曲折の後に彼女は、子どもと触れ合う
職に就き、自らの経験を活かします。
ストーリーは、ハッピーエンドの感もあり
ますが、コロナが無ければ無かったで、
他の展開が広がっていたはずです。
私たちの人生は「8割の偶然によって左右
される」と言われる通り、計画通りに進ま
ないことの方が多いです。
目標を持ち、計画を立てるのは大切だとわ
かりながらも、自分の意図に関係なく降り
掛かる出来事によって、良くも悪くも将来
は変わります。
改めてこのことを意識すると
「いったい、何を軸に歩めばいいのか?」
なんて思いに駆られます。
時代を揺るがす非常事態に限らず
風邪一つ引いただけでも、発熱すれば日常
の生活はガラッと変わるわけです。
また、
人生スパンで言えば、
失業、病気、家族の死、その他にも、地面
ごと揺れ動き、手も足もでない状態に襲わ
れることもあります。
それなら、思い通りにならない未来を心配
するより、それを目の前にした時の身の処
し方や、考え方を工夫できる自分になって
おくことの方が賢明ではないかと思うのです。
災難が降りかかって来た時の
身の処し方や考え方?
そこで、思い浮かんだのが
「創造の病」という視点です。
これは、カナダの精神科医・エレンベルガ
ーが提唱したもので、病を機に人生を好転
させた実在の人物たちの歩みから見出され
た考え方です。
災いの渦中に居る時こそ、将来への良い兆
しを先取りして、後の幸いを思い浮かべて
みよう…
そうしてそれを気分の変化につなげ、次の
一歩を踏み出すエネルギーへ向けよう…と
示唆したのが「創造の病」という考え方です。
でも、
「そんなこと言ったって
気分が変わったところで、目の前のことは
変わらないじゃないの。それに良い結果に
なるとも限らないし」
….と、そんな思いも湧いて来ます。
しかし
「今ここ(目の前)」の気分に変化が起こ
ることで、そこからの行動が何かしら変わ
ってきます。
私たちは、幸いした現在を振り返るのは、
災難から時間が経過した後であることが
多いように思います。
だからこそ、
頭を抱えたくなるようなことが起きた時こ
そただ落ち込むのでなく、正にその時、第
三の発想ができる自家発電型のエネルギー
チャージの方法を携えておく。
人生での落ち込みはさまざまです。
例えば
・穴があれば入りたくなるような失敗
・信頼していた人からの裏切り
・大事なタイミングを逸する
…などです。
それに加えて、
光が見えて来ないことで孤独になり、不運
がずっと続くように感じられることもあります。
そんな時、
自分で自分を快復させる術を持っていると
どうでしょう?
それを拠り所に足元を照らし歩き出せるよ
うな気がしませんか?
ただ、そうは言っても、
大変な事態にいきなりこの視点を持つのは
難しいです。
そこで、
日々のチョッとしたミスやトラブルに、こ
の考え方を試してみる。
・忘れ物をした時
≫もっと重要なモノを忘れないようにする警告(だったの)かも
・スマホが故障した時
≫良いタイミングで修理するチャンスが来たのかも
・電車に乗り遅れた時
≫予定通りの電車に乗っていたら良くないことが起きたかも
….など
「どうしてこうなるのよ!」と悔いが湧く
時こそ、たとえコジつけであっても、いい
感じで心の折り合いをつけられるようにク
セづけておく。
もちろん
周囲との支え合いで乗り越えるのも大切で
すが、肩代わりしてもらえない精神的負担
を負った時、頭を切り替える柔軟さは心強
い杖になってくれます。
体力アップにジム通いも必要ですが、いざ
という時のためにも、タフでしなやかなメ
ンタルづくりに心の筋力アップも習慣にし
ておきたいです。
それでは、
今後いつか、あなたに起きるかもしれない
「どうしてこうなるのよ!」と後悔したくな
る場面で、この視点を思い出してもらえると
嬉しいです。
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「今後の生活はどうなるの?」
「両親の介護はどうしよう?」
「災害の時はどうしたらいいの?」
今年は特に、年頭から心痛めるニュースで不安が高まった人も多かったと思います。
何か心配事が起きた時、
あなたの心はどんなふうになりますか?
不安で心の揺れは大きくなる方ですか?
それとも
揺らぎは少なく落ち着いて居られる方ですか?
もちろん、心配事によって受け止め方は違
ってくるでしょう。
しかし、
近年特に先行き不安が高まる中、全く不安
がない…という人は少ないと思います。
そんな中でも、ことの大小・経済力の違い
等を越え、適度に平穏を保ち、安定感のあ
る人って居ますよね。
そういう姿勢は、生きていく上で何より心
強い味方です。できるなら、身につけておきたいです。
そこで今月は、
平穏な気持ちを保てる理由と、その実践について考えます。
━━━━━━
そもそも
不安は、まだ起きていない先のことに対し
て「・・になったらどうしよう」という怖れ
から来るものです。
そして、その怖れへの対処が思いつかない
時や、対処法はあるものの、自分には到底
対応できない…とお手上げの気持ちが不安
をかき立てるわけです。
そういう時に支えになるのが
「何とかなる!何とかする!」という姿勢です。
これが心の状態を左右することはわかります。
ただこれは、実際の局面で対処可能…という
より、そういう意識を持てるかどうかの問題です。
では、
「何とかなる」という心境はどこから生まれるのでしょうか?
ちょっとしたことに「何とかなる」と思えるのは当然です。
でもここで言うのは、「必ず解決する」と
いう確信ではなく、「何とかなるんじゃな
いかなぁ」というような「不確かな何か」
を信じる何となくの感覚のことです。
この「何となく」というのがポイントです。
これは、日々積み重ねる態度によって自然
に生み出され、「大丈夫だ」という安心感
となり湧き上がるようです。
日々積み重ねる態度?
それは、
その人が自然に行なっている、ある習慣のことです。
その習慣というのは、誰かが困っている時
や大変な事態に対し「支えたい」という思
いを持って、それを行動に移すことです。
そのような習慣を持つ人は、その人自身が
日頃から誰かを支える気持ちで人と接して
います。そのため「困った時は支えが得ら
れる」と見えない繋がりを感じやすいのです。
ここでちょっと
その根拠になる心の仕組みをお伝えします。
私たちの思いや行動は、鏡で反射されるよ
うに、周囲から返って来るという錯覚が起こります。
自分が腹が立っていると、相手も腹を立て
ていると思いやすい。もちろん、いつもで
はないですが、こんな感じです。
つまり、周囲の状況や相手の態度が問題な
のではなく、自分が相手に向けた思いが、
相手からも自分に向けられていると感じる
ことによって起こる影響は大きいということです。
学生時代にこんなことがありました。
サークルでのことです。
役員を決める時に、私はA子さんを推薦しました。
でも、
彼女は「失敗すると怒られるから無理」
だと辞退しました。
私は「え!誰に怒られるの?」とたずねる
と彼女は「みんなに」と言うのです。
メンバーの中に彼女へ怒りをぶつける人な
ど居ませんでした。
その後、A子さんの言動からわかったこと
がありました。
それは、口には出さないものの、彼女は人
を評価することが多く、怒りを感じしんど
くなっていたようです。
他人に厳しく評価をつける人は、自分も周
囲の評価に晒されていると感じ、人前で緊
張度が高くなり、彼女のような思いを抱き
がちです。
また、
他人の言葉の裏読みをする人は、相手から
も裏読みされているという思い込みから、
本音を言えず人間関係も困難になりがちです。
逆に、
相手の言葉を素直に受け取る人は、自分の
思いも適度に伝えやすく、人間関係に悩み
も少ないようです。
このように
自分の思考や姿勢は、関わる相手や環境を
通して受け取ります。そうして、それが気
分のアップダウンへとつながるわけです。
これらのことから
日々の思いや行いが自分を助ける副産物に
なることもあれば、自分を追い詰める副作
用になることもあるということです。
「大丈夫だ」と感じられる支えや安心を望
むなら誰かを支える気持ちで、それを実行に移す。
それが、
「何とかなる」という繋がりを感じさせ、
大らかな気持ちから安心感に変わる。
安定感のある人たちは、このようなことを
意図せず行うことで、安心という副産物を
得ているのでしょうね。
誰かを支えたいという思いや行いが、結局
は自分を支え安心感に繋がる。
それなら、必要以上に未来を心配し、不安
を重ねなくても良いのではないか。
さらに思うのは、
既に懇意な人への振る舞いより、知らな
い人、顔の見えない相手への振る舞いが鍵
を握っているようです。
たとえば、
お店のスタッフさんへの挨拶
電車内で席を譲る心遣い
道に迷っている人への声かけ
寄付・寄贈での支援
…などです。
なぜなら、懇意な人への気遣いや支えは、
何かの形で返ってくることがある一方、知
らない人からは見返りを期待できません。
見返りを期待せず、支える態度を習慣にす
るからこそ、見えない何かによる守られた
感覚が、鏡で反射されたように返ってくる
のではないか?という思いにたどり着きま
した。
もちろん、これが全ての不安解消になると
は思いません
ただ、
自分の思いや行いが見えない感覚となって
返って来るというのは、私の中ではかなり
腑に落とせました
日頃の心がけで不安がコントロールできる
なら、今後の意識次第で安定感も増してい
くと期待できます。
とは言いながら、まだまだ安定感に達しな
い私は、新年初のメルマガ配信を機に、日
々の心がけを見直そうと思います。
さて、
あたなはどんな思いを持って2024年をス
タートされたでしょうか?
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「職場で仲の良い人ができないんです」
「家を行き来できるママ友が居ないんです」
というお悩みを聴きます。
仲良しが居ると、確かに心強いです。
ただ私自身を振り返ると、仲良し関係をつく
らないように心がけて来た繋がりもありました。
それは、子どもを介した関係やOL時代の同
僚とのつきあいです。
小学校でのママ友関係は特にそうでした。
雑談ができる程度の関係に留め、自宅を行き
来することはなかったです。
そんな私とは逆の欲求である冒頭のお悩みに
興味を持ちました。
そこで今月は
この「仲良しを作りたい」欲求の真意につい
て考えてみました。
━━━
多い少ないは別にして、誰にもいくつか所属
先があります。
その中でも、
・自発的に参加する場と
・必要に迫られて参加している場と
大きく2つに分かれます。
自発的な関わりと必要に迫られて属する場で
は、自ずと参加への熱量や求める関係の質も
違いますよね。
ここでは後者の、必要だから属する場につい
て話を進めます。
そう言っても、人が集まる場では求める雰囲
気、心地よさには共通したものがあります。
例えば
・受け入れられる感じ
・情報交換のしやすさ
・サポートを得られる雰囲気
・攻撃されない安心感….など
おおよそこんな感じで、
まとめると、孤立せず安心できる環境がそれ
なのだと思います。
ただ、ここには「何でも話せる」とか「いつ
も一緒」という類いの親密さは含みませんでした。
…というのも私自身が、自発的参加でない関
わりには深い親密さを求めていないのだと改
めて感じたからです。
そんなふうに振り返りながら「心地良さ」と
いうキーワードから思い出した書籍がありました。
タイトルは「生き心地の良い町─この自殺率
の低さには理由がある」です。
2013年に出版されたこの本は、日本で一番
自殺率の低い町について書かれたものです。
著者がこの町に住み、比較検討・研究された
のです。
この内容に、冒頭のお悩み解決へのヒントが
あるように思いましたので、紹介します。
研究対象になった町(徳島県の旧海部町)の
人にはこんな傾向がありました。
・空気を読まない会話
・新参者を拒まない雰囲気
・相手に深入りしない淡白なつきあい
これが「生き心地の良さ」につながっている
というのです。
これらの傾向からは、あっさりとクールな感
じが伝わって来ます。
でも、誰かが困っている時には、町の人は即
介入するのです。
加えて、困った時には、自己開示できる空気
があるのも特徴です。
「空気を読まない」点についての面白いエピ
ソードがありました。
それは、赤い羽根の募金についてです。
「みんながやっているなら…」と周りに同調
する地域が多い中で、この町では、個人の気
持ちを尊重しても許される雰囲気があるのです。
「使い道がはっきりしないお金は払いたくな
い」という人の気持ちが許容されるのですね。
一方、
この町と比較対象された自殺が多発する町
は、日本の良い点が集約されたような地域でした。
その特徴は
「勤勉さ、忍耐強さ、思いやり、日常的な助
け合い、絆重視、礼儀正しく迷惑をかけない
振る舞い、周囲の空気を読む」などです。
これって、日本の美徳とも言えますね。
このどちらの傾向が良いのでしょうか?
町の傾向を二者択一で評価するのは、難しい
です。ただそれでも、自殺率から考えると、
海部町の評価が高くなります。
長い目で見て「淡白な繋がり」の海部町が、
心地よく暮らせているということです。
この比較を見た上で
冒頭のお悩みを振り返ってみます。
・職場で仲良しが欲しい
・自宅に呼べるママ友が欲しい
これらの欲求からは、誰かと特定の関係を築
くことで孤立せず、安心感を得たい、という
守りの気持ちが伝わって来ます。
学校行事の場で一人で居るところを見られた
くない…とか、職場の休憩時間に一人で居る
と、嫌われてると想われる…というのを聞きます。
孤立を避けたいという気持ちには共感しま
す。しかし、特定の仲良しが居ないことが、
孤立や仲間はずれを連想させることについて
は疑問が湧きます。
まぁ、個人個人の性格の違いはあると思いま
すが、大人になると「一人で居る、一人で生
きる」覚悟のようなものが必要かなと思います。
親密ゆえに同調圧力が働き、自分の意志で動
けなくなると、その関係はストレスに変わります。
海部町の人のように空気を読まない会話を、
敢えてする必要はありませんが、自分の考え
で動き、深入りしない態度で過ごしてもいい
のではないでしょうか…。
そうして
その中で、話しやすい人が居れば軽くおしゃ
べりをする。こんなふうにほどほどの関係を
築けていれば良いんじゃないかなぁ…と思います。
話せる人がいなければ、無理に関わる必要も
なく、それでもヨシ….と良い意味での開き直
りができれば、気持ちが楽です。
深入りしないという点で私は、家族の中でも
大人同士なら、この関係が適していると考え
るようになりました。
固い絆よりゆるやかな絆で、困った時は助け
を求めることができ、快く応じ合えることに
心地よさを感じるからです。
「クール過ぎる感じがしますか?」
親密さを求める人には抵抗があるかもしれま
せんね。
しかし、変化する常識に心を削り、関係を保
ち続けるため疲弊するよりは、賢明だと思う
のです。
そういう点から観て、
海部町の人たちの姿勢が注目されたのかもし
れません。
周囲との摩擦を恐れてストレスを溜めるより
湧き上がる自分の感覚と摩擦を起こさないつ
きあい方を心がけたいです。
周囲の意見を参考にしながらも、自分の感覚
を尊重した態度を示す。
こういう態度は、自分を、そして相手をも守
ってくれます。
例えば、
「あの人、本当はどう思ってるんだろう?」
と勘繰ったり、
「どうせわかってもらえないなら」と不要な
あきらめの気持ちや、その他、行き過ぎた気
遣いや忖度が減ると、お互いに誠実で居られます。
誰もがそうできると、この国は身の安全だけ
でなく、心の安定も保てる生き心地の良い国
になると思います。
とは言っても、国レベルでは難しい。
…ということでまずは
あなたや私の周りからこの態度を時々でも
思い出しながら、生き心地の良さが広まると
いいなぁと思います。
▼ご紹介した書籍
- ご挨拶 -
今年も読者で居て下さり有難うございました。
来年も引き続き、身近な気づきを私なりの視点でつぶやきます。
2024年もどうぞよろしくお願いします。
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
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]]>「自分の頭で考えてますか?」って…?
そんなこと言われなくても毎日いろんなこと
を考えてますけど…と言い返したくなるかも
しれません。
ただ、近年よく耳にしますよね、
「自分の頭で考えてる?」
というこのフレーズ。
難しい単語が混じっているわけでもないのに
実のところ、何を問いかけられているのか?
わからなかったりします。
そこで今月は
「自分の頭で考える」とは何を意味するのか?
そして、
それは何のために必要なのかについてつぶやきます。
さて、
そもそも
「自分の頭で考える」って、理解しているよ
うで、具体的に実行できているのか?とたず
ねられると…どうでしょうか?疑わしい気もします。
わからないことがあれば、ネット検索で大抵
が解決する今、考えることの本質にも変化が
出て来ました。
今回取り挙げた「自分の頭で考える」という行為
それは
「正解のない問題について考え巡らすこと」です。
こんなふうに言葉にすることでやっと意識が
高まる感じでしょうか…。
答えのない問題を他人任せにせず、しっかり
向き合うことが本当の意味での「自分の頭で
考える」ということなのですね。
働き方、人とのつながり方、住まい方などを
はじめとして、ネット検索では参考にするこ
とはあったとしても、最終解決に至らない問
題は多くあります。
人生のステージ、それぞれの段階で
例えば
・どの学校を受験するのか?
・就職するのか、起業するのか?
・結婚するのか、独身を通すのか?
・出産するか、夫婦だけで過ごすのか?
・離婚するか、続けるのか?
・親の介護は自宅か、施設か?
など、更に細々したことがたくさんあります。
インターネットが普及して以降、益々、過去
大勢の人が辿ってきた人生をモデルにするの
は難しくなりました。考える材料を探すこと
ができるようになった今、考えてるフリは通
らなくなったとも言えます。
多様性という言葉が絵空事でなく、実感を伴
い迫って来る感じです。
そんな中、
私自身、果たして自分の頭で考えて来たのだ
ろうか?と自信が持てなくなることがありました。
そのキッカケになったのが、最近読んだ本の
中で出会った「ショック・ドクトリン 」という
ワードです。
ショック・ドクトリンというのは
惨事が起きた後、人々がショック状態に陥
り、思考停止になっている間に、それに漬け
込んで、利益を得る誰かが進める方向に舵を
切る政策手法のことを言います。まるで火事
場泥棒のようですよね。
今回のコロナ禍でも似たようなことがあった
と思います。それは、あり得ないほどの急ピ
ッチで進められたワクチン接種やソーシャル
ディスタンスと言いながら、電車内ではスグ
隣に人が座っていたこともその一例です。
あなたは、
この状況を不思議に思いませんでしたか?
時短営業の中、閉店間際の飲食店内が混雑
する様子に違和感を覚えながら、私は自分
の頭で考えることをスルーしていたことに
気づきました。
要するに、
違和感を持ちながらも多数派に扇動され、確
かな情報を探さず、流れに甘んじていたわけ
です。正に思考停止に似た状態でした。
今になって、これらの矛盾を指摘した当時の
発信を見つけ、情けない思いに駆られます。
またレベルの違う話ではありますが、
以前、「FIRE」という言葉が流行った時期が
ありました。
これは、経済的自由を手に入れ、早期リタイ
ヤすることを意味するワードです。労働に縛
られず人生を謳歌できるなんて、どんなにい
いだろう…と憧れた人は多いと思います。
確かに、しっかり目的を持って目指すFIRE
は意義のあることだと思います。しかし、こ
れといった目的を持たず、時間が与えられて
も、人生の幸福度の点から見ると本当に幸せ
かどうか疑わしいものです。それに気づく人
が増えたからなのか、最近めっきり耳にしな
くなりました。
流行り物に色めき立ち、自分の頭で考えず、
反応することの危うさが一層増してきました。
そう思うと、
ネット検索のようにすぐさま正解に辿り着け
なくても、自分なりの道筋で問題に向き合い
その時々にふさわしい道が見つけられるとしたら…?
とりあえず、他人との比較で心わずらわせる
土俵からは降りられるのではないでしょうか?
生きていく術として何が大切かを振り返る時、
・資産を増やすことに執着し、
心休まらない生活を続けるのか?
・足るを知る生活を意識し、
心豊かな暮らしを目指すのか?
生きる姿勢についての選択に目を向けられると
出来合いの居場所ではなく
心地良い自分なりの居場所が創り出せるので
は?という期待も湧いてきます。
そのためにも、
せわしない歩みを少し休めて、自分の
頭で考えてみる。
考え巡らせたその先を意識できると、言動に
も変化が表れるでしょう。
そうすると、そこで何が起こるのか?
それは、
そんな自分にフィットする繋がりが展開する
ということです。
言動の端々に自分の意志が反映され、そこに
共感する人との交流が生まれるからです。
多様性が当たり前になりつつある今、
また、
性善説を信じてばかりは居られなくなった今
だからこそ、「正解のない問題を考える力」
を磨いていきたいです。
そして
それは何のためかというと
「自己選択、自己決定」にたどりつくために
あるのだと思います。
多数派がうなずく一般的な解答ではなく
まずは、自分の最適解を見つける。
その結果、
誰かが作った大きな流れに乗るのではなく、
自分で考え、自らの意志で生きていくことに
つながるのかな...と思います。
ここまで読んで下さった方へ
私からの問いかけです。
「あなたは、今日
自分の頭で考えたことを思い出せますか?」
▼堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
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下記内容をリボーンが朗読しています。
「早いなぁ、あっという間にお正月かぁ」
と、ちらほらこのフレーズが聞かれる
時季になりました。
雑務に追われながら、過ぎ行く日々を惜しん
でいる様子が伝わって来ます。
ただこれは大人の話で、子どもからは聞かれ
ないですよね。
では、
こんなふうに時の流れを速く感じるようにな
るのはいつからなのか?
誰にとっても、時間を巻き戻すことは不可能
だけど、時の流れの感覚に変化を起こすこと
はできないものだろうか?
そこで今月は、大人と子どもの時間の進み方
を比較して、その結果から人生の風景を変え
る試みをつぶやきます。
そのためにも、まず、
今自分が人生のどの地点に居るのかについて
確認しておきます。
人生を振り返るには、一生をいくつかに分け
る視点がありますが、今回は、サクッと「春
夏秋冬」4つに分けてみます。
まず、
0〜20歳まで(学童期・青年期)を春
20〜40歳(成人期)を夏
40〜60歳(壮年期)を秋
60歳以降(老年期)は冬と考えます。
まあ、年齢の区切り方、定義はいろいろある
と思いますが、ココではザッとこんな感じに
しておきます。
改めて振り返ると、
冬の時季が迫る私は、背筋が伸びる思いがし
ます。
あなたは、今、
「春夏秋冬」
どの季節を歩んでいらっしゃるでしょう?
ここでは、
秋冬の時季にフォーカスして話を進めます。
「もう年末かぁ」…と時の流れを早く感じる
大人と、そうでもない若者。
同じ人間でありながら、時間の体感速度が違
う。このことについて、私たち大人は体験済
みですよね。
これは、年齢を重ねるほど、時計で計る実際
の時間より、心理的時間の進み方が遅くなる
ため、時の流れを早く感じるわけです。
一方、子ども時代の体感速度はゆっくりなの
はなぜなのか?
これは、経験の少ない子どもは、一つ一つの
出来事を新鮮に感じ、刺激の多い日々を送っ
ているということが挙げられるそうです。
それなら私たち大人は、年齢と共に時間の体
感速度は速まるばかりなのでしょうか?
いえいえ
そんなのはイヤですよね。
人生100年時代などと言われても、アッ!と
いう間に過ぎ去る実り少ない長寿時代なんて
迎えたくないですから…。
では、
どうすればいいのか?
そのヒントは、
既にここまで書いた中にあります。
それは
大人と子どもの違いのところでお伝えした
「一つ一つの出来事を新鮮に感じる子ども
の体感速度はゆっくりだ」という部分です。
これは、
同じことを繰り返す生活に脳が慣れると、そ
れらは記憶に残りにくく、時間を短く感じさせる、
片や、
興味を持って取り組んだ経験には刺激や思い
出が詰め込まれ、時間が長く感じられるとい
うことです。
刺激?
思い出?
「忙しいのに、そんなことを考えるのは面
倒」という気分になりましたか?
そうおっしゃる方は、
人生の時間にまだ余裕があるのかもしれません。
というのも
年齢によっては、今までの5年とこれから5
年先の状態に激変が予想される方は「面倒
だ」と後回しにする時間もないと思うからです。
子どもの成長
自分の老い
親の終末
子どもは自立して行くから良しとしても、
自分は冬の入り口に、
そして親は既に冬の時季に居るわけです。
もちろん、
刺激に欠ける予定であっても毎日繰り返され
るからこそ、成り立つ日々だとも思います。
ただ、
それだけで埋め尽くされる日々だと、
アッという間に過ぎ去る感覚はいっそう加速
するようです。
リハーサルのない私たちの人生は、毎日が本
番なわけで、私を含め秋後半から冬の季節を
歩む人たちは、何事も後回しが難しくなります。
体力的に動きづらいと言われる年齢に入るま
では、楽しめる日々を自ら開拓しながら生き
て行きたい。
そうして、その後に
開拓した時に蒔いたものを収穫しながら、二
度目の楽しみを味わう。そんな流れを創るこ
とができればいいなぁと思います。
「楽しめる日々?何それ?」
という声もきこえてきそうですね。
それには私も同感で
歳を重ねると、目新しいことを見つけても、
それについて行く気力が湧かない、また、い
ちいち反応しないことで自分を保っている現
状もあります。
しかし、
だからと言って消化試合的な時間の過ごし方
はしたくない。
そのため、残り時間を楽しみながら歩むにも
体力や気力、時間など、減りつつある中での
せめぎ合いになります。
それでも、私たちが命の期限を意識するの
は、自然災害や戦争など、衝撃的な事実を目
にした時ぐらい。ひとたび、それらのニュー
スから離れると、また今日に続く明日が来る
と漠然と意識を広げてしまいがちです。
そうして、
「また、いつか…」と先延ばしにしたその
「いつか」は二度と訪れることはなく、後悔
となって思い出される。
人生スパンで言うそんな後悔は、多くの人に
とって
【やってみようか迷った思いを
行動に移さなかったこと】
が浮かぶのではないでしょうか?
「あの時〇〇していたらよかった」という後
悔を「あんなことしても、どうせ時間のムダ
だった」という言い訳でやり過ごしたこと
は、結局動きが取れなくなってから、大きな
無念さとなって胸に迫るように思います。
行動といっても、
そんな大そうなことを言いたいわけではあり
ません。
例えば
・話の中で誰かが口走った本のタイトル、
・ネット動画で目に飛び込んできた風景、
・いつも通る道に掛かる新しいお店の看板
…など
ピン!と来たことをスルーしない!
興味を持ったことは、やってみる!
…など、その程度の話です。
ただ、変化に抗う私たち大人は言い訳をしがちです。
「一般的には…」とか
「普通この歳になれば…」とか
「時間やお金のことを考えると…」などと
行動を遮るための否定的なフレーズが頭に浮
かぶのですね。
確かに、
理性を働かせるとムダに思えて来ることもあ
るでしょう。
…というか
その方が多いかもしれません。
楽しみへの入り口は、日常のそこここに在る
はずなのに、行動を起こさず、いつの間にか
忘れてしまう。
残念ですね。
特に気持ちを向けなくても、日々が成り立つ
ものの中にこそ楽しみが隠れているように思
います。
フッと頭に浮かんだアイデア、
チョッと気になったフレーズがあれば、面倒
がらずに検索してみる。
こんなことでも後回しにしないクセがつく
と、その後の行動は変わります。
小さな入り口も、後から振り返ると人生を動
かす大きな分岐点になっていることがあります。
人との出会いもその一つです。
そして最後に付け加えるとすれば、出会いだ
けでなく、別れもその一つだと感じるように
なりました。それは、出口が入り口に繋がる
こともあるという意味です。
交流の先に展望が見えなかったり、不誠実だ
と感じる人や組織、グループなどからは、思
い切って離れる。
惰性でダラダラ関わっている時間や、そのた
めに費やす心身のエネルギー消費を意識でき
ると、自ずと答えは出て来ます。
もしあなたが今
「人生の風景、ここのところ変わっていない
なぁ」と振り返られているなら、時間の体感
速度も速くなっているのではないでしょうか?
それなら、
コロナ禍も明けたこの年末を機に楽しみへの
入り口に、チョッと心を寄せてみませんか?
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人が傷ついたり、怒りを覚える理由はいろい
ろありますが、中でも間違いなくそうなるの
が「無視」されたと感じる時です。
今月は、「報告・連絡・相談」を怠ることが
相手を「無視」することにつながり、人間関
係の破綻も招きかねない、そんなことをつぶ
やきます。
--------------------------------
報告・連絡・相談は大事だと言われ、社会人
ともなれば当然身につけておきたい姿勢です。
しかし、それがなかなか難しいということ、
仕事関係や家族間を問わず感じます。
そもそも
報告・連絡・相談は、語呂の良さや野菜の
「ホウレン草」の響きもあり覚えやすいから
なのか、それぞれの漢字の頭をとって「報・
連・相」と呼ばれますが、行われる順序は
「相談→連絡→報告」で「相・連・報」です。
まずは、
「相談」して、
その経過を「連絡」し、
結果を「報告」するという流れです。
コレを逆にして、
相談も無く、その経過の連絡も受けず、いき
なり結果を知らされても困るわけです。
ビジネスの基本などとも言われ、情報共有の
徹底もありますが、それ以前に私たちの心に
直接影響のある大切なマナーです。
たとえば、あなたは
突然、結果だけを知らされ
「そんなこと、聞いてないよ!」という気分
になった経験はありませんか?
驚くだけではなく、気分を害し、相手との関
係が悪くなったというようなこと….。
うまくいった結果だったり、今後もうまくい
きそうな計画でも、知らされなかったことで
傷ついたり、気分を害するのはどうしてなのか?
こんなふうに、順序立ててたずねられると
「当たり前でしょう」と誰もがわかると思います。
そう…
自分を置き去りに無視した形で進められたこ
とは、たとえ賛成できる内容であっても、相
当こころの広い人でないと、気分よく受け取
るのは難しいということです。
そう考えると、人は自分の存在を無いものの
ように扱われることは、反論されるよりも大
きく傷つくことがわかります。
ビジネススキルだとか何とか言う前に、相手
の心を逆撫でしてしまうわけです。
報連相を怠った人は、それなりに事情があっ
たのだ…と言い訳をしたところで、その態度
が意味するものは相手の無意識下にしっかり
届きます。
「無視」や「置き去り」「排除」など、存在
を軽く見たり、居ない者のように扱われた感
覚は、人が一番嫌悪することです。
その反応として、表面的には怒りや反対意見
が見られることも多いでしょう。
でも実のところ、心の底に芽生えた最初の感
情は「断絶された」とか「繋がっていない」
などのような「さみしさ」ではないでしょうか。
逆に、相談や協力を求められることは、自分
が認知され、大切な存在だと意識されている
様子が伝わります。
大変な相談や協力は迷惑だ、と感じる人もい
るでしょうが、無視、置き去り、排除された
のとは比較にならない気分だと思います。
場合によっては、伝えなければならないとわ
かりながら、そうできない事情があったのか
もしれません。
ただ、先延ばしにすると、いっそう成り行き
は悪くなる。目の前の保身にはなっても、最
終的に墓穴を掘ることに繋がってしまいます。
加えて、誠実さを欠いた態度は、周囲に気づ
かれないとしても、自分だけは意識できています。
さて、
その状態が及ぼす影響は何なのでしょう?
それは、私たちの心を支えてくれる「自信」
の在り方です。
相手を欺いたと思っていても、
その姿勢が、実は「自分を信じる力」を自ら
で削いでしまっている。そうして自信喪失に
繋がっていく。
この流れはなかなか気づきにくいです。
大人になると、目に見えるようなあからさま
な無視はしなくても「連絡をしない」「忘れ
たフリをする」など不誠実な態度をとる…。
真っ当な理由があれば、まだヨシとしても、
保身のためであれば、自信を失くす道に繋が
っていることを意識する必要があります。
そうは言っても、ウッカリは誰にもあったり
ちょっとした意地悪な気持ちで、つい…とい
うこともあるでしょう。
そんな時でも、
うわべを取り繕うのではなく、その行為が相手
に与えるさみしさや、自らに及ぼす影響を自覚
できると、その後の態度はずいぶん変化するよ
うに思います。
ちょっとしたボタンの掛け違いだと軽く見るの
ではなく、できるだけ早く誠実な態度を示すこ
とが賢明です。
これまで私は、カウンセリングの中で、こじ
れた人間関係について相談を受けることが多
くありました。
そこでしばしばお聴きするのが
「人間関係ってめんどうですね。」
というフレーズです。
正直、私もそう思うことがあります。
でもやっぱり人との関係に必要なのは、当た
り前だけど思い遣りだなぁ…と思うのです。
相手にさみしい思いをさせる態度をとってし
まっていないか?など
人間関係は、結局のところ、想像の翼を広げ
られるかどうかなのだと、、、。
ただ、その翼を広げたとしても、こちらの思
いも及ばないところでの傷つきを与えている
かもしれないし、
いくら伝えあっても、分かり合えないことが
多いと実感することもあります。
とりわけ、私は目の前のことに精一杯になり
がちで、ウッカリして大切なその翼を広げ損
ねることがしばしばです。
だからこそ
まずは「相談」して協力を仰ぎ
経過を「連絡」し助言をもらい
そして結果を「報告」することは
私が大切にしている人生態度の一つです。
これは、相手との年齢や性別、立場を超えて
通じる価値ある態度だと感じています。
時には面倒だと思うこともありますが
これからも、
想像の翼を広げ、伝え合うことを諦めずに進
みたいです。
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満たされない思いがあるから人は努力した
り、焦ったりしながらも前へ進もうとする。
貴い姿だと思います。
でも、それが過剰になると、息切れして、倒
れそうになってしまう。
そういう経験は、ありませんか?
最近「アップデート」という表現をよく耳に
します。スマホだけでなく、人の考え方にも
使われるようになり、私たち自身も日々向上
することを迫られているように感じます。
「アップデート」とは
更に新しいと書いて「更新」を意味します。
このままではいけない、変化しなければ…と
そんな感じでしょうか?
今月はカウンセリングでクライエントさんか
らよく聞く
「このままではいけない、変わりたい!」と
いうフレーズから感じることをつぶやきます。
さて、いきなりですが、
世界幸福度ランキングって、興味ありますか?
この調査が始まった当時、ブータンが1位だ
ったということはよく知られています。
そのブータンが今では順位が表示されないほ
どの圏外に下がっています。
ちなみに、
今年の1位はフィンランド、
日本は47位です。
ブータンは1997年にTVが導入され、他国
との比較が生まれ「隣の芝生は青く見える」
的な思いが影響しランキングが下がったと言
われています。
情報鎖国状態の時は幸せを感じ、
豊富な情報によってその感覚が急降下。
皮肉な話ですよね。
一方、
私たち日本人はどうでしょう?
このままではいけない。
何とかして変わらねば…。
どうしたら変わるのか?
と今の自分に満足できない。
また、
変えてやらねば…と
我が子の姿に不満が募る。
真面目な日本人にはあるあるかもしれません。
幸せや安定へと変化を追い求めるあまり、
不安と不満に満ち溢れ、身動きが取れなくなる。
「え?それはネガティブ思考な人のことでし
ょう?私には関係ないわ」…と言い切れる人
はどのくらいいるでしょう?
不要な資格取得や無理な住宅ローン
また、
過激なダイエットや美容フリークなど
成りたい自分が
成るべき自分に…
そして
成らなければいけない自分へと
義務感で日々が覆われる。
安心・安定や幸せを追い求めるための行動に
よって、逆にそれらが遠のいていく。
不足感が満たされることで
きっと今より幸せになれる…と
頭のどこかで無意識に思っている。
安心・安定など、それぞれの幸せを目指して
今に不足を感じ、
今日を平穏な気持ちで過ごせない。
努力することは辛いこと、
でも
不足を満足に変えるための頑張りは当たり前
だ…と歯を食いしばっている人は多いのかも
しれません。
焦りを伴っていても、努力する姿はポジティ
ブに見えるせいか、その裏に隠れている核心
の部分は見えにくいです。
核心の部分…それは、
今の自分やその現状を否定している…という
ことです。
アレも無い
コレも無い…と
不足や不満の、この「不」の部分にフォーカ
スするクライエントさんのお話から、これが
しんどさにつながっていると思うようになり
ました。
誰から言われるわけではない、
自分が自分に突きつける「不足感」。
この感覚が迫ることで見えて来る足りない状
態を、真実だと思い込んでしまう。
自ら作り出した不足感で、幸福感はどんどん
下がっていく。
何だか
ブータンの辿った道に似ていませんか?
生活が変わったのではなく
比較することで不足感が生まれ、それを不幸
だと感じるようになったのです。
今年の幸福度ランキングで
アメリカは15位
イギリスは19位でした。
もちろん、
控えめな国民性もあり、日本人は自ら幸せだ
という人は少ないのかもしれません。
しかし、
それにしても47位は低すぎる。
食べるに困ることはほとんどないこの国にお
いて、不足感の正体は何なのでしょう?
それは、評価や賞賛、学歴、生活のグレード
等、比較による差を感じることで生まれてい
るように思います。
自ら作り出した思い込みという狭い箱の中か
ら出られなくなると、私たちの心はどんなふ
うになるでしょう?
比較の対象になってるものは、こちらにお構
いなく常に変化します。それに影響され過ぎ
ると、私たちの心は疲弊して、更に進むと、
何のために生きているのかすらわからなくな
ってしまう。
では、
どうしたらいいのか?
まずは、
現状を受け容れ、足元を確認する。
たとえば
・つらいけれど、
毎朝起きられていること
・毎日出勤できていること
・子どもと食事ができていること
こんな当然のことを確認するなんて、無意
味に感じるかもしれません。
でも、こんなことはありませんか?
頭痛、腹痛、腰痛など、痛みの症状が出た時、
この痛みさえなかったら普通に動けるのに…と
途端に普段の状態が有難く思えてくるということ。
足りていることにフォーカスすると、何も
変わっていないのに、何だか気分が違って
感じられる。
そんなことはありませんか?
比較によって生まれた焦りの気持ちに振り回
されるより、現状の足りている部分に愛おし
さを感じられる方が、心のエネルギーに繋が
ると思うのです。
そして、湧き上がる興味の源泉を耕せる日を
信じて進む。
「急がば回れ」と言われているようで、
イライラする人も多いかもしれない。
でもやっぱり、これが近道。
生活を変えたわけではないけれど
気がついたら
不安や不満がサイズダウンし
焦りが少なくなり、気分が変わっている。
こういう変化がリバウンドの少ない変わり方
です。
このネット時代には、情報の取り入れ方、受
け止め方が、心身健康の鍵を握ります。
世界情勢を把握し、危機を回避するための情
報は有効ですが、他人の幸・不幸や成功の発
信を自分との比較に繋げると苦しみが生まれ
ます。
特に、
真面目な人や長男・長女気質の人、
また、育つ過程で「きちんと」「正しく」な
ど失敗が許されないスタイルを学んできた人
は、自己否定感が強くなり、苦しみも生まれ
やすいです。
それをストップするには、まずは自ら作った
思い込みの箱に入っている自分に気づくこと
が大切です。
いろいろ書きましたが、
人である以上、他人との比較をなくすことは
できません。
ただ、他人との差を埋めるために、外側に何
かを求め続けると心の健康を保つことは難し
くなります。
比較の気持ちが生まれた時には
ちょっと立ち止まって
「今の自分にとって
本当に大切にしたいものは何なのか?」
自問する余裕を持って居たいです。
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■ 編集後記 ■------------------------
これまで当たり前だと思い続けて来たことが
実は逆なのではないか?
一般的な考え方を無意識に取り込んで来たこ
とへのふんわりした疑問が、ある時、ハッキ
リとした形で表れる….いわゆる自分の中の常
識が動く….
そんな経験はありませんか?
今月はこのパラドックス的な気づきから感じ
ることをつぶやきます。
----------------
ここ数年私は、障害者に関する動画を観るこ
とが多くになりました。当事者自らの発信や
介護者から受けるインタビューなどリアルな
日常が垣間見えるものです。
これが、私のパラドックス発見の入り口にな
りました。
まず、
呼び方についての前置きをしておきます。
ここでは、生活に不自由が少ない人を「健常
者」、不自由な人を「障害者」と表現します。
人の状態を2種類に分けることなど、通常で
きません。こちらでは、あくまでもわかりや
すくするための表現です。
とにかく、それらの動画は今までなら隠され
ることが多かったであろう不自由さや外出先
での障壁がリアルに発信されていました。
健康が良い状態
障害を負っているのは良くない状態
いや、
良くない…ではなく、
健常者が考える「気の毒な状態」という気遣
い的な思い込みから、オープンにすることが
避けられてきたように思います。
これまでなら、ネガティブに捉えられがちな
このような現状は、オープンにしないという
のが暗黙の了解だったのでしょう。
それが最近では、「そこまで見せるの?」と
いうくらい開け放された状態で映しだされて
います。
初めこそ驚いたものの、見続けている内に
「これこそ制限のないネット界の醍醐味だな
ぁ」…と良い意味での驚きがありました。
それと共に感じるようになったこと、
それが、タイトルにもあるパラドックスです。
このことがハッキリしたのが、先日の芥川賞
受賞作・市川 沙央さんの「ハンチバック」を
読んだ時です。この作品は筋疾患の難病を持
つ当事者だからこそ描ける、自らを元に健常
者の想像を超えたストーリーです。
不自由さに対し言い放つ健康な女性の発言が
こんなふうに書かれていました。
-----
世間の人々は顔を背けて言う。
「私なら耐えられない。私なら死を選ぶ」
でもそれは間違っている。
私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。
-----
この件(くだり)を読んで感じたのは、普通
なら死んでしまいたいと思うくらいの不自由
さを抱えながら、強く生きる人を一般的に
「弱者」と呼ぶことへの違和感…これが私の
中に浮かんだパラドックスです。
健常者・障害者
どちらが弱者なんだろう?…と。
中でも市川さんが伝えたかったのは
読書文化の健常者優位主義だそうです。
その優位性とは次の5点です。
・目が見えること
・本が持てること
・ページがめくれること
・読書姿勢が保てること
・書店へ自由に買いに行けること
この5点から、重度障害者が読者として想定
されていない…と読書文化に問題意識を抱い
たそうです。
この5点について私自身、想像したことすら
ありませんでした。
近年そこここで聞かれる「支え合い」という
耳障りの良い言葉は、この国でどのくらい実
践されているのだろう?と考える時、満足に
は程遠いと思います。
弱者と呼びながら、その当事者の労力に甘え
る社会に矛盾を感じるからです。
動画の中には、いろんな工夫を凝らし、外出
に臨んでいる様子が映し出されています。想
像もつかなかった大変さを知ることで、私自
身、乗り物など外出先での目配りに変化がで
てきました。
障害をオープンにする潔さと共に、不自由さ
を周知させることで行動の幅を広げたいとい
う心意気が伝わってきたからです。
心の時代と言われて久しい昨今、
身体に不自由がなくても、耐えられないほど
に心の疲弊を感じている人は増えています。
しかし一方、どんな精神状態であろうと、生
き延びるために残された可動域をフル活用し
て、日々に臨まなければならない人たちが居
ます。
こうしてみると、弱者と呼ばれる人たちの姿
勢には圧倒的な力を感じ、勇気づけられま
す。健常者や強者だと思い込んでいる多数派
が与えたつもりになっている援助よりも、遥
かに力強く感じます。
障害を持っているから強いのか、
強いから障害を背負うように運命づけられた
のか?
そんなことはわからないけど、不自由が少な
い者よりずっとパワフルに思うのです。
乗り越えることなんて到底できない苦境を目
の前に、うまくすり抜ける工夫を編み出そう
とする姿勢が何ともたくましい。
それに加え、幸いにもこの時代には、工夫の
後押しするツールとしてデジタルデバイスが
あります。
視覚障害には音声で
聴覚障害には、字幕や振動で…。
スマホの過剰利用は事故に繋がり、
ゲーム依存など弊害もありますが
それにも勝る恩恵は多大です。
人の手を介さず、気兼ねなく頼れるデジタル
での支援は有難いのは確かです。
誰かに支えを求める時、
面倒くさいと思われないか?という懸念によ
って頼ることをためらう人が多いと思います
から。
そうは言っても、デジタルだけでは事足りず
時代が進んでも人の手や気遣いは重要です。
一般的に言われる「弱者」に対し、健常者が
「強者」であるなら、強者らしく、強者に相
応しい気遣いも育てばいいのに…と皮肉めい
た思いも湧いてきます。
これまでオープンにされることが少なかった
不自由さですが、今やネットを開けばすぐに
観られます。
現実を目にして、自分ができることを個々人
が自覚できれば、社会はずいぶん変わるだろ
うなぁ..と思います。
そんな意識を促す心がけとして、思いついた
ことがあります。
それは「かもしれない運転」。
覚えていますか?
運転免許取得の時に教えてもらった
予測しながら運転することで危険を回避する
アレです。
そこから
「かもしれない運転」ならぬ
「かもしれない地球の歩き方」が広まったら
いいのになぁと願います。
そうすれば、
弱者とか強者とか、他いろんな生きづらさの
元になる境目がすこし薄くなるかもしれませ
ん。
-------------
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なんでだろぅ、
気分が沈む…。
コレといった原因もないのに….
そんな経験はありませんか?
理由があって気分が落ちるのはわかるけど、
それがない時も気持ちが沈むことがあります。
まぁ色んな影響を受けて生きているので、
そういうこともあるでしょうけど。。。
ただ、そんな中でもチョッと気をつけること
で、気分が沈む頻度を減らすことができるの
ではないか?と思っています。
そこで今月は、6/18に起きたトラックとバ
スの衝突事故から、改めて思い至ったことを
つぶやきます。
え?
気分が沈む頻度と今回のニュース
……何の関係があるの?
と思われたかもしれません。
いえ、今回の事故に限らず、私は以前から、
ニュースの取り入れ方が、気分に影響すると
感じていました。
そして今回、衝突事故を伝えるニュースの後、
時間を置いて流れてきた「豚の様子」につい
ての配信が気持ちに引っかかり、興味をそそ
られたのでのです。
というのも、
気分への影響を考えると、これを「観ない」
という選択もあると思ったからです。
これは
心の状態によっては、ニュースを「観る・観
ないの選択」や「観るタイミングを図る」必
要があるという意味です。
私は、自宅にTVを置かなくなって5年が経
ちます。
いつ頃からか、自然とTVを観なくなり、
実家にTVを譲りました。
私は、視力が低く眼精疲労もひどいので、現
在、情報入手は音声によるものがほとんどです。
音声で流れてくるものの中で、興味深いもの
については、ネットで詳しく見る、そんな感
じです。
冒頭でも書いたトラックとバスの衝突事故に
ついては、TVがなくても、スグに音声情報
で知ることができました。
しかし、その後「トラックに積まれていた豚
が大変なことになっている」というニュース
は、これを書いている今日(6/22)知りました。
想像するだけでつらく、映像は観ていませ
ん。しかし、このメルマガで取り上げるため
に検索窓に「トラック バス」と入力しました。
すると、「事故 豚」というワードが続いて
表示され、関連動画がズラッと出てきました。
世間の人はこれを観ているのか…と思いまし
た。そして、その後、2人のクライエントさん
のお顔が浮かびました。
その方たちには、これらの映像を観て欲しく
ないなぁと思ったのです。私は実際、観てい
ないのですが、音声情報で知った限りでは、
心痛むものでした。
もちろん、事実を知ることは大切です。
ただ、
心の状態に合わせて「観る・観ない」を選択
する意識を持つことは重要だと思います。
この事故に限らず、垂れ流されるニュースの
中には、私たちの気分を落とすものが含まれ
ています。
自宅にTVが在った時は、観ない方がいい映
像も流れて来るままに観ていました。
でも今、観るのは実家で、たまたまTVがつ
いている時くらいです。
たまにのことでも、気分が下がると感じるも
のは、その感覚をスルーできず、スイッチを
切るようになりました。
自分の気持ちが受けつけない感覚が意識に上
るようになったからです。
昔と違い今は、国民総カメラマンのようにな
り、美しいものも、そうでないものも映像を
伴い、瞬時に伝えられるようになりました。
それらの中には
心地よい風景、
為になる知識、
共感できる実話
….など
日々の楽しみに繋がる内容がある一方、
気分を下げるものもたくさんあります。
映像に限らず、芸能人の噂話や知らなくても
良い裏情報まで、検索次第で入手できるよう
になりました。
私たちの感覚は、
鳥のさえずり
川のせせらぎ
木々の緑
…など
心地よいと感じられるものによって、気分が
落ち着いたり、安心やくつろぎを感じたりし
ます。
その逆で、
目を覆いたくなるようなこと、衝撃的なもの
に触れると、心が曇ったり、気持ちがザワつ
いたりします。
日ごろ、目にするもの、耳にするものの中に
知らず知らずの内に、気分に影響するもの
があるのです。
ここでポイントになるのは
「知らず知らずの内に」というところです。
知らず知らずの内に気分がアップするのは良
いのですが、そうでないものについては注意
が必要です。
なぜかわからないけど気分がアップする時、
その様子を振り返ってみると、そこには元気
を誘う表現が散りばめられていることに気づ
きます。
逆に
気持ちが沈んでしまう時は、ネガティブな気
分に導くワードがばら撒かれていることが多
いです。
そういうことから、情報を「選択する」また
「取り入れるタイミングを図る」意識が必要
だと思うようになりました。
相手が人でも同じです。
・陰口が多く
・否定的で
・後ろ向き
…な人との触れ合いより
・にこやかで
・肯定的な態度の
・心地よい言葉をチョイスする人
…との時間の方が気分が良いですよね。
それと同時に
自分の口を突いて出る言葉
頭に浮べるイメージは特に
私たちの気分を大きく左右します。
日々過ごす中で、
情報入手を選択したり、口を突いて出る言葉
に意識を向けるのはも難しいかもしれません。
それでも、
その意識を続け慣れてくると、そうすること
が当たり前になってきます。
「あんなことがあったからやる気がしない」
「あの人の振る舞いで気分が悪い」
毎日いろんなことがありますよね。
でも、
自分の気分をコントロールするのは
誰にも代わってもらえません。
それなら、
できる範囲で、ネガティブな事柄との関わり
を意識して、少しでも快適な気分で日々を送
りたいものです。
梅雨真っただ中の今、空模様はどうにもなり
ませんが、心模様はちょっした意識で何とか
なることもあります。
少しでも気分よく過ごしながら
元気に夏を迎えましょう♪
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]]>「親子でも腹を探ることがあるのだから、
他人さんとの間ではありがちよね」
と先日、
女同士の何気ない会話の中でこんなことを耳
にしました。
その時、
私は、この「腹を探る」という表現にギョッ
としました。
「腹を探る」という言い回しに何とも言えな
い不快な気分になったのです。
なぜそんな気分になったのか?
そこで、
今月はこの「腹」にまつわる発言について考
えることにしました。
「腹」と言えば
・腹づもり
・腹を割る
・腹黒い
などの表現があります。
「おなか」の意味の他に「気持ち」や「本
音」といった心の奥の状態を示します。
私たちは人と関わる時、相手の気持ちを推し
量りながら会話を進めますが、これは腹を探
りながら…という行為になるのでしょうか。
「推し量る」というのは相手の気持ちを想像
する心遣いも含まれるように感じます。
一方、「腹を探る」という表現にはとてもい
やらしい感じを持ったのです。
気持ちを汲むという思いやりからではない、
正に腹黒さがうかがえたからです。
ここで使われた「腹」について、私なりに考
えました。
「計画」とか「算段」「魂胆」「策略」…そ
んな意味合いが浮かびました。
そう思うと
この種の「腹」を無意識にでも感じ合うこと
で、人間関係に煩わしさを感じてしんどくな
るのが私たちなのだろうなぁ…と。
そんなことを考えている時に浮かんだのが、
LINEグループでのやり取りでした。
グループでの決定事項について発信した私の
メッセージに返信が来ない様子から感じたこ
とです。
思い返せば、これまでにも他の方の発信につ
いて同様に感じたことがありました。
その様子を思い返すと、
最初に返信するのは、ほぼ「いつも同じメン
バー」です。
一人が返信すると
それを追ってボツボツと他の人も返す感じ。
既読サインがつくので、みんな読んでいるこ
とはわかっているのです。
最初の返信までの沈黙の間、誰がどんな返信
をするのか様子見している状態が伝わってき
ます。
私は、その「いつも同じメンバー」の中の一
人です。
ただ、
よく考えて返したメッセージでも、誤解を生
む表現になることもあります。
でも、
その時はその時で、訂正してわかって貰えば
いいわ…というスタンスなので返信を控える
ことはほとんどありません。
意見を表明せずに静観して居ることが良い場
合もあると思いますが、腹を探るための様子
見の静観はどうなのでしょう?
1対1だと意見を伝え合うのに、グループに
なるとだんまりになる。
この種のことについては、他の場でも話題に
上ったことがありました。それは、ママ友グ
ループのやり取りについてです。
その人は、自分の発言が最後にならないよう
に気にしていました。
最初の発信も気が引けるけど
発言が最後になるのも避けたいと言ったのです。
返信しないわけにはいかないが、目立ちたく
もない。
メンバーからの反応がとても気になる様子が
伝わってきました。
片や私の場合は
黙っておく方が大変で、心の中で自分の口を
塞ぐように努めなければなりません。
こういうスタンスは、社会人としては未熟だ
と分類されるでしょう。
なぜなら、自分のメリット・デメリットを熟
慮し、賢く対応するのが大人の姿だとも思う
からです。
現に私は、口火を切ったことで、貧乏くじを
引いたり、助けを求め周囲に面倒をかけたこ
ともあります。
ただ、そういう危惧を感じながらも、私には
大切にしていることがあります。
それは、「タイミング」です。
このタイミングは2つの意味を含んでいます。
1つ目は、
タイミングを信じる
2つ目は
発信のタイミングを図るということです。
1つ目の
「タイミングを信じる」というのは、
そのタイミングで考えついたのだから、発信
するに値することなのだ、と湧き上がる思い
を信じるということ。
人生の蓄積によって芽生えたと理解し、自分
の発案を信じる材料にしていくということです。
2つ目の
「タイミングを図る」というのは
・即発信するのか?
・伝える時期を見計らうか…のタイミングです。
というのも、
発言しようとする内容が、これまで続けられ
て来た事柄への進言である場合、それを担っ
て来た人の気持ちを大切にしたいからです。
その配慮としてのタイミングが必要だと感じ
ます。
一方、
自分がどう思われるか?という人目が気にな
るだけであれば、思いついた時が発言時かも
しれません。
なぜなら、
思いが浮かんだにもかかわらず、発言を先延
ばしにすることで、心配材料がチラつくから
です。
そして、目的よりも保身の気持ちが働くと、
アイデアを引っ込めてしまいがちです。感性
が理性に抑えられるケースですね。完璧を求
める人には多いかもしれません。
もちろん、
取り返しがつかなくなるような重要な判断で
は、先の先まで見越した発言が必要です。
でも、
そうでない場合まで、石橋を叩くような態度
が求められるのか?といえばそうでもないよ
うな気がします。
私にとって本当の失敗は、
「伝えておけばよかった」
と発言を見送った時の後悔です。
タイミングを考えながらも
自分から湧き上がるものをスルーしない。
このスタンスが私にとって良いと感じるの
は、同じような姿勢の人と繋がれるというこ
とです。
その結果、
腹を探らず、ラクなつきあいができます。
「ラクなつきあい?」
「あなたが感じているだけじゃないの?」
…と言われるかもしれません。
そうです、
そのとおりです!
他人が何を思っているのか、私にはわかりません。
他人の心は、他人のものですから…。
それと同時に
自分の気持ちは自分のもので
自分の機嫌を良くしておくためにも、健康な
精神状態を保っておくことを他人に肩代わり
してもらうことはできません。
それなら、
周囲への気遣いを忘れず
目的に沿って、自分の気持ちを伝える態度に
知恵を使えばいいのではないか?と思うのです。
慎重な姿勢を忘れてはいけないけれど、他人
の反応を気にし過ぎて、迷いの中で時間を費
やすほど人生は長くない。
いつもそんな思いで居ます。
さて、
あなたは自分の「腹」を
どのタイミングで
どんなふうに伝えておられますか?
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「えっ、何それ!」
「それって、おかしくない?」
新たな場所に所属すると、自分の知る常識と
は違うルールで物ごとが運ばれる様子に、驚
く事があります。
「私はこう思うけど、
他の人はどう思ってるのかなぁ?」
「私は従う気になれないけど、
皆さんはそれでイイの?」
…など
じわじわと疑問が湧き上がる。
こんな経験はありませんか?
新年度に入り、
新たな場所で活動が始まった方も多いと思います。
そこで今月は、
新たに現れた常識への対応として「本来の目
的に立ちかえる」姿勢について綴ります。
そこここに在る暗黙のルール
一般常識と言われるものの他に
その場特有の常識や慣習ってありますよね。
その常識への疑問や違和感は日毎に薄れ、馴
染んでいく、馴染ませていく…そんなふうに
社会へ適応していくのが通常でしょうね…。
馴染んでいかないと、そこに居続けるのは難
しいですから…。
ただ、そんな中でも
「なんだかなぁ…?」と
しっくりこない思いを引きずりながら過ごさ
なければならないこともあります。
そんな腑に落ちない成り行きに、人はどのよ
うに対応していくのでしょう?
ただ、
対応と言っても、自然に馴染んでいることも
多いでしょうから、なかなか意識に上ってこ
ないかもしれません。
そこで
意に沿わない時の反応を私なりにタイプ分け
してみましたので、あなたもいつものご自身
を思い出してみて下さい。
1)積極的に馴染んでいく円満タイプ
2)周囲と折り合いをつける合意形成タイプ
3)自己主張気味の反論タイプ
詳しく観ていくと、もっと細かくわけられま
すが、ここではこの3タイプにしておきます。
こうしてみると日本では
3)の反論タイプは少なく、
1)の自ら馴染んでいくタイプと
2)の周囲と折り合いをつけながら、自分の思
いを発信するタイプがほとんどでしょう。
ということで
1と2を検討します。
まず、
1の積極的に馴染むタイプは、
相手との間に波風を立てないように、自分の
思いを抑えて同調する感じ。
明確な意見があっても、立場によっては意見
を抑えざるを得ないこともあると思います。
つらいところですよね。
それでも、周囲と対立しないという点では、
この姿勢は大切です。
2の折り合いをつけるというのは、
周囲と自分の意見をすり合わせながら、互い
に納得できる妥協点を探し、話を進める。
この2番が難しいのですよね(>_<)
周囲の意見や雰囲気を尊重しつつも、自分を
抑え過ぎず、タイミングを見計らって思いを
伝えたり、行動に移す。こんなふうにうまく
折り合いをつけながら、関わって行くのは簡
単ではありません。
それでも、
周囲がこの姿勢に協力的だといいのですが、
そうでない場合は難しいです。
例えば
否定的な雰囲気や無反応なケースです。
このような感じだと、タイミングを見計らう
のも大変です。
それなら
2のように、同調する方がすんなりいっ
て、いいんじゃないの…とも感じます。
ただ、
それが度重なるとしんどくなるのですよね。
というのも、
周囲との摩擦は生まれなくても、自分から生
まれる違和感をスルーすることは、自分をあ
ざむくことでもあるのでストレスにつながります。
そして何より、
自らで考える力が衰えて、人生を楽しく生き
ていくエネルギーも削がれていきます。
それなら、
どうすればいいのでしょう?
そこでお伝えしたいのが冒頭でも書いた
「目的に立ちかえる」思考です。
当たり前のことのようですが、うっかり忘れ
がちです。
いつものように処理されて行く様子にがっか
りしながらも、適当な手立てが見つからな
い。その場の雰囲気を読みながら、いろいろ
考えるが、うまく言葉が出てこない。
そういうことで
いざ言葉にすると目的そっちのけで攻撃的に
なったり、または、早く話を終わらせること
がゴールになって、本意を伝えられなかった
りする。
その結果
意見を通す思考が優位になると、たとえ口に
は出さなくても
「私が正しい!」
などと思い込みが湧き上がり、怒りの気持ち
がグルグルと巡る。
本末転倒な話です。
そのような悪循環を感じた時、
「何のためなのか?」と
目的を振り返ることができるとどうでしょう?
そう心の中でつぶやけた時点で
すでに客観的になれて居るし、
自分の意見が目的から外れていた場合は修正
できます。
目的ベースで話すことは、利己的な意見にな
らず、発言の主旨も認められやすいはずです。
さて、
ここまで読まれて、
あなたはこれまで、腑に落ちないことに出く
わした時、どんな反応をして来られたか思い
出されましたか?
もちろん、
誰しもトラブルは好みませんから、多数派や
立場の強い人の意見に従ったり、意味なく続
いて来た慣習をそのまま踏襲せざるを得ない
こともあるでしょう。
しかしそんな時だからこそ
目的を振り返ってみる。
「何のために行われているのか?」
「何の目的で続けられて来たのか?」
目的確認は、頭が整理されるとともに
その場の進め方や
関わり方の判断材料にもなります。
例えば、
・意見をさし挟まず、従って良いことなのか?
それとも
・少し、角は立つかもしれないけれど、思い
を伝えてみても良いのか?
流れに任せたままではなく、
自分の言動を自分で選択する感じです。
もちろん
何にでも目くじらを立て、ムキになる必要は
ないと思います。
ただ、状況がスムーズに流れることを優先し
過ぎると、モヤモヤした気分が溜まり、精神
的にしんどくなります。そうして心は曇り、
自信を持てない日々に繋がっていきます。
最近、
「心が晴れないなぁ…」と感じている方、
湧いてくる違和感をどんなふうに扱って来ら
れたでしょう?
何となく
やり過ごしてはいなかったでしょうか?
自分の言動を、目的を持って選択してみると
気分が変わってきます。
この連休に
ちょっと、振り返ってみる時間をとってみませんか?
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「また会いたい」とか
「末長くおつき合いしたい」とか
関係をつなげていきたいと思える人との出会
いがたまにあります。
私たちの日常は、酷く傷つけられることはな
い代わりに、つきあい続けたいと思える出会
いも、そうたくさんはありません。
そんな中、
ここ最近で出会えた人の振る舞いから、改め
て感じることがありました。
それは、特に目立つものではないけれど、
自分が大切にされた…という安心感でした。
どこから来たのでしょう?
この感じ…。
そこで今月は
何がそういう気分を呼び起こすのか?につい
て振り返りました。
例えば、
私が思い出したのはこんな振る舞いです。
・つい忘れてしまいそうな場面での温かいあ
いさつ
・複数人で話している時に自分にも注がれる
話し手の視線
・途中で遮られた話を戻し入れてくれる声かけ
….などです。
あなたは、どんな場面が思い浮かびますか?
上記以外にもいろんな場面があると思います
が、やはり誰しも、自分が大切にされたかど
うかは、気分の分岐点になりますよね。
「あなたの存在を感じていますょ」…と、受
容されていることがわかるささやかなメッセ
ージが伝わって来ますから・・・。
一方
視線を外されたり、話をスルーされるなど、
ぞんざいに扱われたと感じた時は悲しくなり
ます。憤慨や孤独感に繋がることもあるでし
ょう。
こう考えると、人の心は見過ごされそうな小
さなメッセージからも、折れたり支えられた
りするのだと思います。
それなら、自分が支える側の態度を心がけれ
ばいいのだ、と思いながらもそれがなかなか
難しいのが私の現状です。
単に、気がつかないということもあるけれど
それにプラスして、私にはこんなことがあり
ます。
人と関わる時、両者の間に生まれる相手を思
う熱量のバランスを測る自分が居るのです。
例えば、
・こちらは気にしているのに、
相手はそれほどでもない。
・こちらは楽しみにしている約束を、
相手は軽くキャンセルする。
そんな肩透かしをくらわないように、無意識
に少し控えめな熱量で関わりに臨んでしまう
ことがあります。
歳を重ねたせいなのか、できるだけ傷つかな
いように関係を保つ術を身につけてきたのか
もしれません。
そういう姿勢で居ると、傷はつきにくいけれ
ど心が通うつき合いには発展しにくいです。
そして薄いままの関係が続いてしまいます。
そんなことを考えながら周囲を見渡すと、
友人の中に一人居ました。そんな術を度外視
して人づき合いを進める人が…。
熱量高く関わることで傷つくことも多いよう
だけど、裏表を感じさせず、安心してつき合
える人です。
何でもそつなくこなし、しがらみ少なくクー
ルなつきあいも良いけれど、熱量を感じる人
に出会うと私はホッとします。
そしてその友人は、いくつになってもチャレ
ンジングで楽しめる人生を歩んでいます。
どうすれば良い人生を歩めるかなんて、歩い
ている途中にはなかなかわかりません。
それでも、
相手を大切に、丁寧に関わることで紡ぎ出さ
れるものがあるのだと、彼女をみて感じます。
流れる日々の中で、心に留まる小さなことに
も、心ある態度で反応できるように、私もな
りたいです。
そしてその姿勢は、誰かを支えると同時に
自分を支えてくれてるのだろうと思います。
]]>≫≫音声朗読版
あなたは、
マウントを取られて、嫌な思いをしたことは
ありませんか?
また逆に、
あなた自身がマウントを取ったことに気づい
て、後悔したことはありませんか?
自分の方が優位だとアピールして主導権を握
ったり、相手の劣等感を引き出して気分を害
するマウンティング、
タイトルには「取ったり、取られたり」とつ
けましたが、マウンティングなんて無縁だ…
という方は何のことかわからないかもしれま
せん。本当はそう在りたいです。
でも、そうはいかない所で生きている方へ、
少しでも参考になれば….という思いで、マウ
ント発言を分解しながら考えていきます。
・・・と、書いたものの、私はこれまでマウ
ンティングについて深く考えて来たわけでは
ありません。それが、ほんの数ヶ月の間に、
驚くようなマウント場面を見たり聞いたりし
たことから、興味を持って考えるようになり
ました。
そうすると、
マウントを取られる被害者側だけではなく、
自分がマウントを仕掛ける側に回っていたの
ではないか?とも想像できる恥ずかしい過去
も思い出しました。
そこで、
マウントされた時の気分の対処と無意識にで
も自分がマウントする側にならないための対
策も含めて、ここで考えていきます。
初めに、
マウントを仕掛ける側の心理を想像してみました。
大きくはこの3つです。
1)優越感に浸りたい
2)主導権を握りたい
3)尊敬されたい
これらを思い浮かべることができると
された時の気分の対処も、
しないための意識を強く持つことも、
案外カンタンだと思いました。
なぜなら
マウントされた時、相手はこんな気の毒な心
情なのだと思えて、哀れみさえ湧いてきます
し、自分がマウントを仕掛けそうになった時
自分の本音が見えて恥ずかしくなるからです。
そこで、
私自身が思い出した事というのは、こんな経験です。
心理学を学ぶ中で精神医学界の大家から教え
を乞うた経験があると、訊かれもしないのに
話したことです。長く生きていればそんな経
験があっても当たり前で、自慢することでも
ないのに、言ってしまったのです。
ただ単に経験として関連場面で話すことがほ
とんどではありますが、でも、教えてもらっ
た内容以上に高名な先生の名前を出すところ
が何とも恥ずかしいわけです。
有名人とのツーショットを見せびらかす人の
心理にも似ていますね。
もう一つ、よく見かけるのが
小難しい専門用語を多用するケースです。
「それどういう意味?」と聴いているこちら
が思い巡らせている間に話は進んで行く。結
局、伝わってこないのだから、何が目的なの
かが怪しくなるのです。これも、マウントの
一種だと感じたりします。
こんなふうに振り返ると、相手を酷く傷つけ
るようなマウントよりも、喉元に小骨が刺さ
るようなちょっとした自慢を伴うものが大半
を占めるように思います。
そう思うと
年長者の苦労話や自慢話も度が過ぎるとウン
ザリさせる上に、マウントにも繋がりかねませんね。
私自身が気をつけねば、と思えてきます。
教訓として伝えることと、
苦労話や忍耐力の強さ、
知識自慢や人脈自慢のひけらかしは紙一重。
そんな中、
有難い教えをくださる方の発言は、鮮やかな
リスペクトに繋がります。
片や
亀の甲より、年の功と言わんばかりのお節介
発言は底の浅さが透けて見えます。
加えて感じることとして
同じ表現にも関わらず、人によって与える印
象の違いです。
例えば
「私はこんな本を読み、こういう順序で学び
を深めて来た。参考にすると良い」というア
ドバイスを頂いた時、
それが
・自慢げで、嫌味に聞こえる人
・正直な方だと感じられる人
・この人についていきたい!と
広い背中を感じさせる人
これらの違いは、
日頃の人あたりなどから汲み取られるその人
のキャラクターが作り出すのでしょうね。
つい口に出た自慢にもつながりそうな表現で
あっても、相手を思いやる姿勢を持つ方のそ
れは、可愛く思えたりすることもあります。
一方、
いくら事実でも、相手を軽く見る温かみが感
じられない人からは、それなりのものしか伝
わって来ません。
マウントされた場合の気持ちの対処を…と書
き出しておきながら、私自身への自戒が多く
なりました。
本題に戻り、
マウント被害者になることが多い方へは
傷つくようなマウントを仕掛けられた場合は
一旦は腹が立つものの、冒頭にも書いた相手
側の心理状態を思い出してもらいたいです。
1)優越感に浸りたい
2)主導権を握りたい
3)尊敬されたい
相手の心情がこんな可哀想な状態なのだと推
察できれば、苛立つことすらアホらしくなる
でしょう。そして、そんな相手は、できる限
りの方法で放っておきたものです。
最後に
この件に関わらず、対人場面で強く思うこと
はいつも同じだ思い返しました。
それは
「心の中で何を思うかは、その人の自由。
でも、それをどう表現するかに知恵を使える
かどうかが、その人格をも左右する」ということ。
日頃から相手に温かさを注ぎ、ウィットの効
いた表現で包み込むような態度がとれる人に
私は、憧れます。
相手の心を挫く(くじく)のではなく
関わる人の気持ちを、
そして、
何より自分の気持ちを、
上向ける表現力を持つことに意識を向けてお
く・・・それがマウント発言も含めネガティ
ブな気分から元気を復活させてくれるように
思います。
今月は、マウントについての傾向と対策をお
役に立てて頂ける形で綴る予定でした。それ
なのに、月末の今日、ギリギリの今、まとめ
た内容が、自分への戒めの方が大きくなって
しまったこと、お許しください。
読んでくださる方の中で、たったお一人で
も、この内容が参考になれば、幸いです。
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突然ですが
こんなことを頼まれたら
あなたはどうしますか?
「10億円で今後のあなたが受け取る感動を売
ってください」
…という申し出です。
これは、
10億円と引き換えに、ポジティブ・ネガテ
ィブを交えた、今後あなたに起こる心動く感
覚を渡してしまうという意味です。
ここでは「10億円」と表現しましたが、金
額は100億でも一兆でもイイのです。とにか
く、想像もつかないほどの金額です。
一生贅沢をしても余りあるほどの財産が手に
入る一方、今後一生心動く感覚を味わえない
という交換条件です。
どうでしょう?
あなたならどうしますか?
中には、ネガティブな感覚を味わいたくない
から「売ってもかまわない」という人がいる
かもしれません。でも、ポジティブな感動も
ろともなくなってもいい…という人は少ない
と思います。
また、10億円で感動を売る、、、なんて
一見、あり得ない話で、本気になって考える
のはバカバカしいと思う人が居るかもしれま
せん。
しかし、
全く考えるに値しない話でもないようです。
なぜなら、
気持ちを抑え過剰に働き、うつを患ったり、
時間に余裕がなく家族関係が希薄になった
り、挙句の果てに起こった過労死などの話を
耳にすると、感動を売ったのと変りないと感
じるからです。
また、
これほどまでに酷い状態に陥らなかったとし
ても、お金や対面のために大切なものを犠牲
にしていると気づかないことも多いと思います。
「10億円で感動を売れるか?」
この問を投げかけられた時、
私自身ハッとしました。
私の場合、
一番に浮かんだのが、娘との時間を削ったこ
とです。
シングルでの大変さはありましたが、子育て
の大切な時期に仕事を優先したことについて
は、取り返しがつかないという思いがあります。
もっと毎日、話を聴いてやれば良かった。
毎年旅行をしていれば良かった。
….など、今となっては後の祭りです。
時間を何に変えるか…それが私たちの人生の
質に関わってくるのは分かっていても、なか
なか行動に移せなかった。
いや、
若い頃は永遠に時間があるように感じ、そん
なことに考えが及ばなかったのだと思います。
高齢になって、やっと思い至る、
時間の質は人生の質につながっていること。
時間を何に使えば有効なのかは、みんなわか
っているのだと思います。
それは、誰もが持って生まれてきたもの、
「貢献欲」を満たすことでしょう。
誰かを喜ばせたいというその思いは、まずは
お母さんを喜ばせることから始まった人は多
いと思います。
誰かが喜ぶ様子が
自分の喜びに変わる。
そのような感動が自分の幸せにつながること
はわかっているのに、身近にある安定重視の
必要条件に心惑わされてしまう。
ご相談を受ける中で、こんな話を聞くことが
あります。
離婚したいけど、生活の安定を考えると別れ
られない、と子どもにも辛い環境を強いてし
まっている、、、とか
悪口が横行する、腐った人間関係がはびこる
職場でも、
「自分は他の会社では通用しない」
…と転職を諦めたり、
高齢の方からは、ボランティア活動をしたい
けれど、今は無理。定年退職してから始める
つもりだ….
という話など。
このような話を聞くと、
冒頭の「10億円で感動を売るかどうか」の
選択に重なってくると思いませんか?
日々の心の動きは細切れということもあり、
感動を売っているとは感じにくいでしょう。
けれど、このことに鈍感で居ると、心動く時
間は確実に減っていく。
そうして、
二度と戻らない時間が
どんどんこぼれ落ちていく。
この事実は、
大切なことなのに、忘れがちです。
年頭にあたり、
自戒の気持ちも込めてつぶやきました。
あなたの1年が
どうか上質な時間の連続でありますように…
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
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■ 編集後記 ■------------------------
「なんとなーくなしくずし的に始まって
楽しかったね。で終わりです。」
これは、私が毎月参加するある講座の主催者
が私にかけた言葉です。
今月の講座では、私が担当する出し物があり
ました。参加者70名で立ち見が出るほどで
少し慌てた私。
終了後の言葉ではありましたが、場の雰囲気
に委ね、楽しむことを優先する彼女の構え方
に安心感を感じました。
だいぶん緩んだとはいえ、まだ「ちゃんとし
たものを!」の気持ちが残る私には、年頭か
ら心地よい風が吹いた感じです。
今年も、気づいたことをピックアップしてつ
ぶやきます。どうぞよろしくお願いします♪
↑↑↑↑
ここをクリックすると
下記内容の朗読をお聴き頂けます
「だから私はうまくいかない」
口に出すことはなくても
気づいたら、心の中でつぶやいている。
毒親とか
親ガチャとか
アダルトチルドレンとか….
他にも親に関わることに限らず、
コントロールが効かないところから受けた影
響によって、うまくいかない人生を歯痒く感
じたことはありませんか?
あんな育て方をされたから….
あの時、あんなことを言われたから….
…と現状を誰かや、何かのせいにしてうつう
つとすること。
私自身30代前半までは、どっぷりその思考
に浸かっていました。
自分の力ではコントロールできないこと、
どうにも巻き戻しができない過去の出来事を
軸にして、つらい思考が巡る。
何かあると、
いつもそこに引き戻される感じ。
新たなことを試みるにしても、そんな思考が
続いていると、ブレーキをかけながらアクセ
ルを踏んでるようで、エネルギーばかりを消
耗させ、前には進まない。
それに気づきながらも、なかなかブレーキを
外せない。
そんな気持ちに風穴を開けてくれるような考
えはないものか?
そこで、
お勧めしたいフレーズをご紹介します。
それは
「固めてしまった考えに
自分を閉じ込めるな。
いつも自由でいていい。」
これは、
家族心理臨床家の団士郎さんの言葉です。
私たちは、同じ思考を往き来することで、
その思いを一層強くします。それが自分を励
ます思考ならいいのですが、その逆ならば、
心は内向きになり、固まって解けにくくなり
ます。
新鮮な空気を吸うこともできるのに、いつま
でも自分が吐き出した古い空気を吸って、頭
はスッキリしない。
対象となる相手や事象を責め、
「私はまちがってない」
と自分を肯定させるように確認しても
一向に心は晴れない。
それならいっそのこと
なんでもイイから、
自分を楽にする考え方を取り入れてみてはど
うか。
そんな時、気持ちの切り替えを促してくれる
のが先のフレーズ
「固めてしまった考えに
自分を閉じ込めるな。
いつも自由でいていい。」
もちろんたくさんの影響を受けて、今がある
わけで、そこにうまくいかない原因が含まれ
ることもあるでしょう。
でも、
現在では傷つきを回復につなげるステップに
辿りつくことは、比較的スムーズで、努力の
方向も見えやすくなりました。
そして、
私たち大人は、嫌なものからは離れ、心地よ
いものを取り入れる力も持ち合わせています。
大人になった私たちは、上手くいかない理由
を誰かや何かのせいにし続けることはできま
せん。
加えて、
幸せになることへの試みを誰かに肩代わりし
てもらうこともできません。
それならば、
上手くいかないことを嘆くよりも、自由でい
ていいことを自覚して、コントロールできる
ことから少しずつ手をつけていく。
迷惑をかけないことなら、
いや、
少々迷惑をかけても、誰かを傷つけないこと
であれば、迷わずトライしてもいいんじゃな
いかと思うのです。
来年は今年以上に
変化する世情に心揺さぶられるかもしれません。
そのような中、
幸運を招く考えを選択できる人になっておく
ことは、とっても大切です。
心の奥にある寂しさや、人生の課題が一気に
解消するわけではないけれど、日々の安定し
た気持ちは自らで保っておきたい。
そのためにも
心はいつも自由でいていいことを旨に
自分のハッピーを見つける姿勢を忘れずに居
たいです。
2023年も
新鮮な空気を吸って、爽やかな歩みを進めら
れますように。
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