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コロナ禍の渦中から10年後の様子を描い
た小説を読みました。
本のタイトルは「私たちの世代は」です。
著者は大阪生まれの瀬尾まいこさん(50)です。
コロナについては、完全に終息したとは言
えない現在、将来への影響に懸念を持ちつ
つ読み進めました。
読みながら、
私たちは好むと好まざるとに関わらず、時
代の影響を受けているとつくづく感じました。
そんな中で生きる私たちが、少しでも心強く
感じられる考え方はないものか?...と、
今月はこの視点からつぶやきます。
小説の内容は、
当時小学3年生だった女子が就活に向かう
頃までのストーリーです。
登校が始まっても友人たちと自由に交流で
きない様子や、親子関係のストレスなど、
心の機微が綴られていました。
将来、コロナを経験した子どもたちが何と
呼ばれるようになるのか?
コロナ世代?
マスク世代?
わからないけれど、マスクやソーシャルデ
ィスタンスを強いられたからこそ生まれた
傾向が取り沙汰されるのだと思います。
バブル世代や
ゆとり世代という表現も
望まず受けた影響が凝縮されたものです。
ただ、振り返ってみるとコロナに限らず、
何の前触れもなく私たちの生活が変わるこ
とはそんなに珍しいことではありません。
小説の中では、
ホームステイ期間中、主人公はクラスメイ
トである一人の男子が満足な食事にありつ
けないことを知ります。彼女は、母の提案
(というか優しいお節介)でその男子に毎
日パンを届けるようになりました。そのこ
とで、自分と同年代の子の生活苦を知った
り、そういう行動に出た母の優しさを感じ
たりしました。
また、一斉登校がスタートする日、彼女は
母とのトラブルをキッカケに不登校になり
ました。
彼女は引きこもり生活の中、コロナを機に
ネット上で知り合った同学年の女子や、パ
ンを持っていった男子との心の支え合いを
経て、ティーンエイジャーへと成長してい
きます。
これらを含め、彼女の学生生活にはコロナ
がなければ、経験しなかったことがたくさ
んありました。
そして、
紆余曲折の後に彼女は、子どもと触れ合う
職に就き、自らの経験を活かします。
ストーリーは、ハッピーエンドの感もあり
ますが、コロナが無ければ無かったで、
他の展開が広がっていたはずです。
私たちの人生は「8割の偶然によって左右
される」と言われる通り、計画通りに進ま
ないことの方が多いです。
目標を持ち、計画を立てるのは大切だとわ
かりながらも、自分の意図に関係なく降り
掛かる出来事によって、良くも悪くも将来
は変わります。
改めてこのことを意識すると
「いったい、何を軸に歩めばいいのか?」
なんて思いに駆られます。
時代を揺るがす非常事態に限らず
風邪一つ引いただけでも、発熱すれば日常
の生活はガラッと変わるわけです。
また、
人生スパンで言えば、
失業、病気、家族の死、その他にも、地面
ごと揺れ動き、手も足もでない状態に襲わ
れることもあります。
それなら、思い通りにならない未来を心配
するより、それを目の前にした時の身の処
し方や、考え方を工夫できる自分になって
おくことの方が賢明ではないかと思うのです。
災難が降りかかって来た時の
身の処し方や考え方?
そこで、思い浮かんだのが
「創造の病」という視点です。
これは、カナダの精神科医・エレンベルガ
ーが提唱したもので、病を機に人生を好転
させた実在の人物たちの歩みから見出され
た考え方です。
災いの渦中に居る時こそ、将来への良い兆
しを先取りして、後の幸いを思い浮かべて
みよう…
そうしてそれを気分の変化につなげ、次の
一歩を踏み出すエネルギーへ向けよう…と
示唆したのが「創造の病」という考え方です。
でも、
「そんなこと言ったって
気分が変わったところで、目の前のことは
変わらないじゃないの。それに良い結果に
なるとも限らないし」
….と、そんな思いも湧いて来ます。
しかし
「今ここ(目の前)」の気分に変化が起こ
ることで、そこからの行動が何かしら変わ
ってきます。
私たちは、幸いした現在を振り返るのは、
災難から時間が経過した後であることが
多いように思います。
だからこそ、
頭を抱えたくなるようなことが起きた時こ
そただ落ち込むのでなく、正にその時、第
三の発想ができる自家発電型のエネルギー
チャージの方法を携えておく。
人生での落ち込みはさまざまです。
例えば
・穴があれば入りたくなるような失敗
・信頼していた人からの裏切り
・大事なタイミングを逸する
…などです。
それに加えて、
光が見えて来ないことで孤独になり、不運
がずっと続くように感じられることもあります。
そんな時、
自分で自分を快復させる術を持っていると
どうでしょう?
それを拠り所に足元を照らし歩き出せるよ
うな気がしませんか?
ただ、そうは言っても、
大変な事態にいきなりこの視点を持つのは
難しいです。
そこで、
日々のチョッとしたミスやトラブルに、こ
の考え方を試してみる。
・忘れ物をした時
≫もっと重要なモノを忘れないようにする警告(だったの)かも
・スマホが故障した時
≫良いタイミングで修理するチャンスが来たのかも
・電車に乗り遅れた時
≫予定通りの電車に乗っていたら良くないことが起きたかも
….など
「どうしてこうなるのよ!」と悔いが湧く
時こそ、たとえコジつけであっても、いい
感じで心の折り合いをつけられるようにク
セづけておく。
もちろん
周囲との支え合いで乗り越えるのも大切で
すが、肩代わりしてもらえない精神的負担
を負った時、頭を切り替える柔軟さは心強
い杖になってくれます。
体力アップにジム通いも必要ですが、いざ
という時のためにも、タフでしなやかなメ
ンタルづくりに心の筋力アップも習慣にし
ておきたいです。
それでは、
今後いつか、あなたに起きるかもしれない
「どうしてこうなるのよ!」と後悔したくな
る場面で、この視点を思い出してもらえると
嬉しいです。
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「今後の生活はどうなるの?」
「両親の介護はどうしよう?」
「災害の時はどうしたらいいの?」
今年は特に、年頭から心痛めるニュースで不安が高まった人も多かったと思います。
何か心配事が起きた時、
あなたの心はどんなふうになりますか?
不安で心の揺れは大きくなる方ですか?
それとも
揺らぎは少なく落ち着いて居られる方ですか?
もちろん、心配事によって受け止め方は違
ってくるでしょう。
しかし、
近年特に先行き不安が高まる中、全く不安
がない…という人は少ないと思います。
そんな中でも、ことの大小・経済力の違い
等を越え、適度に平穏を保ち、安定感のあ
る人って居ますよね。
そういう姿勢は、生きていく上で何より心
強い味方です。できるなら、身につけておきたいです。
そこで今月は、
平穏な気持ちを保てる理由と、その実践について考えます。
━━━━━━
そもそも
不安は、まだ起きていない先のことに対し
て「・・になったらどうしよう」という怖れ
から来るものです。
そして、その怖れへの対処が思いつかない
時や、対処法はあるものの、自分には到底
対応できない…とお手上げの気持ちが不安
をかき立てるわけです。
そういう時に支えになるのが
「何とかなる!何とかする!」という姿勢です。
これが心の状態を左右することはわかります。
ただこれは、実際の局面で対処可能…という
より、そういう意識を持てるかどうかの問題です。
では、
「何とかなる」という心境はどこから生まれるのでしょうか?
ちょっとしたことに「何とかなる」と思えるのは当然です。
でもここで言うのは、「必ず解決する」と
いう確信ではなく、「何とかなるんじゃな
いかなぁ」というような「不確かな何か」
を信じる何となくの感覚のことです。
この「何となく」というのがポイントです。
これは、日々積み重ねる態度によって自然
に生み出され、「大丈夫だ」という安心感
となり湧き上がるようです。
日々積み重ねる態度?
それは、
その人が自然に行なっている、ある習慣のことです。
その習慣というのは、誰かが困っている時
や大変な事態に対し「支えたい」という思
いを持って、それを行動に移すことです。
そのような習慣を持つ人は、その人自身が
日頃から誰かを支える気持ちで人と接して
います。そのため「困った時は支えが得ら
れる」と見えない繋がりを感じやすいのです。
ここでちょっと
その根拠になる心の仕組みをお伝えします。
私たちの思いや行動は、鏡で反射されるよ
うに、周囲から返って来るという錯覚が起こります。
自分が腹が立っていると、相手も腹を立て
ていると思いやすい。もちろん、いつもで
はないですが、こんな感じです。
つまり、周囲の状況や相手の態度が問題な
のではなく、自分が相手に向けた思いが、
相手からも自分に向けられていると感じる
ことによって起こる影響は大きいということです。
学生時代にこんなことがありました。
サークルでのことです。
役員を決める時に、私はA子さんを推薦しました。
でも、
彼女は「失敗すると怒られるから無理」
だと辞退しました。
私は「え!誰に怒られるの?」とたずねる
と彼女は「みんなに」と言うのです。
メンバーの中に彼女へ怒りをぶつける人な
ど居ませんでした。
その後、A子さんの言動からわかったこと
がありました。
それは、口には出さないものの、彼女は人
を評価することが多く、怒りを感じしんど
くなっていたようです。
他人に厳しく評価をつける人は、自分も周
囲の評価に晒されていると感じ、人前で緊
張度が高くなり、彼女のような思いを抱き
がちです。
また、
他人の言葉の裏読みをする人は、相手から
も裏読みされているという思い込みから、
本音を言えず人間関係も困難になりがちです。
逆に、
相手の言葉を素直に受け取る人は、自分の
思いも適度に伝えやすく、人間関係に悩み
も少ないようです。
このように
自分の思考や姿勢は、関わる相手や環境を
通して受け取ります。そうして、それが気
分のアップダウンへとつながるわけです。
これらのことから
日々の思いや行いが自分を助ける副産物に
なることもあれば、自分を追い詰める副作
用になることもあるということです。
「大丈夫だ」と感じられる支えや安心を望
むなら誰かを支える気持ちで、それを実行に移す。
それが、
「何とかなる」という繋がりを感じさせ、
大らかな気持ちから安心感に変わる。
安定感のある人たちは、このようなことを
意図せず行うことで、安心という副産物を
得ているのでしょうね。
誰かを支えたいという思いや行いが、結局
は自分を支え安心感に繋がる。
それなら、必要以上に未来を心配し、不安
を重ねなくても良いのではないか。
さらに思うのは、
既に懇意な人への振る舞いより、知らな
い人、顔の見えない相手への振る舞いが鍵
を握っているようです。
たとえば、
お店のスタッフさんへの挨拶
電車内で席を譲る心遣い
道に迷っている人への声かけ
寄付・寄贈での支援
…などです。
なぜなら、懇意な人への気遣いや支えは、
何かの形で返ってくることがある一方、知
らない人からは見返りを期待できません。
見返りを期待せず、支える態度を習慣にす
るからこそ、見えない何かによる守られた
感覚が、鏡で反射されたように返ってくる
のではないか?という思いにたどり着きま
した。
もちろん、これが全ての不安解消になると
は思いません
ただ、
自分の思いや行いが見えない感覚となって
返って来るというのは、私の中ではかなり
腑に落とせました
日頃の心がけで不安がコントロールできる
なら、今後の意識次第で安定感も増してい
くと期待できます。
とは言いながら、まだまだ安定感に達しな
い私は、新年初のメルマガ配信を機に、日
々の心がけを見直そうと思います。
さて、
あたなはどんな思いを持って2024年をス
タートされたでしょうか?
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「職場で仲の良い人ができないんです」
「家を行き来できるママ友が居ないんです」
というお悩みを聴きます。
仲良しが居ると、確かに心強いです。
ただ私自身を振り返ると、仲良し関係をつく
らないように心がけて来た繋がりもありました。
それは、子どもを介した関係やOL時代の同
僚とのつきあいです。
小学校でのママ友関係は特にそうでした。
雑談ができる程度の関係に留め、自宅を行き
来することはなかったです。
そんな私とは逆の欲求である冒頭のお悩みに
興味を持ちました。
そこで今月は
この「仲良しを作りたい」欲求の真意につい
て考えてみました。
━━━
多い少ないは別にして、誰にもいくつか所属
先があります。
その中でも、
・自発的に参加する場と
・必要に迫られて参加している場と
大きく2つに分かれます。
自発的な関わりと必要に迫られて属する場で
は、自ずと参加への熱量や求める関係の質も
違いますよね。
ここでは後者の、必要だから属する場につい
て話を進めます。
そう言っても、人が集まる場では求める雰囲
気、心地よさには共通したものがあります。
例えば
・受け入れられる感じ
・情報交換のしやすさ
・サポートを得られる雰囲気
・攻撃されない安心感….など
おおよそこんな感じで、
まとめると、孤立せず安心できる環境がそれ
なのだと思います。
ただ、ここには「何でも話せる」とか「いつ
も一緒」という類いの親密さは含みませんでした。
…というのも私自身が、自発的参加でない関
わりには深い親密さを求めていないのだと改
めて感じたからです。
そんなふうに振り返りながら「心地良さ」と
いうキーワードから思い出した書籍がありました。
タイトルは「生き心地の良い町─この自殺率
の低さには理由がある」です。
2013年に出版されたこの本は、日本で一番
自殺率の低い町について書かれたものです。
著者がこの町に住み、比較検討・研究された
のです。
この内容に、冒頭のお悩み解決へのヒントが
あるように思いましたので、紹介します。
研究対象になった町(徳島県の旧海部町)の
人にはこんな傾向がありました。
・空気を読まない会話
・新参者を拒まない雰囲気
・相手に深入りしない淡白なつきあい
これが「生き心地の良さ」につながっている
というのです。
これらの傾向からは、あっさりとクールな感
じが伝わって来ます。
でも、誰かが困っている時には、町の人は即
介入するのです。
加えて、困った時には、自己開示できる空気
があるのも特徴です。
「空気を読まない」点についての面白いエピ
ソードがありました。
それは、赤い羽根の募金についてです。
「みんながやっているなら…」と周りに同調
する地域が多い中で、この町では、個人の気
持ちを尊重しても許される雰囲気があるのです。
「使い道がはっきりしないお金は払いたくな
い」という人の気持ちが許容されるのですね。
一方、
この町と比較対象された自殺が多発する町
は、日本の良い点が集約されたような地域でした。
その特徴は
「勤勉さ、忍耐強さ、思いやり、日常的な助
け合い、絆重視、礼儀正しく迷惑をかけない
振る舞い、周囲の空気を読む」などです。
これって、日本の美徳とも言えますね。
このどちらの傾向が良いのでしょうか?
町の傾向を二者択一で評価するのは、難しい
です。ただそれでも、自殺率から考えると、
海部町の評価が高くなります。
長い目で見て「淡白な繋がり」の海部町が、
心地よく暮らせているということです。
この比較を見た上で
冒頭のお悩みを振り返ってみます。
・職場で仲良しが欲しい
・自宅に呼べるママ友が欲しい
これらの欲求からは、誰かと特定の関係を築
くことで孤立せず、安心感を得たい、という
守りの気持ちが伝わって来ます。
学校行事の場で一人で居るところを見られた
くない…とか、職場の休憩時間に一人で居る
と、嫌われてると想われる…というのを聞きます。
孤立を避けたいという気持ちには共感しま
す。しかし、特定の仲良しが居ないことが、
孤立や仲間はずれを連想させることについて
は疑問が湧きます。
まぁ、個人個人の性格の違いはあると思いま
すが、大人になると「一人で居る、一人で生
きる」覚悟のようなものが必要かなと思います。
親密ゆえに同調圧力が働き、自分の意志で動
けなくなると、その関係はストレスに変わります。
海部町の人のように空気を読まない会話を、
敢えてする必要はありませんが、自分の考え
で動き、深入りしない態度で過ごしてもいい
のではないでしょうか…。
そうして
その中で、話しやすい人が居れば軽くおしゃ
べりをする。こんなふうにほどほどの関係を
築けていれば良いんじゃないかなぁ…と思います。
話せる人がいなければ、無理に関わる必要も
なく、それでもヨシ….と良い意味での開き直
りができれば、気持ちが楽です。
深入りしないという点で私は、家族の中でも
大人同士なら、この関係が適していると考え
るようになりました。
固い絆よりゆるやかな絆で、困った時は助け
を求めることができ、快く応じ合えることに
心地よさを感じるからです。
「クール過ぎる感じがしますか?」
親密さを求める人には抵抗があるかもしれま
せんね。
しかし、変化する常識に心を削り、関係を保
ち続けるため疲弊するよりは、賢明だと思う
のです。
そういう点から観て、
海部町の人たちの姿勢が注目されたのかもし
れません。
周囲との摩擦を恐れてストレスを溜めるより
湧き上がる自分の感覚と摩擦を起こさないつ
きあい方を心がけたいです。
周囲の意見を参考にしながらも、自分の感覚
を尊重した態度を示す。
こういう態度は、自分を、そして相手をも守
ってくれます。
例えば、
「あの人、本当はどう思ってるんだろう?」
と勘繰ったり、
「どうせわかってもらえないなら」と不要な
あきらめの気持ちや、その他、行き過ぎた気
遣いや忖度が減ると、お互いに誠実で居られます。
誰もがそうできると、この国は身の安全だけ
でなく、心の安定も保てる生き心地の良い国
になると思います。
とは言っても、国レベルでは難しい。
…ということでまずは
あなたや私の周りからこの態度を時々でも
思い出しながら、生き心地の良さが広まると
いいなぁと思います。
▼ご紹介した書籍
- ご挨拶 -
今年も読者で居て下さり有難うございました。
来年も引き続き、身近な気づきを私なりの視点でつぶやきます。
2024年もどうぞよろしくお願いします。
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
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]]>「自分の頭で考えてますか?」って…?
そんなこと言われなくても毎日いろんなこと
を考えてますけど…と言い返したくなるかも
しれません。
ただ、近年よく耳にしますよね、
「自分の頭で考えてる?」
というこのフレーズ。
難しい単語が混じっているわけでもないのに
実のところ、何を問いかけられているのか?
わからなかったりします。
そこで今月は
「自分の頭で考える」とは何を意味するのか?
そして、
それは何のために必要なのかについてつぶやきます。
さて、
そもそも
「自分の頭で考える」って、理解しているよ
うで、具体的に実行できているのか?とたず
ねられると…どうでしょうか?疑わしい気もします。
わからないことがあれば、ネット検索で大抵
が解決する今、考えることの本質にも変化が
出て来ました。
今回取り挙げた「自分の頭で考える」という行為
それは
「正解のない問題について考え巡らすこと」です。
こんなふうに言葉にすることでやっと意識が
高まる感じでしょうか…。
答えのない問題を他人任せにせず、しっかり
向き合うことが本当の意味での「自分の頭で
考える」ということなのですね。
働き方、人とのつながり方、住まい方などを
はじめとして、ネット検索では参考にするこ
とはあったとしても、最終解決に至らない問
題は多くあります。
人生のステージ、それぞれの段階で
例えば
・どの学校を受験するのか?
・就職するのか、起業するのか?
・結婚するのか、独身を通すのか?
・出産するか、夫婦だけで過ごすのか?
・離婚するか、続けるのか?
・親の介護は自宅か、施設か?
など、更に細々したことがたくさんあります。
インターネットが普及して以降、益々、過去
大勢の人が辿ってきた人生をモデルにするの
は難しくなりました。考える材料を探すこと
ができるようになった今、考えてるフリは通
らなくなったとも言えます。
多様性という言葉が絵空事でなく、実感を伴
い迫って来る感じです。
そんな中、
私自身、果たして自分の頭で考えて来たのだ
ろうか?と自信が持てなくなることがありました。
そのキッカケになったのが、最近読んだ本の
中で出会った「ショック・ドクトリン 」という
ワードです。
ショック・ドクトリンというのは
惨事が起きた後、人々がショック状態に陥
り、思考停止になっている間に、それに漬け
込んで、利益を得る誰かが進める方向に舵を
切る政策手法のことを言います。まるで火事
場泥棒のようですよね。
今回のコロナ禍でも似たようなことがあった
と思います。それは、あり得ないほどの急ピ
ッチで進められたワクチン接種やソーシャル
ディスタンスと言いながら、電車内ではスグ
隣に人が座っていたこともその一例です。
あなたは、
この状況を不思議に思いませんでしたか?
時短営業の中、閉店間際の飲食店内が混雑
する様子に違和感を覚えながら、私は自分
の頭で考えることをスルーしていたことに
気づきました。
要するに、
違和感を持ちながらも多数派に扇動され、確
かな情報を探さず、流れに甘んじていたわけ
です。正に思考停止に似た状態でした。
今になって、これらの矛盾を指摘した当時の
発信を見つけ、情けない思いに駆られます。
またレベルの違う話ではありますが、
以前、「FIRE」という言葉が流行った時期が
ありました。
これは、経済的自由を手に入れ、早期リタイ
ヤすることを意味するワードです。労働に縛
られず人生を謳歌できるなんて、どんなにい
いだろう…と憧れた人は多いと思います。
確かに、しっかり目的を持って目指すFIRE
は意義のあることだと思います。しかし、こ
れといった目的を持たず、時間が与えられて
も、人生の幸福度の点から見ると本当に幸せ
かどうか疑わしいものです。それに気づく人
が増えたからなのか、最近めっきり耳にしな
くなりました。
流行り物に色めき立ち、自分の頭で考えず、
反応することの危うさが一層増してきました。
そう思うと、
ネット検索のようにすぐさま正解に辿り着け
なくても、自分なりの道筋で問題に向き合い
その時々にふさわしい道が見つけられるとしたら…?
とりあえず、他人との比較で心わずらわせる
土俵からは降りられるのではないでしょうか?
生きていく術として何が大切かを振り返る時、
・資産を増やすことに執着し、
心休まらない生活を続けるのか?
・足るを知る生活を意識し、
心豊かな暮らしを目指すのか?
生きる姿勢についての選択に目を向けられると
出来合いの居場所ではなく
心地良い自分なりの居場所が創り出せるので
は?という期待も湧いてきます。
そのためにも、
せわしない歩みを少し休めて、自分の
頭で考えてみる。
考え巡らせたその先を意識できると、言動に
も変化が表れるでしょう。
そうすると、そこで何が起こるのか?
それは、
そんな自分にフィットする繋がりが展開する
ということです。
言動の端々に自分の意志が反映され、そこに
共感する人との交流が生まれるからです。
多様性が当たり前になりつつある今、
また、
性善説を信じてばかりは居られなくなった今
だからこそ、「正解のない問題を考える力」
を磨いていきたいです。
そして
それは何のためかというと
「自己選択、自己決定」にたどりつくために
あるのだと思います。
多数派がうなずく一般的な解答ではなく
まずは、自分の最適解を見つける。
その結果、
誰かが作った大きな流れに乗るのではなく、
自分で考え、自らの意志で生きていくことに
つながるのかな...と思います。
ここまで読んで下さった方へ
私からの問いかけです。
「あなたは、今日
自分の頭で考えたことを思い出せますか?」
▼堤未果のショック・ドクトリン 政府のやりたい放題から身を守る方法
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
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下記内容をリボーンが朗読しています。
「早いなぁ、あっという間にお正月かぁ」
と、ちらほらこのフレーズが聞かれる
時季になりました。
雑務に追われながら、過ぎ行く日々を惜しん
でいる様子が伝わって来ます。
ただこれは大人の話で、子どもからは聞かれ
ないですよね。
では、
こんなふうに時の流れを速く感じるようにな
るのはいつからなのか?
誰にとっても、時間を巻き戻すことは不可能
だけど、時の流れの感覚に変化を起こすこと
はできないものだろうか?
そこで今月は、大人と子どもの時間の進み方
を比較して、その結果から人生の風景を変え
る試みをつぶやきます。
そのためにも、まず、
今自分が人生のどの地点に居るのかについて
確認しておきます。
人生を振り返るには、一生をいくつかに分け
る視点がありますが、今回は、サクッと「春
夏秋冬」4つに分けてみます。
まず、
0〜20歳まで(学童期・青年期)を春
20〜40歳(成人期)を夏
40〜60歳(壮年期)を秋
60歳以降(老年期)は冬と考えます。
まあ、年齢の区切り方、定義はいろいろある
と思いますが、ココではザッとこんな感じに
しておきます。
改めて振り返ると、
冬の時季が迫る私は、背筋が伸びる思いがし
ます。
あなたは、今、
「春夏秋冬」
どの季節を歩んでいらっしゃるでしょう?
ここでは、
秋冬の時季にフォーカスして話を進めます。
「もう年末かぁ」…と時の流れを早く感じる
大人と、そうでもない若者。
同じ人間でありながら、時間の体感速度が違
う。このことについて、私たち大人は体験済
みですよね。
これは、年齢を重ねるほど、時計で計る実際
の時間より、心理的時間の進み方が遅くなる
ため、時の流れを早く感じるわけです。
一方、子ども時代の体感速度はゆっくりなの
はなぜなのか?
これは、経験の少ない子どもは、一つ一つの
出来事を新鮮に感じ、刺激の多い日々を送っ
ているということが挙げられるそうです。
それなら私たち大人は、年齢と共に時間の体
感速度は速まるばかりなのでしょうか?
いえいえ
そんなのはイヤですよね。
人生100年時代などと言われても、アッ!と
いう間に過ぎ去る実り少ない長寿時代なんて
迎えたくないですから…。
では、
どうすればいいのか?
そのヒントは、
既にここまで書いた中にあります。
それは
大人と子どもの違いのところでお伝えした
「一つ一つの出来事を新鮮に感じる子ども
の体感速度はゆっくりだ」という部分です。
これは、
同じことを繰り返す生活に脳が慣れると、そ
れらは記憶に残りにくく、時間を短く感じさせる、
片や、
興味を持って取り組んだ経験には刺激や思い
出が詰め込まれ、時間が長く感じられるとい
うことです。
刺激?
思い出?
「忙しいのに、そんなことを考えるのは面
倒」という気分になりましたか?
そうおっしゃる方は、
人生の時間にまだ余裕があるのかもしれません。
というのも
年齢によっては、今までの5年とこれから5
年先の状態に激変が予想される方は「面倒
だ」と後回しにする時間もないと思うからです。
子どもの成長
自分の老い
親の終末
子どもは自立して行くから良しとしても、
自分は冬の入り口に、
そして親は既に冬の時季に居るわけです。
もちろん、
刺激に欠ける予定であっても毎日繰り返され
るからこそ、成り立つ日々だとも思います。
ただ、
それだけで埋め尽くされる日々だと、
アッという間に過ぎ去る感覚はいっそう加速
するようです。
リハーサルのない私たちの人生は、毎日が本
番なわけで、私を含め秋後半から冬の季節を
歩む人たちは、何事も後回しが難しくなります。
体力的に動きづらいと言われる年齢に入るま
では、楽しめる日々を自ら開拓しながら生き
て行きたい。
そうして、その後に
開拓した時に蒔いたものを収穫しながら、二
度目の楽しみを味わう。そんな流れを創るこ
とができればいいなぁと思います。
「楽しめる日々?何それ?」
という声もきこえてきそうですね。
それには私も同感で
歳を重ねると、目新しいことを見つけても、
それについて行く気力が湧かない、また、い
ちいち反応しないことで自分を保っている現
状もあります。
しかし、
だからと言って消化試合的な時間の過ごし方
はしたくない。
そのため、残り時間を楽しみながら歩むにも
体力や気力、時間など、減りつつある中での
せめぎ合いになります。
それでも、私たちが命の期限を意識するの
は、自然災害や戦争など、衝撃的な事実を目
にした時ぐらい。ひとたび、それらのニュー
スから離れると、また今日に続く明日が来る
と漠然と意識を広げてしまいがちです。
そうして、
「また、いつか…」と先延ばしにしたその
「いつか」は二度と訪れることはなく、後悔
となって思い出される。
人生スパンで言うそんな後悔は、多くの人に
とって
【やってみようか迷った思いを
行動に移さなかったこと】
が浮かぶのではないでしょうか?
「あの時〇〇していたらよかった」という後
悔を「あんなことしても、どうせ時間のムダ
だった」という言い訳でやり過ごしたこと
は、結局動きが取れなくなってから、大きな
無念さとなって胸に迫るように思います。
行動といっても、
そんな大そうなことを言いたいわけではあり
ません。
例えば
・話の中で誰かが口走った本のタイトル、
・ネット動画で目に飛び込んできた風景、
・いつも通る道に掛かる新しいお店の看板
…など
ピン!と来たことをスルーしない!
興味を持ったことは、やってみる!
…など、その程度の話です。
ただ、変化に抗う私たち大人は言い訳をしがちです。
「一般的には…」とか
「普通この歳になれば…」とか
「時間やお金のことを考えると…」などと
行動を遮るための否定的なフレーズが頭に浮
かぶのですね。
確かに、
理性を働かせるとムダに思えて来ることもあ
るでしょう。
…というか
その方が多いかもしれません。
楽しみへの入り口は、日常のそこここに在る
はずなのに、行動を起こさず、いつの間にか
忘れてしまう。
残念ですね。
特に気持ちを向けなくても、日々が成り立つ
ものの中にこそ楽しみが隠れているように思
います。
フッと頭に浮かんだアイデア、
チョッと気になったフレーズがあれば、面倒
がらずに検索してみる。
こんなことでも後回しにしないクセがつく
と、その後の行動は変わります。
小さな入り口も、後から振り返ると人生を動
かす大きな分岐点になっていることがあります。
人との出会いもその一つです。
そして最後に付け加えるとすれば、出会いだ
けでなく、別れもその一つだと感じるように
なりました。それは、出口が入り口に繋がる
こともあるという意味です。
交流の先に展望が見えなかったり、不誠実だ
と感じる人や組織、グループなどからは、思
い切って離れる。
惰性でダラダラ関わっている時間や、そのた
めに費やす心身のエネルギー消費を意識でき
ると、自ずと答えは出て来ます。
もしあなたが今
「人生の風景、ここのところ変わっていない
なぁ」と振り返られているなら、時間の体感
速度も速くなっているのではないでしょうか?
それなら、
コロナ禍も明けたこの年末を機に楽しみへの
入り口に、チョッと心を寄せてみませんか?
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人が傷ついたり、怒りを覚える理由はいろい
ろありますが、中でも間違いなくそうなるの
が「無視」されたと感じる時です。
今月は、「報告・連絡・相談」を怠ることが
相手を「無視」することにつながり、人間関
係の破綻も招きかねない、そんなことをつぶ
やきます。
--------------------------------
報告・連絡・相談は大事だと言われ、社会人
ともなれば当然身につけておきたい姿勢です。
しかし、それがなかなか難しいということ、
仕事関係や家族間を問わず感じます。
そもそも
報告・連絡・相談は、語呂の良さや野菜の
「ホウレン草」の響きもあり覚えやすいから
なのか、それぞれの漢字の頭をとって「報・
連・相」と呼ばれますが、行われる順序は
「相談→連絡→報告」で「相・連・報」です。
まずは、
「相談」して、
その経過を「連絡」し、
結果を「報告」するという流れです。
コレを逆にして、
相談も無く、その経過の連絡も受けず、いき
なり結果を知らされても困るわけです。
ビジネスの基本などとも言われ、情報共有の
徹底もありますが、それ以前に私たちの心に
直接影響のある大切なマナーです。
たとえば、あなたは
突然、結果だけを知らされ
「そんなこと、聞いてないよ!」という気分
になった経験はありませんか?
驚くだけではなく、気分を害し、相手との関
係が悪くなったというようなこと….。
うまくいった結果だったり、今後もうまくい
きそうな計画でも、知らされなかったことで
傷ついたり、気分を害するのはどうしてなのか?
こんなふうに、順序立ててたずねられると
「当たり前でしょう」と誰もがわかると思います。
そう…
自分を置き去りに無視した形で進められたこ
とは、たとえ賛成できる内容であっても、相
当こころの広い人でないと、気分よく受け取
るのは難しいということです。
そう考えると、人は自分の存在を無いものの
ように扱われることは、反論されるよりも大
きく傷つくことがわかります。
ビジネススキルだとか何とか言う前に、相手
の心を逆撫でしてしまうわけです。
報連相を怠った人は、それなりに事情があっ
たのだ…と言い訳をしたところで、その態度
が意味するものは相手の無意識下にしっかり
届きます。
「無視」や「置き去り」「排除」など、存在
を軽く見たり、居ない者のように扱われた感
覚は、人が一番嫌悪することです。
その反応として、表面的には怒りや反対意見
が見られることも多いでしょう。
でも実のところ、心の底に芽生えた最初の感
情は「断絶された」とか「繋がっていない」
などのような「さみしさ」ではないでしょうか。
逆に、相談や協力を求められることは、自分
が認知され、大切な存在だと意識されている
様子が伝わります。
大変な相談や協力は迷惑だ、と感じる人もい
るでしょうが、無視、置き去り、排除された
のとは比較にならない気分だと思います。
場合によっては、伝えなければならないとわ
かりながら、そうできない事情があったのか
もしれません。
ただ、先延ばしにすると、いっそう成り行き
は悪くなる。目の前の保身にはなっても、最
終的に墓穴を掘ることに繋がってしまいます。
加えて、誠実さを欠いた態度は、周囲に気づ
かれないとしても、自分だけは意識できています。
さて、
その状態が及ぼす影響は何なのでしょう?
それは、私たちの心を支えてくれる「自信」
の在り方です。
相手を欺いたと思っていても、
その姿勢が、実は「自分を信じる力」を自ら
で削いでしまっている。そうして自信喪失に
繋がっていく。
この流れはなかなか気づきにくいです。
大人になると、目に見えるようなあからさま
な無視はしなくても「連絡をしない」「忘れ
たフリをする」など不誠実な態度をとる…。
真っ当な理由があれば、まだヨシとしても、
保身のためであれば、自信を失くす道に繋が
っていることを意識する必要があります。
そうは言っても、ウッカリは誰にもあったり
ちょっとした意地悪な気持ちで、つい…とい
うこともあるでしょう。
そんな時でも、
うわべを取り繕うのではなく、その行為が相手
に与えるさみしさや、自らに及ぼす影響を自覚
できると、その後の態度はずいぶん変化するよ
うに思います。
ちょっとしたボタンの掛け違いだと軽く見るの
ではなく、できるだけ早く誠実な態度を示すこ
とが賢明です。
これまで私は、カウンセリングの中で、こじ
れた人間関係について相談を受けることが多
くありました。
そこでしばしばお聴きするのが
「人間関係ってめんどうですね。」
というフレーズです。
正直、私もそう思うことがあります。
でもやっぱり人との関係に必要なのは、当た
り前だけど思い遣りだなぁ…と思うのです。
相手にさみしい思いをさせる態度をとってし
まっていないか?など
人間関係は、結局のところ、想像の翼を広げ
られるかどうかなのだと、、、。
ただ、その翼を広げたとしても、こちらの思
いも及ばないところでの傷つきを与えている
かもしれないし、
いくら伝えあっても、分かり合えないことが
多いと実感することもあります。
とりわけ、私は目の前のことに精一杯になり
がちで、ウッカリして大切なその翼を広げ損
ねることがしばしばです。
だからこそ
まずは「相談」して協力を仰ぎ
経過を「連絡」し助言をもらい
そして結果を「報告」することは
私が大切にしている人生態度の一つです。
これは、相手との年齢や性別、立場を超えて
通じる価値ある態度だと感じています。
時には面倒だと思うこともありますが
これからも、
想像の翼を広げ、伝え合うことを諦めずに進
みたいです。
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満たされない思いがあるから人は努力した
り、焦ったりしながらも前へ進もうとする。
貴い姿だと思います。
でも、それが過剰になると、息切れして、倒
れそうになってしまう。
そういう経験は、ありませんか?
最近「アップデート」という表現をよく耳に
します。スマホだけでなく、人の考え方にも
使われるようになり、私たち自身も日々向上
することを迫られているように感じます。
「アップデート」とは
更に新しいと書いて「更新」を意味します。
このままではいけない、変化しなければ…と
そんな感じでしょうか?
今月はカウンセリングでクライエントさんか
らよく聞く
「このままではいけない、変わりたい!」と
いうフレーズから感じることをつぶやきます。
さて、いきなりですが、
世界幸福度ランキングって、興味ありますか?
この調査が始まった当時、ブータンが1位だ
ったということはよく知られています。
そのブータンが今では順位が表示されないほ
どの圏外に下がっています。
ちなみに、
今年の1位はフィンランド、
日本は47位です。
ブータンは1997年にTVが導入され、他国
との比較が生まれ「隣の芝生は青く見える」
的な思いが影響しランキングが下がったと言
われています。
情報鎖国状態の時は幸せを感じ、
豊富な情報によってその感覚が急降下。
皮肉な話ですよね。
一方、
私たち日本人はどうでしょう?
このままではいけない。
何とかして変わらねば…。
どうしたら変わるのか?
と今の自分に満足できない。
また、
変えてやらねば…と
我が子の姿に不満が募る。
真面目な日本人にはあるあるかもしれません。
幸せや安定へと変化を追い求めるあまり、
不安と不満に満ち溢れ、身動きが取れなくなる。
「え?それはネガティブ思考な人のことでし
ょう?私には関係ないわ」…と言い切れる人
はどのくらいいるでしょう?
不要な資格取得や無理な住宅ローン
また、
過激なダイエットや美容フリークなど
成りたい自分が
成るべき自分に…
そして
成らなければいけない自分へと
義務感で日々が覆われる。
安心・安定や幸せを追い求めるための行動に
よって、逆にそれらが遠のいていく。
不足感が満たされることで
きっと今より幸せになれる…と
頭のどこかで無意識に思っている。
安心・安定など、それぞれの幸せを目指して
今に不足を感じ、
今日を平穏な気持ちで過ごせない。
努力することは辛いこと、
でも
不足を満足に変えるための頑張りは当たり前
だ…と歯を食いしばっている人は多いのかも
しれません。
焦りを伴っていても、努力する姿はポジティ
ブに見えるせいか、その裏に隠れている核心
の部分は見えにくいです。
核心の部分…それは、
今の自分やその現状を否定している…という
ことです。
アレも無い
コレも無い…と
不足や不満の、この「不」の部分にフォーカ
スするクライエントさんのお話から、これが
しんどさにつながっていると思うようになり
ました。
誰から言われるわけではない、
自分が自分に突きつける「不足感」。
この感覚が迫ることで見えて来る足りない状
態を、真実だと思い込んでしまう。
自ら作り出した不足感で、幸福感はどんどん
下がっていく。
何だか
ブータンの辿った道に似ていませんか?
生活が変わったのではなく
比較することで不足感が生まれ、それを不幸
だと感じるようになったのです。
今年の幸福度ランキングで
アメリカは15位
イギリスは19位でした。
もちろん、
控えめな国民性もあり、日本人は自ら幸せだ
という人は少ないのかもしれません。
しかし、
それにしても47位は低すぎる。
食べるに困ることはほとんどないこの国にお
いて、不足感の正体は何なのでしょう?
それは、評価や賞賛、学歴、生活のグレード
等、比較による差を感じることで生まれてい
るように思います。
自ら作り出した思い込みという狭い箱の中か
ら出られなくなると、私たちの心はどんなふ
うになるでしょう?
比較の対象になってるものは、こちらにお構
いなく常に変化します。それに影響され過ぎ
ると、私たちの心は疲弊して、更に進むと、
何のために生きているのかすらわからなくな
ってしまう。
では、
どうしたらいいのか?
まずは、
現状を受け容れ、足元を確認する。
たとえば
・つらいけれど、
毎朝起きられていること
・毎日出勤できていること
・子どもと食事ができていること
こんな当然のことを確認するなんて、無意
味に感じるかもしれません。
でも、こんなことはありませんか?
頭痛、腹痛、腰痛など、痛みの症状が出た時、
この痛みさえなかったら普通に動けるのに…と
途端に普段の状態が有難く思えてくるということ。
足りていることにフォーカスすると、何も
変わっていないのに、何だか気分が違って
感じられる。
そんなことはありませんか?
比較によって生まれた焦りの気持ちに振り回
されるより、現状の足りている部分に愛おし
さを感じられる方が、心のエネルギーに繋が
ると思うのです。
そして、湧き上がる興味の源泉を耕せる日を
信じて進む。
「急がば回れ」と言われているようで、
イライラする人も多いかもしれない。
でもやっぱり、これが近道。
生活を変えたわけではないけれど
気がついたら
不安や不満がサイズダウンし
焦りが少なくなり、気分が変わっている。
こういう変化がリバウンドの少ない変わり方
です。
このネット時代には、情報の取り入れ方、受
け止め方が、心身健康の鍵を握ります。
世界情勢を把握し、危機を回避するための情
報は有効ですが、他人の幸・不幸や成功の発
信を自分との比較に繋げると苦しみが生まれ
ます。
特に、
真面目な人や長男・長女気質の人、
また、育つ過程で「きちんと」「正しく」な
ど失敗が許されないスタイルを学んできた人
は、自己否定感が強くなり、苦しみも生まれ
やすいです。
それをストップするには、まずは自ら作った
思い込みの箱に入っている自分に気づくこと
が大切です。
いろいろ書きましたが、
人である以上、他人との比較をなくすことは
できません。
ただ、他人との差を埋めるために、外側に何
かを求め続けると心の健康を保つことは難し
くなります。
比較の気持ちが生まれた時には
ちょっと立ち止まって
「今の自分にとって
本当に大切にしたいものは何なのか?」
自問する余裕を持って居たいです。
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■ 編集後記 ■------------------------
これまで当たり前だと思い続けて来たことが
実は逆なのではないか?
一般的な考え方を無意識に取り込んで来たこ
とへのふんわりした疑問が、ある時、ハッキ
リとした形で表れる….いわゆる自分の中の常
識が動く….
そんな経験はありませんか?
今月はこのパラドックス的な気づきから感じ
ることをつぶやきます。
----------------
ここ数年私は、障害者に関する動画を観るこ
とが多くになりました。当事者自らの発信や
介護者から受けるインタビューなどリアルな
日常が垣間見えるものです。
これが、私のパラドックス発見の入り口にな
りました。
まず、
呼び方についての前置きをしておきます。
ここでは、生活に不自由が少ない人を「健常
者」、不自由な人を「障害者」と表現します。
人の状態を2種類に分けることなど、通常で
きません。こちらでは、あくまでもわかりや
すくするための表現です。
とにかく、それらの動画は今までなら隠され
ることが多かったであろう不自由さや外出先
での障壁がリアルに発信されていました。
健康が良い状態
障害を負っているのは良くない状態
いや、
良くない…ではなく、
健常者が考える「気の毒な状態」という気遣
い的な思い込みから、オープンにすることが
避けられてきたように思います。
これまでなら、ネガティブに捉えられがちな
このような現状は、オープンにしないという
のが暗黙の了解だったのでしょう。
それが最近では、「そこまで見せるの?」と
いうくらい開け放された状態で映しだされて
います。
初めこそ驚いたものの、見続けている内に
「これこそ制限のないネット界の醍醐味だな
ぁ」…と良い意味での驚きがありました。
それと共に感じるようになったこと、
それが、タイトルにもあるパラドックスです。
このことがハッキリしたのが、先日の芥川賞
受賞作・市川 沙央さんの「ハンチバック」を
読んだ時です。この作品は筋疾患の難病を持
つ当事者だからこそ描ける、自らを元に健常
者の想像を超えたストーリーです。
不自由さに対し言い放つ健康な女性の発言が
こんなふうに書かれていました。
-----
世間の人々は顔を背けて言う。
「私なら耐えられない。私なら死を選ぶ」
でもそれは間違っている。
私はそこにこそ人間の尊厳があると思う。
-----
この件(くだり)を読んで感じたのは、普通
なら死んでしまいたいと思うくらいの不自由
さを抱えながら、強く生きる人を一般的に
「弱者」と呼ぶことへの違和感…これが私の
中に浮かんだパラドックスです。
健常者・障害者
どちらが弱者なんだろう?…と。
中でも市川さんが伝えたかったのは
読書文化の健常者優位主義だそうです。
その優位性とは次の5点です。
・目が見えること
・本が持てること
・ページがめくれること
・読書姿勢が保てること
・書店へ自由に買いに行けること
この5点から、重度障害者が読者として想定
されていない…と読書文化に問題意識を抱い
たそうです。
この5点について私自身、想像したことすら
ありませんでした。
近年そこここで聞かれる「支え合い」という
耳障りの良い言葉は、この国でどのくらい実
践されているのだろう?と考える時、満足に
は程遠いと思います。
弱者と呼びながら、その当事者の労力に甘え
る社会に矛盾を感じるからです。
動画の中には、いろんな工夫を凝らし、外出
に臨んでいる様子が映し出されています。想
像もつかなかった大変さを知ることで、私自
身、乗り物など外出先での目配りに変化がで
てきました。
障害をオープンにする潔さと共に、不自由さ
を周知させることで行動の幅を広げたいとい
う心意気が伝わってきたからです。
心の時代と言われて久しい昨今、
身体に不自由がなくても、耐えられないほど
に心の疲弊を感じている人は増えています。
しかし一方、どんな精神状態であろうと、生
き延びるために残された可動域をフル活用し
て、日々に臨まなければならない人たちが居
ます。
こうしてみると、弱者と呼ばれる人たちの姿
勢には圧倒的な力を感じ、勇気づけられま
す。健常者や強者だと思い込んでいる多数派
が与えたつもりになっている援助よりも、遥
かに力強く感じます。
障害を持っているから強いのか、
強いから障害を背負うように運命づけられた
のか?
そんなことはわからないけど、不自由が少な
い者よりずっとパワフルに思うのです。
乗り越えることなんて到底できない苦境を目
の前に、うまくすり抜ける工夫を編み出そう
とする姿勢が何ともたくましい。
それに加え、幸いにもこの時代には、工夫の
後押しするツールとしてデジタルデバイスが
あります。
視覚障害には音声で
聴覚障害には、字幕や振動で…。
スマホの過剰利用は事故に繋がり、
ゲーム依存など弊害もありますが
それにも勝る恩恵は多大です。
人の手を介さず、気兼ねなく頼れるデジタル
での支援は有難いのは確かです。
誰かに支えを求める時、
面倒くさいと思われないか?という懸念によ
って頼ることをためらう人が多いと思います
から。
そうは言っても、デジタルだけでは事足りず
時代が進んでも人の手や気遣いは重要です。
一般的に言われる「弱者」に対し、健常者が
「強者」であるなら、強者らしく、強者に相
応しい気遣いも育てばいいのに…と皮肉めい
た思いも湧いてきます。
これまでオープンにされることが少なかった
不自由さですが、今やネットを開けばすぐに
観られます。
現実を目にして、自分ができることを個々人
が自覚できれば、社会はずいぶん変わるだろ
うなぁ..と思います。
そんな意識を促す心がけとして、思いついた
ことがあります。
それは「かもしれない運転」。
覚えていますか?
運転免許取得の時に教えてもらった
予測しながら運転することで危険を回避する
アレです。
そこから
「かもしれない運転」ならぬ
「かもしれない地球の歩き方」が広まったら
いいのになぁと願います。
そうすれば、
弱者とか強者とか、他いろんな生きづらさの
元になる境目がすこし薄くなるかもしれませ
ん。
-------------
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なんでだろぅ、
気分が沈む…。
コレといった原因もないのに….
そんな経験はありませんか?
理由があって気分が落ちるのはわかるけど、
それがない時も気持ちが沈むことがあります。
まぁ色んな影響を受けて生きているので、
そういうこともあるでしょうけど。。。
ただ、そんな中でもチョッと気をつけること
で、気分が沈む頻度を減らすことができるの
ではないか?と思っています。
そこで今月は、6/18に起きたトラックとバ
スの衝突事故から、改めて思い至ったことを
つぶやきます。
え?
気分が沈む頻度と今回のニュース
……何の関係があるの?
と思われたかもしれません。
いえ、今回の事故に限らず、私は以前から、
ニュースの取り入れ方が、気分に影響すると
感じていました。
そして今回、衝突事故を伝えるニュースの後、
時間を置いて流れてきた「豚の様子」につい
ての配信が気持ちに引っかかり、興味をそそ
られたのでのです。
というのも、
気分への影響を考えると、これを「観ない」
という選択もあると思ったからです。
これは
心の状態によっては、ニュースを「観る・観
ないの選択」や「観るタイミングを図る」必
要があるという意味です。
私は、自宅にTVを置かなくなって5年が経
ちます。
いつ頃からか、自然とTVを観なくなり、
実家にTVを譲りました。
私は、視力が低く眼精疲労もひどいので、現
在、情報入手は音声によるものがほとんどです。
音声で流れてくるものの中で、興味深いもの
については、ネットで詳しく見る、そんな感
じです。
冒頭でも書いたトラックとバスの衝突事故に
ついては、TVがなくても、スグに音声情報
で知ることができました。
しかし、その後「トラックに積まれていた豚
が大変なことになっている」というニュース
は、これを書いている今日(6/22)知りました。
想像するだけでつらく、映像は観ていませ
ん。しかし、このメルマガで取り上げるため
に検索窓に「トラック バス」と入力しました。
すると、「事故 豚」というワードが続いて
表示され、関連動画がズラッと出てきました。
世間の人はこれを観ているのか…と思いまし
た。そして、その後、2人のクライエントさん
のお顔が浮かびました。
その方たちには、これらの映像を観て欲しく
ないなぁと思ったのです。私は実際、観てい
ないのですが、音声情報で知った限りでは、
心痛むものでした。
もちろん、事実を知ることは大切です。
ただ、
心の状態に合わせて「観る・観ない」を選択
する意識を持つことは重要だと思います。
この事故に限らず、垂れ流されるニュースの
中には、私たちの気分を落とすものが含まれ
ています。
自宅にTVが在った時は、観ない方がいい映
像も流れて来るままに観ていました。
でも今、観るのは実家で、たまたまTVがつ
いている時くらいです。
たまにのことでも、気分が下がると感じるも
のは、その感覚をスルーできず、スイッチを
切るようになりました。
自分の気持ちが受けつけない感覚が意識に上
るようになったからです。
昔と違い今は、国民総カメラマンのようにな
り、美しいものも、そうでないものも映像を
伴い、瞬時に伝えられるようになりました。
それらの中には
心地よい風景、
為になる知識、
共感できる実話
….など
日々の楽しみに繋がる内容がある一方、
気分を下げるものもたくさんあります。
映像に限らず、芸能人の噂話や知らなくても
良い裏情報まで、検索次第で入手できるよう
になりました。
私たちの感覚は、
鳥のさえずり
川のせせらぎ
木々の緑
…など
心地よいと感じられるものによって、気分が
落ち着いたり、安心やくつろぎを感じたりし
ます。
その逆で、
目を覆いたくなるようなこと、衝撃的なもの
に触れると、心が曇ったり、気持ちがザワつ
いたりします。
日ごろ、目にするもの、耳にするものの中に
知らず知らずの内に、気分に影響するもの
があるのです。
ここでポイントになるのは
「知らず知らずの内に」というところです。
知らず知らずの内に気分がアップするのは良
いのですが、そうでないものについては注意
が必要です。
なぜかわからないけど気分がアップする時、
その様子を振り返ってみると、そこには元気
を誘う表現が散りばめられていることに気づ
きます。
逆に
気持ちが沈んでしまう時は、ネガティブな気
分に導くワードがばら撒かれていることが多
いです。
そういうことから、情報を「選択する」また
「取り入れるタイミングを図る」意識が必要
だと思うようになりました。
相手が人でも同じです。
・陰口が多く
・否定的で
・後ろ向き
…な人との触れ合いより
・にこやかで
・肯定的な態度の
・心地よい言葉をチョイスする人
…との時間の方が気分が良いですよね。
それと同時に
自分の口を突いて出る言葉
頭に浮べるイメージは特に
私たちの気分を大きく左右します。
日々過ごす中で、
情報入手を選択したり、口を突いて出る言葉
に意識を向けるのはも難しいかもしれません。
それでも、
その意識を続け慣れてくると、そうすること
が当たり前になってきます。
「あんなことがあったからやる気がしない」
「あの人の振る舞いで気分が悪い」
毎日いろんなことがありますよね。
でも、
自分の気分をコントロールするのは
誰にも代わってもらえません。
それなら、
できる範囲で、ネガティブな事柄との関わり
を意識して、少しでも快適な気分で日々を送
りたいものです。
梅雨真っただ中の今、空模様はどうにもなり
ませんが、心模様はちょっした意識で何とか
なることもあります。
少しでも気分よく過ごしながら
元気に夏を迎えましょう♪
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]]>「親子でも腹を探ることがあるのだから、
他人さんとの間ではありがちよね」
と先日、
女同士の何気ない会話の中でこんなことを耳
にしました。
その時、
私は、この「腹を探る」という表現にギョッ
としました。
「腹を探る」という言い回しに何とも言えな
い不快な気分になったのです。
なぜそんな気分になったのか?
そこで、
今月はこの「腹」にまつわる発言について考
えることにしました。
「腹」と言えば
・腹づもり
・腹を割る
・腹黒い
などの表現があります。
「おなか」の意味の他に「気持ち」や「本
音」といった心の奥の状態を示します。
私たちは人と関わる時、相手の気持ちを推し
量りながら会話を進めますが、これは腹を探
りながら…という行為になるのでしょうか。
「推し量る」というのは相手の気持ちを想像
する心遣いも含まれるように感じます。
一方、「腹を探る」という表現にはとてもい
やらしい感じを持ったのです。
気持ちを汲むという思いやりからではない、
正に腹黒さがうかがえたからです。
ここで使われた「腹」について、私なりに考
えました。
「計画」とか「算段」「魂胆」「策略」…そ
んな意味合いが浮かびました。
そう思うと
この種の「腹」を無意識にでも感じ合うこと
で、人間関係に煩わしさを感じてしんどくな
るのが私たちなのだろうなぁ…と。
そんなことを考えている時に浮かんだのが、
LINEグループでのやり取りでした。
グループでの決定事項について発信した私の
メッセージに返信が来ない様子から感じたこ
とです。
思い返せば、これまでにも他の方の発信につ
いて同様に感じたことがありました。
その様子を思い返すと、
最初に返信するのは、ほぼ「いつも同じメン
バー」です。
一人が返信すると
それを追ってボツボツと他の人も返す感じ。
既読サインがつくので、みんな読んでいるこ
とはわかっているのです。
最初の返信までの沈黙の間、誰がどんな返信
をするのか様子見している状態が伝わってき
ます。
私は、その「いつも同じメンバー」の中の一
人です。
ただ、
よく考えて返したメッセージでも、誤解を生
む表現になることもあります。
でも、
その時はその時で、訂正してわかって貰えば
いいわ…というスタンスなので返信を控える
ことはほとんどありません。
意見を表明せずに静観して居ることが良い場
合もあると思いますが、腹を探るための様子
見の静観はどうなのでしょう?
1対1だと意見を伝え合うのに、グループに
なるとだんまりになる。
この種のことについては、他の場でも話題に
上ったことがありました。それは、ママ友グ
ループのやり取りについてです。
その人は、自分の発言が最後にならないよう
に気にしていました。
最初の発信も気が引けるけど
発言が最後になるのも避けたいと言ったのです。
返信しないわけにはいかないが、目立ちたく
もない。
メンバーからの反応がとても気になる様子が
伝わってきました。
片や私の場合は
黙っておく方が大変で、心の中で自分の口を
塞ぐように努めなければなりません。
こういうスタンスは、社会人としては未熟だ
と分類されるでしょう。
なぜなら、自分のメリット・デメリットを熟
慮し、賢く対応するのが大人の姿だとも思う
からです。
現に私は、口火を切ったことで、貧乏くじを
引いたり、助けを求め周囲に面倒をかけたこ
ともあります。
ただ、そういう危惧を感じながらも、私には
大切にしていることがあります。
それは、「タイミング」です。
このタイミングは2つの意味を含んでいます。
1つ目は、
タイミングを信じる
2つ目は
発信のタイミングを図るということです。
1つ目の
「タイミングを信じる」というのは、
そのタイミングで考えついたのだから、発信
するに値することなのだ、と湧き上がる思い
を信じるということ。
人生の蓄積によって芽生えたと理解し、自分
の発案を信じる材料にしていくということです。
2つ目の
「タイミングを図る」というのは
・即発信するのか?
・伝える時期を見計らうか…のタイミングです。
というのも、
発言しようとする内容が、これまで続けられ
て来た事柄への進言である場合、それを担っ
て来た人の気持ちを大切にしたいからです。
その配慮としてのタイミングが必要だと感じ
ます。
一方、
自分がどう思われるか?という人目が気にな
るだけであれば、思いついた時が発言時かも
しれません。
なぜなら、
思いが浮かんだにもかかわらず、発言を先延
ばしにすることで、心配材料がチラつくから
です。
そして、目的よりも保身の気持ちが働くと、
アイデアを引っ込めてしまいがちです。感性
が理性に抑えられるケースですね。完璧を求
める人には多いかもしれません。
もちろん、
取り返しがつかなくなるような重要な判断で
は、先の先まで見越した発言が必要です。
でも、
そうでない場合まで、石橋を叩くような態度
が求められるのか?といえばそうでもないよ
うな気がします。
私にとって本当の失敗は、
「伝えておけばよかった」
と発言を見送った時の後悔です。
タイミングを考えながらも
自分から湧き上がるものをスルーしない。
このスタンスが私にとって良いと感じるの
は、同じような姿勢の人と繋がれるというこ
とです。
その結果、
腹を探らず、ラクなつきあいができます。
「ラクなつきあい?」
「あなたが感じているだけじゃないの?」
…と言われるかもしれません。
そうです、
そのとおりです!
他人が何を思っているのか、私にはわかりません。
他人の心は、他人のものですから…。
それと同時に
自分の気持ちは自分のもので
自分の機嫌を良くしておくためにも、健康な
精神状態を保っておくことを他人に肩代わり
してもらうことはできません。
それなら、
周囲への気遣いを忘れず
目的に沿って、自分の気持ちを伝える態度に
知恵を使えばいいのではないか?と思うのです。
慎重な姿勢を忘れてはいけないけれど、他人
の反応を気にし過ぎて、迷いの中で時間を費
やすほど人生は長くない。
いつもそんな思いで居ます。
さて、
あなたは自分の「腹」を
どのタイミングで
どんなふうに伝えておられますか?
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「えっ、何それ!」
「それって、おかしくない?」
新たな場所に所属すると、自分の知る常識と
は違うルールで物ごとが運ばれる様子に、驚
く事があります。
「私はこう思うけど、
他の人はどう思ってるのかなぁ?」
「私は従う気になれないけど、
皆さんはそれでイイの?」
…など
じわじわと疑問が湧き上がる。
こんな経験はありませんか?
新年度に入り、
新たな場所で活動が始まった方も多いと思います。
そこで今月は、
新たに現れた常識への対応として「本来の目
的に立ちかえる」姿勢について綴ります。
そこここに在る暗黙のルール
一般常識と言われるものの他に
その場特有の常識や慣習ってありますよね。
その常識への疑問や違和感は日毎に薄れ、馴
染んでいく、馴染ませていく…そんなふうに
社会へ適応していくのが通常でしょうね…。
馴染んでいかないと、そこに居続けるのは難
しいですから…。
ただ、そんな中でも
「なんだかなぁ…?」と
しっくりこない思いを引きずりながら過ごさ
なければならないこともあります。
そんな腑に落ちない成り行きに、人はどのよ
うに対応していくのでしょう?
ただ、
対応と言っても、自然に馴染んでいることも
多いでしょうから、なかなか意識に上ってこ
ないかもしれません。
そこで
意に沿わない時の反応を私なりにタイプ分け
してみましたので、あなたもいつものご自身
を思い出してみて下さい。
1)積極的に馴染んでいく円満タイプ
2)周囲と折り合いをつける合意形成タイプ
3)自己主張気味の反論タイプ
詳しく観ていくと、もっと細かくわけられま
すが、ここではこの3タイプにしておきます。
こうしてみると日本では
3)の反論タイプは少なく、
1)の自ら馴染んでいくタイプと
2)の周囲と折り合いをつけながら、自分の思
いを発信するタイプがほとんどでしょう。
ということで
1と2を検討します。
まず、
1の積極的に馴染むタイプは、
相手との間に波風を立てないように、自分の
思いを抑えて同調する感じ。
明確な意見があっても、立場によっては意見
を抑えざるを得ないこともあると思います。
つらいところですよね。
それでも、周囲と対立しないという点では、
この姿勢は大切です。
2の折り合いをつけるというのは、
周囲と自分の意見をすり合わせながら、互い
に納得できる妥協点を探し、話を進める。
この2番が難しいのですよね(>_<)
周囲の意見や雰囲気を尊重しつつも、自分を
抑え過ぎず、タイミングを見計らって思いを
伝えたり、行動に移す。こんなふうにうまく
折り合いをつけながら、関わって行くのは簡
単ではありません。
それでも、
周囲がこの姿勢に協力的だといいのですが、
そうでない場合は難しいです。
例えば
否定的な雰囲気や無反応なケースです。
このような感じだと、タイミングを見計らう
のも大変です。
それなら
2のように、同調する方がすんなりいっ
て、いいんじゃないの…とも感じます。
ただ、
それが度重なるとしんどくなるのですよね。
というのも、
周囲との摩擦は生まれなくても、自分から生
まれる違和感をスルーすることは、自分をあ
ざむくことでもあるのでストレスにつながります。
そして何より、
自らで考える力が衰えて、人生を楽しく生き
ていくエネルギーも削がれていきます。
それなら、
どうすればいいのでしょう?
そこでお伝えしたいのが冒頭でも書いた
「目的に立ちかえる」思考です。
当たり前のことのようですが、うっかり忘れ
がちです。
いつものように処理されて行く様子にがっか
りしながらも、適当な手立てが見つからな
い。その場の雰囲気を読みながら、いろいろ
考えるが、うまく言葉が出てこない。
そういうことで
いざ言葉にすると目的そっちのけで攻撃的に
なったり、または、早く話を終わらせること
がゴールになって、本意を伝えられなかった
りする。
その結果
意見を通す思考が優位になると、たとえ口に
は出さなくても
「私が正しい!」
などと思い込みが湧き上がり、怒りの気持ち
がグルグルと巡る。
本末転倒な話です。
そのような悪循環を感じた時、
「何のためなのか?」と
目的を振り返ることができるとどうでしょう?
そう心の中でつぶやけた時点で
すでに客観的になれて居るし、
自分の意見が目的から外れていた場合は修正
できます。
目的ベースで話すことは、利己的な意見にな
らず、発言の主旨も認められやすいはずです。
さて、
ここまで読まれて、
あなたはこれまで、腑に落ちないことに出く
わした時、どんな反応をして来られたか思い
出されましたか?
もちろん、
誰しもトラブルは好みませんから、多数派や
立場の強い人の意見に従ったり、意味なく続
いて来た慣習をそのまま踏襲せざるを得ない
こともあるでしょう。
しかしそんな時だからこそ
目的を振り返ってみる。
「何のために行われているのか?」
「何の目的で続けられて来たのか?」
目的確認は、頭が整理されるとともに
その場の進め方や
関わり方の判断材料にもなります。
例えば、
・意見をさし挟まず、従って良いことなのか?
それとも
・少し、角は立つかもしれないけれど、思い
を伝えてみても良いのか?
流れに任せたままではなく、
自分の言動を自分で選択する感じです。
もちろん
何にでも目くじらを立て、ムキになる必要は
ないと思います。
ただ、状況がスムーズに流れることを優先し
過ぎると、モヤモヤした気分が溜まり、精神
的にしんどくなります。そうして心は曇り、
自信を持てない日々に繋がっていきます。
最近、
「心が晴れないなぁ…」と感じている方、
湧いてくる違和感をどんなふうに扱って来ら
れたでしょう?
何となく
やり過ごしてはいなかったでしょうか?
自分の言動を、目的を持って選択してみると
気分が変わってきます。
この連休に
ちょっと、振り返ってみる時間をとってみませんか?
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「また会いたい」とか
「末長くおつき合いしたい」とか
関係をつなげていきたいと思える人との出会
いがたまにあります。
私たちの日常は、酷く傷つけられることはな
い代わりに、つきあい続けたいと思える出会
いも、そうたくさんはありません。
そんな中、
ここ最近で出会えた人の振る舞いから、改め
て感じることがありました。
それは、特に目立つものではないけれど、
自分が大切にされた…という安心感でした。
どこから来たのでしょう?
この感じ…。
そこで今月は
何がそういう気分を呼び起こすのか?につい
て振り返りました。
例えば、
私が思い出したのはこんな振る舞いです。
・つい忘れてしまいそうな場面での温かいあ
いさつ
・複数人で話している時に自分にも注がれる
話し手の視線
・途中で遮られた話を戻し入れてくれる声かけ
….などです。
あなたは、どんな場面が思い浮かびますか?
上記以外にもいろんな場面があると思います
が、やはり誰しも、自分が大切にされたかど
うかは、気分の分岐点になりますよね。
「あなたの存在を感じていますょ」…と、受
容されていることがわかるささやかなメッセ
ージが伝わって来ますから・・・。
一方
視線を外されたり、話をスルーされるなど、
ぞんざいに扱われたと感じた時は悲しくなり
ます。憤慨や孤独感に繋がることもあるでし
ょう。
こう考えると、人の心は見過ごされそうな小
さなメッセージからも、折れたり支えられた
りするのだと思います。
それなら、自分が支える側の態度を心がけれ
ばいいのだ、と思いながらもそれがなかなか
難しいのが私の現状です。
単に、気がつかないということもあるけれど
それにプラスして、私にはこんなことがあり
ます。
人と関わる時、両者の間に生まれる相手を思
う熱量のバランスを測る自分が居るのです。
例えば、
・こちらは気にしているのに、
相手はそれほどでもない。
・こちらは楽しみにしている約束を、
相手は軽くキャンセルする。
そんな肩透かしをくらわないように、無意識
に少し控えめな熱量で関わりに臨んでしまう
ことがあります。
歳を重ねたせいなのか、できるだけ傷つかな
いように関係を保つ術を身につけてきたのか
もしれません。
そういう姿勢で居ると、傷はつきにくいけれ
ど心が通うつき合いには発展しにくいです。
そして薄いままの関係が続いてしまいます。
そんなことを考えながら周囲を見渡すと、
友人の中に一人居ました。そんな術を度外視
して人づき合いを進める人が…。
熱量高く関わることで傷つくことも多いよう
だけど、裏表を感じさせず、安心してつき合
える人です。
何でもそつなくこなし、しがらみ少なくクー
ルなつきあいも良いけれど、熱量を感じる人
に出会うと私はホッとします。
そしてその友人は、いくつになってもチャレ
ンジングで楽しめる人生を歩んでいます。
どうすれば良い人生を歩めるかなんて、歩い
ている途中にはなかなかわかりません。
それでも、
相手を大切に、丁寧に関わることで紡ぎ出さ
れるものがあるのだと、彼女をみて感じます。
流れる日々の中で、心に留まる小さなことに
も、心ある態度で反応できるように、私もな
りたいです。
そしてその姿勢は、誰かを支えると同時に
自分を支えてくれてるのだろうと思います。
]]>≫≫音声朗読版
あなたは、
マウントを取られて、嫌な思いをしたことは
ありませんか?
また逆に、
あなた自身がマウントを取ったことに気づい
て、後悔したことはありませんか?
自分の方が優位だとアピールして主導権を握
ったり、相手の劣等感を引き出して気分を害
するマウンティング、
タイトルには「取ったり、取られたり」とつ
けましたが、マウンティングなんて無縁だ…
という方は何のことかわからないかもしれま
せん。本当はそう在りたいです。
でも、そうはいかない所で生きている方へ、
少しでも参考になれば….という思いで、マウ
ント発言を分解しながら考えていきます。
・・・と、書いたものの、私はこれまでマウ
ンティングについて深く考えて来たわけでは
ありません。それが、ほんの数ヶ月の間に、
驚くようなマウント場面を見たり聞いたりし
たことから、興味を持って考えるようになり
ました。
そうすると、
マウントを取られる被害者側だけではなく、
自分がマウントを仕掛ける側に回っていたの
ではないか?とも想像できる恥ずかしい過去
も思い出しました。
そこで、
マウントされた時の気分の対処と無意識にで
も自分がマウントする側にならないための対
策も含めて、ここで考えていきます。
初めに、
マウントを仕掛ける側の心理を想像してみました。
大きくはこの3つです。
1)優越感に浸りたい
2)主導権を握りたい
3)尊敬されたい
これらを思い浮かべることができると
された時の気分の対処も、
しないための意識を強く持つことも、
案外カンタンだと思いました。
なぜなら
マウントされた時、相手はこんな気の毒な心
情なのだと思えて、哀れみさえ湧いてきます
し、自分がマウントを仕掛けそうになった時
自分の本音が見えて恥ずかしくなるからです。
そこで、
私自身が思い出した事というのは、こんな経験です。
心理学を学ぶ中で精神医学界の大家から教え
を乞うた経験があると、訊かれもしないのに
話したことです。長く生きていればそんな経
験があっても当たり前で、自慢することでも
ないのに、言ってしまったのです。
ただ単に経験として関連場面で話すことがほ
とんどではありますが、でも、教えてもらっ
た内容以上に高名な先生の名前を出すところ
が何とも恥ずかしいわけです。
有名人とのツーショットを見せびらかす人の
心理にも似ていますね。
もう一つ、よく見かけるのが
小難しい専門用語を多用するケースです。
「それどういう意味?」と聴いているこちら
が思い巡らせている間に話は進んで行く。結
局、伝わってこないのだから、何が目的なの
かが怪しくなるのです。これも、マウントの
一種だと感じたりします。
こんなふうに振り返ると、相手を酷く傷つけ
るようなマウントよりも、喉元に小骨が刺さ
るようなちょっとした自慢を伴うものが大半
を占めるように思います。
そう思うと
年長者の苦労話や自慢話も度が過ぎるとウン
ザリさせる上に、マウントにも繋がりかねませんね。
私自身が気をつけねば、と思えてきます。
教訓として伝えることと、
苦労話や忍耐力の強さ、
知識自慢や人脈自慢のひけらかしは紙一重。
そんな中、
有難い教えをくださる方の発言は、鮮やかな
リスペクトに繋がります。
片や
亀の甲より、年の功と言わんばかりのお節介
発言は底の浅さが透けて見えます。
加えて感じることとして
同じ表現にも関わらず、人によって与える印
象の違いです。
例えば
「私はこんな本を読み、こういう順序で学び
を深めて来た。参考にすると良い」というア
ドバイスを頂いた時、
それが
・自慢げで、嫌味に聞こえる人
・正直な方だと感じられる人
・この人についていきたい!と
広い背中を感じさせる人
これらの違いは、
日頃の人あたりなどから汲み取られるその人
のキャラクターが作り出すのでしょうね。
つい口に出た自慢にもつながりそうな表現で
あっても、相手を思いやる姿勢を持つ方のそ
れは、可愛く思えたりすることもあります。
一方、
いくら事実でも、相手を軽く見る温かみが感
じられない人からは、それなりのものしか伝
わって来ません。
マウントされた場合の気持ちの対処を…と書
き出しておきながら、私自身への自戒が多く
なりました。
本題に戻り、
マウント被害者になることが多い方へは
傷つくようなマウントを仕掛けられた場合は
一旦は腹が立つものの、冒頭にも書いた相手
側の心理状態を思い出してもらいたいです。
1)優越感に浸りたい
2)主導権を握りたい
3)尊敬されたい
相手の心情がこんな可哀想な状態なのだと推
察できれば、苛立つことすらアホらしくなる
でしょう。そして、そんな相手は、できる限
りの方法で放っておきたものです。
最後に
この件に関わらず、対人場面で強く思うこと
はいつも同じだ思い返しました。
それは
「心の中で何を思うかは、その人の自由。
でも、それをどう表現するかに知恵を使える
かどうかが、その人格をも左右する」ということ。
日頃から相手に温かさを注ぎ、ウィットの効
いた表現で包み込むような態度がとれる人に
私は、憧れます。
相手の心を挫く(くじく)のではなく
関わる人の気持ちを、
そして、
何より自分の気持ちを、
上向ける表現力を持つことに意識を向けてお
く・・・それがマウント発言も含めネガティ
ブな気分から元気を復活させてくれるように
思います。
今月は、マウントについての傾向と対策をお
役に立てて頂ける形で綴る予定でした。それ
なのに、月末の今日、ギリギリの今、まとめ
た内容が、自分への戒めの方が大きくなって
しまったこと、お許しください。
読んでくださる方の中で、たったお一人で
も、この内容が参考になれば、幸いです。
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突然ですが
こんなことを頼まれたら
あなたはどうしますか?
「10億円で今後のあなたが受け取る感動を売
ってください」
…という申し出です。
これは、
10億円と引き換えに、ポジティブ・ネガテ
ィブを交えた、今後あなたに起こる心動く感
覚を渡してしまうという意味です。
ここでは「10億円」と表現しましたが、金
額は100億でも一兆でもイイのです。とにか
く、想像もつかないほどの金額です。
一生贅沢をしても余りあるほどの財産が手に
入る一方、今後一生心動く感覚を味わえない
という交換条件です。
どうでしょう?
あなたならどうしますか?
中には、ネガティブな感覚を味わいたくない
から「売ってもかまわない」という人がいる
かもしれません。でも、ポジティブな感動も
ろともなくなってもいい…という人は少ない
と思います。
また、10億円で感動を売る、、、なんて
一見、あり得ない話で、本気になって考える
のはバカバカしいと思う人が居るかもしれま
せん。
しかし、
全く考えるに値しない話でもないようです。
なぜなら、
気持ちを抑え過剰に働き、うつを患ったり、
時間に余裕がなく家族関係が希薄になった
り、挙句の果てに起こった過労死などの話を
耳にすると、感動を売ったのと変りないと感
じるからです。
また、
これほどまでに酷い状態に陥らなかったとし
ても、お金や対面のために大切なものを犠牲
にしていると気づかないことも多いと思います。
「10億円で感動を売れるか?」
この問を投げかけられた時、
私自身ハッとしました。
私の場合、
一番に浮かんだのが、娘との時間を削ったこ
とです。
シングルでの大変さはありましたが、子育て
の大切な時期に仕事を優先したことについて
は、取り返しがつかないという思いがあります。
もっと毎日、話を聴いてやれば良かった。
毎年旅行をしていれば良かった。
….など、今となっては後の祭りです。
時間を何に変えるか…それが私たちの人生の
質に関わってくるのは分かっていても、なか
なか行動に移せなかった。
いや、
若い頃は永遠に時間があるように感じ、そん
なことに考えが及ばなかったのだと思います。
高齢になって、やっと思い至る、
時間の質は人生の質につながっていること。
時間を何に使えば有効なのかは、みんなわか
っているのだと思います。
それは、誰もが持って生まれてきたもの、
「貢献欲」を満たすことでしょう。
誰かを喜ばせたいというその思いは、まずは
お母さんを喜ばせることから始まった人は多
いと思います。
誰かが喜ぶ様子が
自分の喜びに変わる。
そのような感動が自分の幸せにつながること
はわかっているのに、身近にある安定重視の
必要条件に心惑わされてしまう。
ご相談を受ける中で、こんな話を聞くことが
あります。
離婚したいけど、生活の安定を考えると別れ
られない、と子どもにも辛い環境を強いてし
まっている、、、とか
悪口が横行する、腐った人間関係がはびこる
職場でも、
「自分は他の会社では通用しない」
…と転職を諦めたり、
高齢の方からは、ボランティア活動をしたい
けれど、今は無理。定年退職してから始める
つもりだ….
という話など。
このような話を聞くと、
冒頭の「10億円で感動を売るかどうか」の
選択に重なってくると思いませんか?
日々の心の動きは細切れということもあり、
感動を売っているとは感じにくいでしょう。
けれど、このことに鈍感で居ると、心動く時
間は確実に減っていく。
そうして、
二度と戻らない時間が
どんどんこぼれ落ちていく。
この事実は、
大切なことなのに、忘れがちです。
年頭にあたり、
自戒の気持ちも込めてつぶやきました。
あなたの1年が
どうか上質な時間の連続でありますように…
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
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■ 編集後記 ■------------------------
「なんとなーくなしくずし的に始まって
楽しかったね。で終わりです。」
これは、私が毎月参加するある講座の主催者
が私にかけた言葉です。
今月の講座では、私が担当する出し物があり
ました。参加者70名で立ち見が出るほどで
少し慌てた私。
終了後の言葉ではありましたが、場の雰囲気
に委ね、楽しむことを優先する彼女の構え方
に安心感を感じました。
だいぶん緩んだとはいえ、まだ「ちゃんとし
たものを!」の気持ちが残る私には、年頭か
ら心地よい風が吹いた感じです。
今年も、気づいたことをピックアップしてつ
ぶやきます。どうぞよろしくお願いします♪
↑↑↑↑
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下記内容の朗読をお聴き頂けます
「だから私はうまくいかない」
口に出すことはなくても
気づいたら、心の中でつぶやいている。
毒親とか
親ガチャとか
アダルトチルドレンとか….
他にも親に関わることに限らず、
コントロールが効かないところから受けた影
響によって、うまくいかない人生を歯痒く感
じたことはありませんか?
あんな育て方をされたから….
あの時、あんなことを言われたから….
…と現状を誰かや、何かのせいにしてうつう
つとすること。
私自身30代前半までは、どっぷりその思考
に浸かっていました。
自分の力ではコントロールできないこと、
どうにも巻き戻しができない過去の出来事を
軸にして、つらい思考が巡る。
何かあると、
いつもそこに引き戻される感じ。
新たなことを試みるにしても、そんな思考が
続いていると、ブレーキをかけながらアクセ
ルを踏んでるようで、エネルギーばかりを消
耗させ、前には進まない。
それに気づきながらも、なかなかブレーキを
外せない。
そんな気持ちに風穴を開けてくれるような考
えはないものか?
そこで、
お勧めしたいフレーズをご紹介します。
それは
「固めてしまった考えに
自分を閉じ込めるな。
いつも自由でいていい。」
これは、
家族心理臨床家の団士郎さんの言葉です。
私たちは、同じ思考を往き来することで、
その思いを一層強くします。それが自分を励
ます思考ならいいのですが、その逆ならば、
心は内向きになり、固まって解けにくくなり
ます。
新鮮な空気を吸うこともできるのに、いつま
でも自分が吐き出した古い空気を吸って、頭
はスッキリしない。
対象となる相手や事象を責め、
「私はまちがってない」
と自分を肯定させるように確認しても
一向に心は晴れない。
それならいっそのこと
なんでもイイから、
自分を楽にする考え方を取り入れてみてはど
うか。
そんな時、気持ちの切り替えを促してくれる
のが先のフレーズ
「固めてしまった考えに
自分を閉じ込めるな。
いつも自由でいていい。」
もちろんたくさんの影響を受けて、今がある
わけで、そこにうまくいかない原因が含まれ
ることもあるでしょう。
でも、
現在では傷つきを回復につなげるステップに
辿りつくことは、比較的スムーズで、努力の
方向も見えやすくなりました。
そして、
私たち大人は、嫌なものからは離れ、心地よ
いものを取り入れる力も持ち合わせています。
大人になった私たちは、上手くいかない理由
を誰かや何かのせいにし続けることはできま
せん。
加えて、
幸せになることへの試みを誰かに肩代わりし
てもらうこともできません。
それならば、
上手くいかないことを嘆くよりも、自由でい
ていいことを自覚して、コントロールできる
ことから少しずつ手をつけていく。
迷惑をかけないことなら、
いや、
少々迷惑をかけても、誰かを傷つけないこと
であれば、迷わずトライしてもいいんじゃな
いかと思うのです。
来年は今年以上に
変化する世情に心揺さぶられるかもしれません。
そのような中、
幸運を招く考えを選択できる人になっておく
ことは、とっても大切です。
心の奥にある寂しさや、人生の課題が一気に
解消するわけではないけれど、日々の安定し
た気持ちは自らで保っておきたい。
そのためにも
心はいつも自由でいていいことを旨に
自分のハッピーを見つける姿勢を忘れずに居
たいです。
2023年も
新鮮な空気を吸って、爽やかな歩みを進めら
れますように。
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■ 編集後期 ■------------------------
あなたは、ふだん
「うらやましい」という感情が湧いてくる方ですか?
年齢を重ねると
「うらやましいわぁ」という表現が、会話の
潤滑油になることもあります。
一方、
憧れや称賛とは違う、口にするのもはばから
れる、妬みが混じった羨ましさもあります。
できれば抱きたくない感情ですよね。
ただ、
そんな感情の中にも、案外大切なものが隠れ
ているというのです。
隠れているもの….
それを心理臨床家の河合隼雄さんは「未開発
の自分」とおっしゃいました。
未開発の自分・・・?
そんなふうに表現されると興味が湧いてきます。
そこで、
今月は羨ましさから見えて来る
この「未開発の自分」について考えます。
そもそも
「羨ましい」というのは、自分が持っていな
いものを相手が持っている状態に対して湧い
てくるものです。
辞書の中に同義語として
「あやかりたい」とか「小憎たらしい」とい
う表現が並んでいました。
微妙な心の様子が伺えて、おもしろいなと思いました。
ただ、
相手との比較で、先の条件が揃ったからとい
って、いつも湧いてくる感情ではありません。
たとえば、
自分より走るのが早い人を見て、すごいなぁ
と思ったとしても、妬みにつながるような羨
ましさを抱く人は少ないと思います。
一方、
こういう場合はどうでしょう?
友人たちと休日を楽しむ知人の様子をSNSで
見つけた時
・「楽しそうだなぁ」と軽い感想を持つ人
・「なんでそんなことアピールしてるのよ!」
とイライラする人
後者の場合でも
もちろん、
湧き上がってくる感情に善悪は無いので、イ
ライラを抑える必要はないと思います。
ただ、
自分でも扱いづらい妬みに発展する場合、
それをそのまま放っておくのはもったいないです。
…というのも、
探ってみることで、未開発の自分を見つけら
れるからです。
この例の場合、
普通なら「楽しそうね」とサラッと流せそう
なことに、引っかかっているわけですよね。
羨ましさの条件となる
相手が持っていて、
自分は持っていないもの….
このケースでは
何がそれに該当するのでしょう?
・休日に一人過ごす自分
一方、
・友人たちと楽しむ知人、
これを比較して、ネガティブな気持ちが起こ
っていると仮定します。
そうすると、
本来、友人との関係を程よく築き
一人の時間もそれなりに楽しんでいるなら、
特にひっかかることは少なく、妬みにはつな
がらなかったと思います。
こんなふうに考えを進めると、妬みにまで至
る羨ましさの素は、休日に一人で居る寂しさ
を認めたくない…という思いが伝わってきます。
ここにポイントがあるようです。
そこで
「このイライラはどこからきているのか?」
と考えてみる。
これは、相手へ向けていた思いを、内省とい
う形で自分に向けてみるということです。
この例に限らず、こだわってしまう事柄につ
いては、その人自身が「生きていく上で大切
だ」と感じていることが多いです。
この場合、
認めづらい一人の寂しさを振り返ることで何
が示唆されるのでしょうか?
人との付き合いに課題を持ちながらも、それ
について具体的な行動の変化を避けていたと
か、本当にやりたいことに手をつけられてい
ない等、うまくいかないことがあったのかも
しれません。
私自身、
向き合わなければならないことを避けている
自分を見つけ「あかん、あかん」と自戒した
経験は何度もあります。
取り組んだ方がいいとわかっていながら、先
延ばしにしていることは、自分でも薄々気づ
いているものです。そのため、そのことはい
ろんな事象を通じて、繰り返し迫ってくるの
だと思います。
まぁ、そんな中でも限界を見極め、自分の中
に折り合いをつけられると、しんどい感情も
徐々に緩んでいきます。
イライラをネット上で暴言し、憂さを晴らす
人が問題になっているのを聞きますが、そこ
までいかなくても、八つ当たり的な思考は自
分をしんどくさせるだけです。
いつもではないけれど
時にはイラッとすることは誰にでもあります。
そんな時、
相手にぶつけるのではなく、
無理に抑え込むのでもなく、
「イライラを材料にして、“未開発の自分“を
みつけてみよう」という提案です。
結局は他者との比較で気分を落とすより、
「今ここ」の自分の在りようを知って、「心
地よく感じる生活を築いていくには何が必要
なのか?」と考えてみる。
他人の心地よさと、自分のそれは違うのだ…
と考えられると本当に大切にしたいものが見
えてきます。
もしあなたが今、
誰かを、また何かを通じて
羨ましさからイライラを感じているなら、そ
れには「未開発の自分」を見つけるヒントが
隠れているかもしれません。
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「あぁ、なんだか馴染めない」
すでに出来上がってる人の輪に入る時、ちょ
っとしたアウェイ感を持つ経験は誰にもある
と思います。
カウンセリングでも、しばしば聞くお話です。
アウェイな感覚が長く続くことで、人との関
わり自体に苦手意識を持つ方もいるようです。
先月のタイトル「友だちができないという悩
み」と傾向は似ていますが、今月は、特定の
相手ではなく集団との関わりを考えます。
私たちは何をするにしても、初めはチョッと
した緊張感を伴います。
それが出会いの場面において 1対1 なら、抵
抗は少ないけれど、すでに輪ができている集
団の場合は様子が違います。
この時の感じについて「アウェイ」という表
現がフィットすると思い、タイトルに使いま
した。
「アウェイ」と聞いて、
あなたはどんなイメージが浮かびますか?
辞書には、「敵地」と出ています。
スポーツ等では、いつも練習している場所を
ホーム、相手チームの本拠地をアウェイと呼
びますね。
そこからもわかるように、自分にとって居心
地が悪い場所や、場違いな雰囲気を指してア
ウェイと表現されます。
例えば、
趣味のサークルに入会したり、
子どもが公園デビューする時のママさん、
また転職などで新たな関わりに加わった状態
が浮かびます。
最近では大人数のLINEグループもそれと似
ています。
自分から望んで関わった場であっても、馴染
むまでに多少の時間がかかります。
精神状態によっては、孤独感が迫り、いたた
まれなくなることがあるかもしれません。
今月は、このような心境を分解し、その対処
について考えます。
日常のちょっとしたアウェイ感から、イジメ
などで受ける強烈なものまで、さまざまです。
その中でも、
今回は、表立って「敵・味方」というのでは
ないけれど、なんだか居心地が悪い…という
ハッキリしない方の「アウェイ感」を取り上げます。
さて、
集団に加わった時、取り立てて問題が起きて
いるわけではないけれど、何だか落ち着かな
い状態について
この正体のおおもとは何なのでしょう?
それは
単純に「その場に慣れていない」というこ
とは想像がつきます。
では、
その場の “何に“ 慣れていないのでしょう?
それは、
既に在るその場特有の「不文律」であること
が多いです。
不文律とは
ハッキリとルール化はしていないけれど、
「こういう時はこんなふうにコトが進む」と
いうようなふんわりとした暗黙知です。
時間の経過によって、徐々にわかるその場の
決まりのようなもの。
初めはこれがわからず、心の中でキョロキョ
ロ周囲を見回すような落ち着かない感覚…
これがアウェイ感につながるように思います。
こんな時、
受け入れ側がこの様子に気づき、慣れるため
の働きかけがある場合はこの感覚はグン!と
減ります。
でも、そのような気遣いが見える形で表現さ
れるかどうかは、受け入れ側に居る個々人の
意識の違いによります。
ですから、相手からの気遣いを待つばかりで
なく、馴染むためのアプローチを持っておく
と、慣れるまでの時間が短縮できたり、居心
地も少しは変わってくると想うのです。
そこで私が経験から行うようになったのが
自ら「関わる姿勢」をマイルドに伝えるとい
うことです。
具体的に言うと、
直接自分に話しかけられていない場面でも、
全体的に発信されたことに対しては、反応を
示すということです。
これは、こちら側の「関わる意思」を表現し
関係づくりへと水を向けることを意味します。
その手段として私が提案するのは
「うなずき」です。
本来は「笑顔」や「ほほえみ」と言いたいと
ころですが、現在はマスク生活で表情が伝わ
りにくいです。
そういうことから、「うなずき」は以前にも
増して、効果的だと思うようになりました。
うなずくことは、
相手に対して「聴いてます」「関心を寄せて
ます」という姿勢が伝わりやすいです。
LINEでも、メッセージやスタンプなどの積
極的な返信ではなく「見ましたょ」的なサイ
ンを送れる機能があります。あれは便利ですね。
逆に、
聴いているのに、無反応だと、意図しない思
いが伝わってしまうこともあります。
どんな思いを持っていたとしても、
受け取られるものは、
こちらの表現によって相手に届いた印象で判
断されます。
私は仕事柄、うなずきが習慣づいているので
すが、特に日本人は意識しないとうなずきは
少ないようです。
うなずきについては、その深さや速さで、言
葉を発しなくてもこちらの姿勢を伝えること
ができる便利なツールです。
そしてもう一つ、
言動で気をつけることとして挙げたいのが
初めの内は、ひとまず意見を控えておく…と
いうことです。
え?
関わる姿勢としては逆じゃないの?
…..と思われるかもしれません。
ただ、これは私の場合です。
ふだんから
頭に浮かんだ考えが口をついて出てくる性分
のため、意識して胸の内に留めておく必要が
あるのです。
「こんな場合は、こうした方がいいのでは?」とか
「私ならこうするかなぁ」
など….
このような発言は「時期尚早で、余計なお世
話」ということもあります。
若い頃から 浮かんだままの考えを口にし、失
敗を重ねて来た私だから感じることです。
ですので、
「郷に入れば、郷に従え」
という諺もあるように
歳を重ねた今では、
意見を求められた場合には応える・・・その
程度がよいかな、と思うようになりました。
一方
私とは逆で、いつも控えめな方は
求められた時に発言できるよう、自分の意見
を意識しておくといいですね。
どちらにしても、集団への関わりに苦手意識
のある方は、一度うなずきを試してみてくだ
さい。面白がるつもりで自分を観察しながら
その場に居られると少し気分が違ってきます。
無理に集団に関わる必要はないですが、せっ
かく興味を持ったのに、この苦手意識から断
念するのならもったいないと思います。
一度切りの人生…と言うと月並みですが、
旅にもたとえられる私たちの歩み、行く先々
で自分に合った関係を意識しながら、工夫も
取り入れて、楽しんで進めていけるといいで
すね。
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「あなたは友だちが多いほうですか?」
…と、こう聞かれても
友だちをどのように定義するかによって、見解はそれぞれ違って、
答えにくいかもしれません。
ここでは「友だち」を少し踏み込んだ話もできる間柄とします。
多ければ良いというものではないけれど、
「友だちがいない」と感じる心境がつらいのは理解できます。
そしてこの件は、悩みのメインでなくても「人生の孤独」に繋がり、
上手くいかないことの一つだということは伝わって来ます。
そこで今月は、友だち関係が深まりにくい傾向を分解し、
関係を育てることについてつぶやきます。
仲が深まらない理由はさまざまあり、特定することはできませんが、
ここではうまくいきづらいケースを大きく2つに分けてみました。
1)相手との距離感がわからず、こちらから接近し過ぎて去っていかれる
2)相手ばかりが話し、こちらは聴き役になり、関係が深まらない
1)のケースでは
「自分をわかってほしい」「早く仲良くなりたい」という気持ちが強かったり、
相手の口数が少ないということもあるでしょう
2)のケースでは
「自分の話なんてつまらない」「聴いてもらうほどの価値ははない」と思い込んで、
自分の内面がわかるような話にまで及ばない
ご相談の中では、(2)のケースが多いので、ここでもそちらを取り上げます。
まず、
相手の話を聴いてあげて、こちらから傷つけることを言うわけでもないのに、
なぜ友だちになれないのか?
これについて、一つたとえ話しをします。
昔のTV番組で「箱の中身は何でしょう?」的な当て物ゲームがありましたよね。
覚えていますか?
箱の上部に穴が開いていて、そこに手を突っ込み、中のものを当てる・・・
罰ゲームなんかで使われていた、アレです。
例えば、ぬらしたコンニャクを割り箸に刺し、出題者がユラユラ揺らしている所に
手を突っ込ませる。
そうすると、ザラザラぬるぬるした手触りに、回答者は気持ち悪くて、
少し触れては手を引っ込める。そんなことを繰り返します。
中身がわからないと、爬虫類を想像して気持ち悪いですよね。
でも、それがコンニャクだとわかっていたら、どうでしょう?
何が言いたいのかというと
人はわからないものを怖がったり、気持ち悪がったりして
積極的に関わらないのは通常の反応だということです。
これが(2)のケースと重なるわけです。
自分のことを相手に伝えない状態は、
見えない箱に入っているのと似ていて「中身のわからなさ」が
気持ち悪さや不信感につながりやすいのです。
その状態が続くと、どう接したら良いかわからず、
相手は離れて行く。あるいは一緒にいても、
気持ちは近づかないままで友だちには発展しにくいです。
ただ、
クールな自分を演出するため、故意にしているなら、
それはそれでいいのかもしれません。
でも、関わりたいのに無意識にそうしているなら、もったいない話です。
通常、人との関係は一気に深まることは少なく、
徐々に親しくなりますよね。
初めは、お天気など表面的な話から始まり、その後、直接関係はないけれど、
その人の思いを覗かせるような、映画や書籍の感想等
何かを媒介に関わりを進めます。
そうして、
少し踏み込んだ話に及び、親密さへとだんだん関係が深まって行くのが一般的です。
それが、「自分の話なんてつまらない」「話すと嫌われるかもしれない」
などと思い込み、いつまでも表面的な話に留まっていると、
関係の進展は期待できません。
ただ、こういう微妙な頃加減を判断しながら関係を進めて行くのは、
簡単とは言いづらいです。
そのためにも、小さい頃から失敗も含め、
いろんなやり取りを経験することが大切です。
そう言いながら
未だに失敗のある私は、心に刻んでいることがあります。
それは、相手を傷つけまいと気持ちを抑え過ぎたり、
自分が傷つくことを恐れて発言を控えるより、
傷ついたり傷つけたりすることがあることを心に留めておく。
そうして、
伝える時の表現方法に知恵(心)を遣うことの方が重要だということ。
知恵(心)を遣うというのは、相手の気持ちを汲むのはもちろんですが、
同じことを発言するにも、タイミングやその抑揚、表情を含めた言葉の
バリエーションが挙げられます。
例えば、
怒りの気持ちを伝えたい時「腹が立つ」「ムカつく」と言うより
「驚いた」「困った」「悲しかった」という表現のほうがマイルド
で口にしやすいです。
また、もう少しダイレクトに伝えたければ
「傷ついた」「悔しかった」「ショックだった」という表現もアリかと思います。
このように言葉のストックを持っていることで、我慢や不快さを募らせるのではなく、
分かち合いが促されます。
私たちはついつい
「言う」か「言わない」・・・か、この二者択一になりがちです。
そんな時、
関係を育てることを前提に、「伝え方を工夫する」という
第三の道を選んでみるのはどうでしょう?
そうは言っても、いざその時になると勇気が要ります。
でも、そこが踏ん張りどころかな…と思うのです。
誤解を恐れずに言うと、関係を絶ってもいいと思える相手なら
「もういいか」と表面的な反応で済ませても構わないのかもしれません。
でも、
繋がって居たい人とは、「知恵(心)を遣うう」ことを面倒がってはいけません。
相手との関係も深まらないし、何より、人としての成熟もそこまでなのだと思うからです。
クライエントさんがよく言います。
「人間関係って面倒ですね」って。
そう、、、
人間関係は基本「面倒」です。
これがベースです。
そういうわけで、
人間関係に行き詰まり「あぁ、もう面倒だ」という
心のつぶやきが聞こえた時、それを踏ん張り所だと思えるとどうでしょう?
もし今、
関係を続けたいのに上手くいかないと感じる相手が頭に浮かんでいるなら、
関係が育つポイントに差しかかっているのかもしれません。
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気がついたら、つらい思考がぐるぐる回っている。
早く抜け出したいと願いながらどんどん深みにハマって行く。
思い当たる方もいらっしゃるのではないでしょうか?
「そんなことあったかなぁ?」と、
思い出せないくらいの人は幸せですね。
一方
それが定期的にやって来るとか、そういう時間で一日が覆われているという人は辛いです。
今月はぐるぐる思考に困っている方に向けてつぶやきます。
━━━━━━━━
誰しも悩みを持ちますが、
中でも、
性格にまつわる課題は、解決が難しく、
悩む時間が人生を無駄にしているような感覚にさえ襲われます。
しかしそれが、見方によっては騙し絵のように消えてしまったり、
手のひらサイズになるケースがあります。
不思議だし、
「ホントに?」と疑いたくなりますよね。
でも本当です。
これは、
悩みの「前提を疑ってみる」ということから
始まります。
ここで言う「前提を疑う」というのは、
今抱えている辛さは、悩むに値することなのかどうか?について吟味するということです。
私は相談をお受けしていて
真面目な人ほど悩みを深めやすく「解決には努力が必要だ!」
と信じていると感じるようになりました。
悩んでいる時というのは、
「なぜ、できないのか?」
「どうしてこうなったのか?」
…というふうに、
「なぜ?どうして?」と原因追求をして自分を追い詰めがちです。
考えても答えが出ないとわかっているのにやめられない。
例えば
・友だちが少ない
・同僚と親しくできない
・他人の目が気になる
これらをネガティブに捉え、落ち込み続けてしまう。
「なんとか努力して、自分を変えなければ」
と思いながら、そうできない自分を責める。
たしかに「他人と過去は変えられない」と言われますし、
「自分を変えること」が功を奏することも多くあるでしょう。
でも、
いつもそうとは限りません。
というのも、気持ちが疲れ切ったまま、自分を変えようとして
リバウンドを起こす人を見てきたからです。
そこで、まずは
その課題が悩むに値することなのかどうか?
を検討することがポイントです。
例えば1つめの
「友だちが少ない」と悩むのは、
「友だちは多い方がいい」という
一般的な考えが基本になっていないでしょうか?
でも、本当に多いだけが良いことなのでしょうか?
たとえ、友だちと思える相手が居ないとしても、
本や映画で心動かす自分を感じることでそれを補う術を持ってみるのはどうでしょう?
2つめの
「同僚と親しくできない」という悩みについては、
もちろん親しくできるに越したことはありません。
でも、職場は仕事をする所です。
仕事ができればひとまずOK!と割り切ることができればどうでしょう?
3つめの
「他人の目が気になる」ことについては、一番よく聴くお悩みです。
悩んでいる人から見ると、周囲の人たちが、
簡単に人間関係を築いていると見えるようです。
しかし、案外多くの人が、それに悩みながら
その人なりの工夫を重ね、社会とつながっています。
「人目が気になる」という悩みを持つ人は、
それによって、したいこと、言いたいことが制限され、
人生が窮屈だとおっしゃるのを聴きます。
それでも、
まずは、人目が気になるのは自分だけではない、
ということを知り、悩む方向を改めてみませんか?
ここで重要なのは「今の自分でもOK!」と
自分だけは、自分の味方で居ることです。
そうは言うけど
「その考え方、ちょっと甘くない?」と
思われるかもしれません。
この話で、クライエントさんの多くから返って来るのも
「そんな考え方をしたら、今以上にダメな自分になってしまう」
という反論です。
しかしながら、
自分へのダメ出しを続けることは、
本来の解決策のために正しく悩む力を奪ってしまうのです。
そうならないためにも、
誰もがもともと持っている元気な心の力を快復させることが先決です。
ただ、
このことは誰かが代わってくれることはなく
他人任せにはできないから大変でもあります。
そこで
冒頭に「騙し絵のように」という表現を使いました。
これは、現状は変わらないけれど、見方を変えることによって、
目の前のことが違って見えて来ることを意味します。
心の省エネとでもいいましょうか….。
自分を甘やかすのではなく、
悩みの形が違って見えてきたことによって取り戻した新たな気持ちで、
役に立たない悩み方を改め、
そうして、
自分を苦しめずにより良く進める第三の方法を見つけ出そう!
そんな思いからです。
原因追求した結果、出てきた答えがいくら正しくても、
実行できないなら意味はありません。
それに対して、ささやかでも確実な一歩に繋がる第三の道(役立つ知恵)を
考え出す。そんな思考の方が希望が持てるような気がしませんか?
そのためにも自責に陥らない思考を心がけていたいです。
たとえ強がりだとしても、良い意味での開き直りで、元気な心を取り戻し、
気概を持って生き抜く。
そんな姿勢は、地味な歩みであっても、何かしらの形で周囲に伝わり、
いつしかそれが豊かさを伴い返って来る。
一朝一夕とはいきませんが、これを信じられると気持ちに変化が起こります。
もし今、
あなたが、出口の見えないグルグル思考にハマっていたら、
悩みの前提を疑い、騙し絵感覚を味わってみませんか?
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■「自分らしい」ってどういうこと?
「自分らしい」というフレーズは、自分に正
直に、自信を持って生きる人をイメージさせます。
辞書的な解説を見ると、「ありのまま」とか
「個性が表れた状態」などとあります。
確かにそうだ、とは思うのですが
抽象的で、私の心にはフィットしないのです。
ありのままに生きられるに越したことはない
と思いますが、いつも正直でいるのは難しい
と思いませんか?
そこで
今月はこの表現を実践に移すことについて、
私なりに理解を進めたいと思います。
さて
「自分らしく生きていますか?」
ときかれて「はい」と胸を張って応えられ
る人は、どのくらい居るでしょう?
ご相談を受ける中で、「自分らしく居られな
い」ことが悩みのベースになっている方は多
いです。
そんな方々に
「どういう状態なら自分らしいと感じるので
すか?」ときいてみてもハッキリとこたえら
れる人は少ないです。
「自分らしい」というフレーズは、耳馴染み
がよく、自己啓発本などでも頻繁に用いられ
る表現です。でも、自らの「自分らしさ」に
ついて、どれだけの人が自覚しているでしょう?
まず、
相談者の言う「自分らしく居られない」とい
う状態を切り口に「自分らしい」を探ってい
きます。
相談者には「自分らしく居られない」人間関
係の典型例や、問題に感じる場面と、そこで
の気持ちを語ってもらいます。
最初に湧き上がる感情は、イライラや怒りが
多いです。
その後、次第に後悔や悔しさ、情けなさが加
わってくるようです。
そこには、
相手の選択を優先したり、
周囲の流れに足並みを揃えたり
他人の選択を、まるで自分の考えのようにし
て物事を決めてしまったというケースもあり
ます。
そこで相談者は
自ら選択していないことが「自分らしく居ら
れない」状態につながっていると認識します。
最終的に自分が下した決定でも、借り物の選
択であることは本人が一番わかっているから
です。
ただ、
自分以外の誰かの考えであっても、それをし
っかり咀嚼し、心から同意できる意見であれ
ば、それは自分の選択となり、問題はないと
思います。
ここでポイントになるのは、自らの考えでは
なく、ひきづられる形で相手の決定や周囲の
流れを取り込んでしまう点です。
何もせず、怠けているという意味ではありま
せん。自分の感覚と向き合うことなく、別の
方向へと力を尽くしてしまう。そうして、選
択に違和感を感じてもそれをスルーし続け、
疲労が重なる…そう言った方がピン!と来る
でしょうか。
このような心情からは
「間違った選択は避けたい」
「周囲に迷惑をかけたくない」
など、自分の内側の感覚より、事態がすんな
り運ぶことを優先する様子が伝わってきます。
自分以外の考えで進められるこの流れについ
て、その人自身が一番わかっているため、後
悔に繋がるのも頷けます。
こうした思考の流れは、まるでチェーンが外
れた自転車をこいでいる様子を連想させます。
なぜなら、いくらこぎ続けても、前進しない
自転車同様、選択を続けていても、他者の考
えでは、自分の目指すものや希望の状態に近
づけず、疲労が溜まるばかりだからです。
こんなふうに考えると「自分らしく居る」基
本は、自らの考えで選択することから始まる
のだと理解できます。
そして、私たちは選択する時、周囲に影響さ
れつつも、それと折り合いをつけながら判断
を下すことで自分なりのスタイルができてい
くのですね。そしてそのプロセスが自分らし
さを育てていくのだと思います。
そこで、実践レベルで考える「自分らしさ」
というのは
100%自由に振る舞うというのではなく、
その相手、その場によって
選択する自由度を意識し、調整できることな
のだと思い至りました。
また、ここまで考えてきて私は
自分らしく居られるかどうかは、相手や場と
の折り合いだけでないと思えてきました。
というのも、自分らしさのベースには、目指
す生き方を支える「心の筋力」が影響すると
感じるからです。
ここでいう「心の筋力」というのは、自分と
向き合う力のことです。
具体的にいうと
「こんなふうに生きたい」という希望に対し、
「それは無理」と制限する自ら作る壁に対峙
する力です。
ここには
時間的余裕を生み出す力
自分を慈しむ気持ち
希望を見出す力
が含まれます。
そして
自ら作るこの壁については
目に見えないから、気づきにくいのか
気づいているけど、気づかないフリをしてい
るのか
….熟年世代にとっては、痛い所です。
他の誰でもない自分がかける制限、
この枠が、自分らしさを一番抑制しているよ
うに思います。
こう考えると、
この壁と誠実に向き合う「心の筋力」への意
識次第で、自分らしさのアップは期待できそ
うです。
ただこれが
一番難しい。
でも
一番やり甲斐のある挑戦だと思います。
誰にも代わってもらうことはできないし
年齢は関係ないとは言え
できるだけ早い時期が望ましいです。
そういう意味では
誰にとっても
自分らしさを意識にのぼらせた
「今ここ」が、
そのタイミングなのかもしれません。
さて、
あなたは今
「自分らしさ」を
どのくらい活かせていますか?
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7ヶ月ぶりにトランポリンエクササイズを再
開しました。
20年ほど続けてきた自室でのトランポリン。
ワンコにちぎられたりでボロボロになったた
め、買い換えようと昨年末処分しました。
それなのに、次のを購入するのに半年以上も
かかってしまいました。
このトランポリン、飽き性の私が唯一継続で
きている運動です。格好を気にせず、自室で
できるからです。とにかく努力が苦手な私、
好きな曲を聴きながら、足を交差させたり腰
をひねったりして、ウェスト絞りを兼ねた全
身運動を楽しむ。20分ほどでもかなりの運動
量です。面倒だな、と思った時は「1分だけで
も」という気持ちで短縮バージョン。
いろんなところから発売されていますが、私
は知り合いから薦められ東急オアシスのもの
を購入しました。
運動不足を感じている方は是非♪
2022年も半年が過ぎました。
コロナ禍が収束しつつある今、社会情勢にも
大きな変化の波が押し寄せ、不安を抱く人が
増えているようです。
どの時代でも、全てが安泰というのは、難し
いですが、不安になる気持ちには、何か傾向
がありそうです。
今月は、心の安定・不安定について、私の経
験を混じえてつぶやきます。
━━
ここ最近での変化といえば、
・円安や物価上昇などに伴う先行きの不安
・仮想通貨やブロックチェーン、WEB3等
資産形成につながりそうな仕組みの恩恵
に預かる人・そうでない人
・アフターコロナの働き方では、在宅ワーク
をうまく利用する人、そうもいかない人
悲喜交々の様子が繰り広げられています。
状況の変化によって、良い波に
≫乗っていると感じ、安堵する心理
≫うまく乗れない、と焦る心理
これらは対局のようでいて、
似た傾向を感じます。
それは、
「みんな一緒」
という多数派からこぼれ落ちていないかどう
かを基準にした心理だと感じるからです。
そして、
それらの情報を得るため、ネットから離れら
れないという人も多いのではないでしょうか?
この「みんな一緒」という、ある種の安心感
は、時代を超えて存在するようです。
というのも
私たちは、コロナ禍を大変だと嘆きながらも
みんなに降りかかった災難だと受け止め、国
をあげてステイホームに努めました。
また、
時代は遡り80年以上前、死を分ける悲惨な
戦争体験ですら、国民全てに起きていること
と受け止め、耐えるだけでなく、命を差し出
す先人たちの姿があったのです。
死が目前に迫る激動ですら耐え抜く私たちが
周囲との比較で脆くもくずれ、自殺さえ考え
てしまう。
何が、こうさせるのでしょう?
それは
【みんなと一緒でない不安】
から来る心理が影響しているようです。
周囲と比較して、
他人は持っているのに
自分は持っていない
その状態は耐え難く、大きな不安に繋がる
のでしょう。
中でも、
金銭的余裕の差については、
一番の比較になるでしょう。
「お金持ちは幸福になれて
そうでない者は幸せにはなれない」という思考。
もちろん、金銭的余裕が心の安定に深く関わ
るのは当然だと思います。
ただ、
それだけが幸・不幸に紐づいている…..
そこに生きづらさを感じます。
なぜなら
【みんな一緒】の仲間入りができても
それは多数派に属しただけの気休め的安定で
しかないからです。
世の中の流れや常識は
個人ではどうにもならない大きな力によって
価値が変わることがあります。
もちろんお金は、幸せの必要条件です。
でも、それ一点に心と時間を使ってしまうこ
とが、実は不安に繋がるのだと、この時代に
いっそう強く思うようになりました。
ずいぶん以前ですが、
私には、金銭的余裕が幸せに繋がるわけでは
ないと実感した経験があります。
それは、パートナーの他界数年後のことです。
別れから数年が経ち、母子家庭ながら余裕の
ある生活ができていた時の話です。
寂しい気持ちが癒えてもよさそうな年月が過
ぎたはずなのに、顔中には大きな吹き出物が
できたり、原因不明の体調不良に病院を梯子
していました。
実家は近くに在り、何不自由ない暮らしでし
たが、安心や幸せとはほど遠い心の状態で、
焦りは大きくなるばかりでした。
パートナー他界により、私は、自分の力が及
ばないところで人生に変化が起きることを痛
感しました。
そして、生きる拠り所を外に求めるのではな
く、それを自分の中に見つけたいとあがいて
いました。それだけではなく、生きる価値さ
え見出せない焦りは、子育てや友人とのおし
ゃべりで紛らわすことはできず、身体に表れ
たのだと思います。
そんな中、救いを求めたのが読書でした。
図書館に通い、いろんな本を読み漁りまし
た。それは、偉人の伝記や心理学など多岐に
渡ります。
成功した人の本も読み、学びにはなりました。
でも、直接の行動につながるような希望に
は結びつきませんでした。自分の力量とはか
け離れたものを感じたからです。
一方、
行動に結びついたのは、心身の回復につなが
る色彩心理の書籍でした。本の内容を実践し
体調が回復したことで、同じような症状に苦
しむ方に拡散したいと考えるようになったの
です。
このことは
自分の努力が誰かのためになるかもしれない
という希望につながり、生きる勇気が湧いて
きました。
その後、
何の知識もない中、色彩心理学の先生数人に
電話をして、師と仰ぐ方に巡り合いました。
同時にカウンセリング心理学に一層力を入れ
るようになりました。
体調不良で仕事を辞めていた私は、回復した
後も、仕事に復帰しないまま、しばらくの間
は色彩心理学とカウンセリング心理学の学び
に没頭しました。
自分が価値あると思うものにほとんどの時間
を割いた期間でした。
貯金を切り崩し過ごした、この約2年間で、
【みんな一緒に】という多数派思考は消え、
自分の感覚を拠り所に生きるようになりました。
今でも私に勇気をくれるのは
「努力することで達成するかもしれない」
というささやかな光を見つけた時に湧き上が
る希望です。
そうして
他の誰でもない自分が、価値あると思うもの
に時間を使うことが、結局は心の安定につな
がると思えるようになりました。
世の中は移ろい、様々な価値が変動します。
他人の表面的豊かさを羨み、それに追いつく
ために時間を使うことがどれほどの安定につ
ながるのか?
頭でわかっていながら、時間をお金に換算す
る切り売り的な思考が常となってしまう。
それが多数派の考えであり
常識的と言われる行いなのかもしれません。
でも、
人生スパンで考えた時、
流れるように過ぎる日々の時間
確実に減っていく生涯の残り時間
周囲の変動に振り回されない心の安定を得た
いと考える時、どんな思考に至るでしょう?
誰にとっても限りある時間、
何に価値を置き、費やすのかがカギになります。
あなたは
誰かのためになることで
お金を出してでも体験したいこと
何か思い浮かびますか?
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
~自信を育て、幸せに導く小さな習慣~
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■ 編集後期 ■------------------------
少し早めのサマータイムをスタートさせ、1ヶ
月が過ぎました。4時半起床で7時までにひと
仕事を終えると、一日の流れに余裕ができま
す。加えて、スマホとタブレットを集中モード
にして、通知オフにしました。この効果はスゴ
いです。ラインやツイッター、スタFの通知が
来ないと無駄にアプリを開くことがなくなりま
ます。チョッと覗くつもりがあっという間に数
十分経っていた….という後悔が激減。得した気
分です♪
上下関係と聞くと、あなたはどんな関係を思
い浮かべますか?
例えば
親と子
上司と部下
教師と生徒
医師と患者
お客と店員
などが挙げられますし、他にも同僚であって
も、力関係によっては上下がつきます。
この関係で悩みがある方は、特定の人の顔が
浮かぶのではないでしょうか?
そこで今月は
上下関係から生まれる、言葉では表現しづら
い弱者の抵抗感について、立場的に上の人や
社会的に力が強い方の人の心がけについてつ
ぶやきます。
ここでは、表現の都合上、
立場が上の人、力が強い人を「強者」と呼
び、その逆の人を「弱者」と呼ぶことにします。
まず、
上下の関係では、いくら強者が対等な関係を
打ち出そうとしても、気がつけば、強者から
の指導や指示、命令など主従関係のようなも
のになってしまいがちです。
それらには
滞りなくことを進めたり
成長を促すためだったり
メリットも多くあります。
その反面、
弱者側がものを言えず、意思表示できない状
態に陥ることもあります。
このようなメリット・デメリットがある中、
ここでは、強者が弱者の本音に気づいていな
いことで生まれる問題点を考えます。
両者の間で、完全に対等な関係を目指すとい
うのは、正直難しいと思います。ただ、そう
は言っても、自由な意見交換がもたらす効果
は大きく、両者の発展のためには壁のない、
ものを言える関係を意識することは大切です。
例えば
男性ばかりだった会議での女性の発言や
年配者の中の若者の発言
これらは新鮮な発想につながることも多いです。
それがわかりながらも、強者が、その流れを
作るのは難しいこともあります。
なぜなら、
強者側が、自分の態度の大きさ、立場の強さ
を自覚できず、弱者側の口を塞いでいること
があるからです。
口を塞がれた相手は、強者を軽視したり、恨
みにつながることもあるでしょう。
立場の強さを意識して発言している人は別と
して、知らずにその流れを作っているとした
ら、もったいないと思います。
以前、
母娘の問題を話し合う当事者の会に参加した
時のことです。
摂食障害を持つ娘さんへの態度について、あ
るお母さんが「私は娘の話にしっかり耳を傾
けて、娘の意思を尊重しています」とおっし
ゃいました。
そこで私は、おたずねしました
「お嬢さんとお母さん、どちらが先に意見を
言うことが多いですか?」と。
その方は、こう答えられました。
「お母さんは、◯◯だと思うけど、あなたは
どう思ってるの?」というように意見を促す…と。
娘さんが何も言わないので、お母さんが待ち
きれず、先に意見を言ってしまう、というこ
とでした。これは娘さんからすれば「黙って
いればお母さんが意見を言ってくれて、それ
に従えばいい」という気持ちになっているの
かもしれない、と感じました。それと共に、
強者が先に発言することが、指示や命令、お
しつけにつながることを意識できていない、
上下関係のありがちなパターンが想像できま
した。
他の例では、
上司が間違ったことを言ったり、こちらの意
見を取り違えていることがわかっても、部下
は何も言わないということがよくあるのです。
母娘の会話と同様
強者が意見を促したとしても、立場の違いに
よって、無意識の内に相手へ威圧感を与えて
いるということ。そのため、強者側は、意見
を言う順番など、相手に対する配慮を忘れな
いように注意が必要だということです。
思春期を過ぎた子どもが、急に親へ暴力を振
るうという話はよく聞きます。それは、親が
強く居られる時は従っているけれど、力をつ
けた子どもが、ある時期を境に立場が逆転し
た例です。立場が弱い時に受けた言動に納得
できないことで、噴出した怒りが伝わってき
ます。
弱者側の反撃の有無は別として、気持ちの良
い関係を続けるには、立場が強い方が自らが
強者であることを自覚し、どれだけ相手に配
慮できるかにかかっているように思います。
加えて、
「自分は強者になることはない」と思ってい
る方へは、
人はずっと強者で居ることも、
ずっと弱者で居ることもないということを覚
えておいてほしいと思います。
というのも
コンビニへ入ればお客さんになりますし
誤って人にぶつかった時はちょっとした加害
者で、謝罪する立場になります。
強かった親も高齢となり、弱くなります。
そして
まだまだ元気と思っている自分自身も、
社会の中で弱者へと立場が移ろいます。
「立場が上」などという表現は抵抗があるの
ですが、この構図はいつもどこかに在り続け
るのでしょう。
そして、
強者側の時の言動こそが、その人の人間性を
窺わせるように思います。
そう考えると、
折に触れ、立場の確認、態度の振り返りを忘
れずに居たいものです。
今、
あなたはどちらの立場に立つことが多いですか?
どちらでもなく「中立」だとおっしゃる方、
そのような中に「強者側」に立つ方が多いよ
うに思います。
私自身、無自覚であることが多く、自戒を込
めてつぶやきました。
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
~自信を育て、幸せに導く小さな習慣~
タイプ分けで自己分析するのは、楽しみに繋
がることも多いです。自分にはこんな特性が
あって、こんな素質も秘めているのだ、と
自分も意識できていなかったことを知ると嬉
しくなります。
しかし、
心の症状を示す新語についてはどうでしょう?
例えば、
既に周知されているトラウマやアダルトチル
ドレン(AC)に加えて、数年前から広まっ
ているHSP。
これは、Highly Sensitive Personの頭文字を
とったもので、さまざまなことへ敏感に反応
し、生きづらさを抱える人の総称です。
「繊細さん」とも呼ばれていますね。
ただ、
これは病気ではないので、医療受診して下さ
れる診断名ではありません。
そのため、
私が、ご相談を受ける中で、
「HSPなんです」とおっしゃる方のほとん
どは、ネットのセルフチェックで判断されて
いるようです。
発達障害などに伴う、視覚、聴覚、皮膚感覚
の敏感反応については医療受診は有効だと思
います。受診の結果、その方の特性が確認さ
れ、サポートに繋がるのは幸運なことだから
です。
一方、
人間関係にまつわる敏感さの判断はど
うなのでしょう?
その判断によって、ポジティブな言動に繋が
るなら良いのですが、そうではなく
「だからできない」
「だからしない」
という消極的な方向へと
進むのは残念だなと思います。
トラウマやアダルトチャイルドに関しては、
虐待や性被害、子ども時代の深い傷つきを抱
えた人が、トラウマ治療やACの回復ステッ
プを踏むのは、必要だし、効果的な方法だと
思います。
自分の状態に名前がつくことで、救われ、そ
れが生きる力に繋がれば喜ばしいことです。
例えば、
心身症状ではありませんが、DVやセクハラ
というワードがそれに該当します。被害の状
態がネーミングされたことにより、当事者や
周囲にも気づきが促されました。
その結果、大きなムーブメントにつながり、
社会が良い方向に進みつつあります。
しかし一方、
そうでない場合の過剰反応を危惧し、新種の
ワードの捉え違えに疑問を感じます。
それは
人生の歩みをストップさせ、生きづらさを増
すこともあると感じるからです。
例えば、
アダルトチルドレンへの過剰反応などでは
親の落ち度を繰り返し思い起こし、育った環
境を恨み続けるなど、生きづらさの箱に自ら
入ってしまう。
でも本当のところ、
自分を枠に閉じ込める思考はできるだけ早く
手放したいと願っているはずなのです。
そこで
自らできることとして、提案したいことがあります。
それは、そのことへの
「語りを変える」
ということです。
例えば、
過去については
「いろいろ大変な思いをしたけれど、
私は頑張ってきた。よく生き抜いた」と自分を労う。
現在については
「なんだかんだ言いながら、希望を持ちたい
と将来について考える自分が居る」などと、
未来から差し込む光を想像し、ささやかで
も、生活に工夫できることを考えてみる。
自分についてどう捉え、いかに考えるかは、
私たちはいつも自由で居ていいのだと思います。
]]>
大切な相手からつらい気持ちを打ち明けられた時、
頑張れない状態を自責する相手を見た時
あなたはどんなふうに反応しますか?
つらい気持ちに対し
「私もそういうことあるわ」….とか
「職場で嫌われてる気がする」と悩む相手に
「そんなことないわ、気にし過ぎよ」…とか
頑張れず自責する相手に
「いろいろ頑張ってるじゃない!」
などと応えたことはありませんか?
今月は、
相談者の方からお聴きした「励ましの言葉に
傷ついた」というお話より、思い至ったこと
をつぶやきます。
相手のつらさを軽くするための励ましの言葉
について、取り立てて問題にすることもない
ように思えます。
しかし
一見、差し障りなさそうな表現に
傷つきの元が潜んでいることがあります。
悪気がないのは分かるから、すぐさま関係が
どうなるわけでもないでしょう。
とはいえ、
わかってもらえていない感覚が、傷つきを深
めることもあるのです。
それでも、
相手の気分が低くない時は、
「それもそうね」などと話は進むでしょう。
ところが、
落ち込みが深い時には、そうはいかず
関係が希薄になることも考えられます。
….というのは、
理解の姿勢が見えない励ましに対し、相手は
「わかってくれてない」
「わかろうとしていない」….と
違和感にも似た感覚をおぼえるからです。
相手がこの感覚を自覚していなくても、
寄り添いが感じられない態度は
不信感にもつながり兼ねません。
じゃあどうしたらいいの?
って言いたくなりますよね。
相手の思いを解決する術もないし、
軽く観ているわけではないけれど、
代わりに背負うこともできずに反応した
励ましの表現。
この表現は、ボールに置き換えるとわかりや
すいかもしれません。
例えば
つらい様子を伝える相手からの発信を
こちらに投げられたボールと捉えると
冒頭の反応の
「私もそういうことあるわ」
「気にし過ぎよ」
「頑張ってるじゃない!」...は
ボールをしっかり受け止めることなく、軽く
弾き返した感じが伺えます。
要するに、
こちらが相手の状態を受け止めかねて、ボー
ルをそのまま跳ね返すような態度は、関係を
表面的なものにする危うさを含んでいるとい
う意味です。
では、
しっかり受け止めるというのは具体的に
どういうことなのか?
それは
つらい状態に対しては
「つらいんだ」
「そうか、そうなんだ」
・・・というように、思いを受け止めたこと
を相手にわかる形で伝える….ということです。
「頑張ってるじゃない!」と言いたい時は、
「そうなんだ。私には頑張ってるように見え
るんだけど…」と伝えると、相手の抵抗は少
ないと思います。
加えて、
相手の立場になって考え巡らせるために
「間」をおく等、言葉として表現せず、
そばに居るだけでも良いと思います。
「つらいんだ」「そうなんだ」という表現に
ついて、この返答の方が簡単だし、相手との
関係を希薄にするんじゃないのかしら?と思
われますか?
実のところ、
相手の思いをしっかり受け止めて、この返答
をするには、言葉ずらだけでなく、わかろう
とする姿勢が必要なのです。そして、その姿
勢は相手に伝わります。
というのも
相手のつらい感覚がわからない時は、どうし
てそのような思いになっているのか、間を置
いて考え巡らせたり、本人にたずねるなど、
自然に理解を深める態度になるからです。こ
れは、相手を大切に思うからこそできる反応
です。
丁寧な理解を抜きにして、ボールを弾き返す
ような反応は、寄り添う態度につながりにく
いものです。そして、相手をがっかりさせ、
孤独を感じさせてしまいます。
無自覚にやってしまいがちな悪意のない反応
について、これまでを振り返り、ドキッとす
ることはなかったでしょうか?
温かい励ましを相手の胸に届けるために
しっかりボールを受け止める。
少し意識するだけで、大切にしたい人との
関係は、より温かいものへとつながります
相手がつらそうな時、少しでも楽になってほ
しくて、寄り添いたいと思うことがあります。
そんな時、どんな言葉をかければ良いのか、
戸惑った経験はありませんか?
今月は、
このようなシーンでヒントにして頂きたい内
容をつぶやきます。
私が相談者と交わしたやりとりから、寄り添
う態度について実感したことをシェアします。
カウンセリングを始めて間もない、20年近
く前のことです。
ある朝、相談者から予約のメールを受け取り
ました。彼女は既婚でお子さんが2人、共働
きの30代です。夜中に3通のメールでした。
一通目は「明日、予約大丈夫ですか?」
二通目は「明日、予約を入れたい」
三通目は「出勤前にカウンセリングを受けた
い」という内容でした。
3通目の送信時間は明け方でした。
そこで私は、返信の冒頭に
「眠れずにつらい夜を過ごされたのですね」
と書いてから、予約を受け付ける内容を続け
ました。
そのあとの
彼女からの返信に、私はハッとしました。
そこには、こんなふうに書かれていました。
「私のことを、この世でたった一人でもわか
ってくれる人が居ることに光が見えました」
ハッとした理由は
当時私は、「寄り添う」という言葉は知って
いても、本当の意味で理解しておらず、それ
を彼女の返信で気づかされたからです。
この一件で私は、つらそうな相手を前に、そ
の背景を想像し、言葉にすることの大切さを
それまで以上に重く心にとめるようになりま
した。「思いを汲み取る」態度が寄り添いに
繋がるのだと….。
また、つらい時は、周囲に誰かが居ても自分
の気持ちを分かってもらえないことは孤独を
感じ、苦しさが増すこと、
だからこそ
その孤独に寄り添うことが、相手の気持ちを
和らげるのだと思い至りました。
加えて、
寄り添う時の言葉について心がけていること
があります。
それは、
控えめな表現に留めるということです。
例えば、
相手の苦しそうな思いに対し「苦しいよね、
私なら耐えられない」とか「それは酷すぎ
る!私なら、文句を言ってやるわ」など、
過剰な表現は避けるという意味です。
なぜなら、
こちらの察する状態が、相手の思いとズレて
いることがあるからです。
相手は「そうじゃないのに」と思いながら、
寄り添いなどとは思えず、抵抗を感じている
かもしれません。
また、
察した状態について、私は「〜のように伝わ
ってきました」という表現をすることも多い
です。断定せず、あくまでもこちらは、そう
捉えた….という意味合いです。
そうすると、こちらの発した内容にズレがあ
った場合、相手がその部分を伝えてくれるこ
とがあります。
総じて
少し控えめに、でも「あなたをわかりたい」
という姿勢は伝える。そうすることで相手
は、孤独から少し抜けて、心が緩む方へと進
めるように思います。
つらい状態の相手を前にして
同じ立場には立てないけれど、精いっぱい相
手の心に思いを巡らせ、そこで浮かぶことを
適度に伝えること….、そして
たとえ、
言葉にしないとしても、これらの気持ちをも
って共に時間を過ごすこと。簡単なことでは
ないけれど、このように相手を思うプロセス
が、寄り添う態度につながっていくと信じて
います。
P.S
この内容に関して、プライベートで実感する
こともありました。寄り添う態度について関
心がおありの方は、お立ち寄りください。ス
タンドFMで朗読の後につぶやいています。
≫≫
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~自信を育て、幸せに導く小さな習慣~
この2年間、私たちは自力ではどうにもなら
ない事態を経験しました。人生いきていれば
い、いろんなことが起こる….とは言うものの
長期間続くとストレスは溜まるばかり。これ
は、世間的なことに限らず、個人の身に起こ
ることでも同じです。
そんな時の対応として、効果を上げる視点を
シェアさせてください。
それは
どうにもならないこと
動かし難い気持ちに対し
ズバリ
それを「おもしろがる」ということです。
そう…..
「おもしろがって」それに取り組もうと試み
ることです。
よく「楽しんでやる」という表現を聞きます
が、「おもしろがる」とは似て非なる視点だ
なぁと思います。
….というのも、
「楽しむ」というのは自分ごと
一方、「おもしろがる」というのは、ちょっ
と自分を突き放す感じで距離ができます。そ
んなふうに自分を観ることで、他人ごと感覚
になりやすいと感じるからです。
他人ごと感覚になれたところで、自分を一つ
の駒と見立てて、どう動かせばイイ感じにな
るかな?....と想像する。
そうして、
・こうすれば面白くなるんじゃないかな
・こうすれば案外うまくいくかも
…..などと言う、自分ならトライしづらいア
イデアが浮かんできます。
なんせ、他人ごとですからね。
例えば
・苦しいこと
・自信がないこと
・自分の意に沿わないこと
….などに試すのは最適です。
自分の感覚に従って動くという考えは、もち
ろん忘れてはいけない視点だけど、その態度
に発展性がないなと思った時は、このモード
もアリかなと思うようになりました。
また、ネガティブな感覚をおもしろがるなん
て、不謹慎だという考えもあるかもしれませ
ん。でも、こういう時こそおもしろがって
取り組むことで、案外乗り切れそうな気がし
ます。
本来の自分なら、やらないことだろうけど、
おもしろがるモードに入れば、何とかトライ
できそうです。
ちょっと勇気の要ることや、恥ずかしさを伴
うことにも、おもしろがるモードは効果アリ
です。
・
・
・
今、あなたの中で実行に移しづらいこと、迷
っていることはありませんか?
例えば、
・入会を迷っているサークルへの見学
・いつも黙っている場所での発言
・苦手な人と共にしなければならない時間
「頑張ってやる」より、ライトな感覚でヒョ
イと飛び越える感じを味わってみませんか?
■編集後記
お年始早々「絶対という自信なんて持てない
なぁ」と感じたことがありました。それは、
現在、こころの辞書サイトの見直しをしてい
るのですが、そこでサーバーに手を入れる
PC作業中のことです。再設定作業の時、
いろんな入力が必要になります。自分の電話
番号入力間違いや項目へのチェックミスなど
のために、数時間のロスがありました。これ
は「私は間違ってない」という無意識の思い
込みがあったせいです。そのため、サポート
デスクとのやり取りも進みませんでした。こ
んな愚かな思い込みをするなんて、と最後に
は自分で自分を殴りたい気分になり、笑いま
で込み上げてきました(笑)
愚かな態度に、年頭からキツイお叱りを受け
た思いでした。
こんな感じの始まりを迎えたりぼーんですが
日々の気づきが、ささやかでもあなたの心に
フィットすることを願いながら、今年も綴っ
ていきます。
どうぞよろしくお願いします<(_ _)>
2021年も残りわずか。
気忙しいながらも、一年のケジメ、振り返り
の時間を持って新年を迎えたい….そんな思い
で年内最後のお便りを書いています。
今年はどんなふうに過ごしたかなぁ?
この時季、私は決まって思い出すことがあります。
それは、
私が尊敬する女性から教えて頂いたことなの
ですが
「慌てる場面であればあるほど
ゆっくりした言動を心がける」ということ。
自分の器量をアップする上で大切だと感じ
心がけていることでもあります。
年末には
「その女性に少しは近づけているかしら?
いや、まだまだだな」
….と今年も反省しながらの振り返りです。
今月のつぶやきは
彼女のことをシェアしながらお伝えしようと
思います。
彼女とは、あるワークショップで出会い、10
余年ほどのおつきあいです。目立つ装いでは
ないのに、なぜか華やかさが伝わってくる方。
私の7つ上で62歳。化粧っけはなく、背筋
はいつもスッと伸びたスリムな方。ショート
ヘアで白髪染めはしていないけれど艶のある
髪。憧れと尊敬の対象です。
ある時、彼女に
「◯ ◯さんは失敗されることなんてないでし
ょう?後悔とか無縁な感じ….」と、正直な感
想を伝えたところ
「そんなことないわ、ドンクサイとこあるよ
でも、若い頃と比べると、だいぶん減ったか
なぁ」
….とこんな会話から始まり、振る舞いを変え
たことで、失敗や後悔が少しは減ったという
話をしてくれました。
少し…というのは謙遜で、私からは完璧に等
しい印象です。
私がそう感じたのは、トラブルが起こった時
皆があたふたしているのに、彼女一人落ち着
いていることが多かったからです。その影響
なのか、他の人の言動も少しずつ鎮まり、事
態を客観的に観れるようになるのです。
彼女の態度について
聞き出せた極意は、冒頭でお伝えした
「ゆっくり」した言動を心がけることでした。
ちなみに
彼女がこの極意を身に付けたのは、銀行員時
代の上司が、トラブルの時、バタバタ動き、
口うるさく周囲を巻き込む割に、事態は収拾
しなかったことが教訓になったそうです。
さて、
本題に戻ります。
人それぞれ後悔のポイントは違うでしょう。
それでも、共通していると思われる状態があ
ります。
それは
「時間がない」
「お金がない」
「心に余裕がない」
のように切羽詰まり咄嗟の対応を迫られた時
....などプレッシャーがかかった時の言動で後
悔することが多いように思います。
こんな時、
【「ゆっくり」した言動を心がける】
というのは当たり前の教えのようですが、こ
れがなかなかできないのです。
私が教えてもらった、その言動というのが
心の中で「落ち着いて」といくら唱えても効
果がないということ。
▼具体的には
口に出す言葉も
心の中の言葉も
『スローテンポで話す』
吐く息を長くし、
「ちょっとスローに動く」
……彼女から教わったのは、この2点です。
その後、私なりに解釈してみました。
私自身、元来、慌て者です。
でも、この話を聞いてから実践を心がけるこ
とでムダな動きが少なくなったように思います。
動きの速さや早口は、個性のようで、変えら
れないと思われがちですが、そうでもないよ
うです。
プレッシャーが強い時、無意識にバタバタと
した動きや早口になると、それは周囲に伝播
します。
また、
一人の時であっても、中身のない空回りの行
動になっていることもあります。
ちょっとぐらい急いでも、
それが間違った選択や、ケアレスミスに繋が
っては急いだ意味はなく、余計に情けなくな
ります。
そして、
プレッシャーの時の言動にこそ、その人の本
性、というか核の部分というか、器のような
ものが表れるようです。
コトがうまくいってる時、平静時にはわから
ない所ですね。
こんなふうにお伝えすると、
「うわべだけ変えても、仕方ない」という感
想が聞こえて来そうですが、そうでもないの
です。
それは、
振る舞いに精神がついてくるからです。
バタバタと「忙しない言動」から「ゆっくり
とエレガントな振る舞い」へと意識すること
は、余裕のない状態から少し離れ、プレッシ
ャーの渦中に在りながらも冷静な思考に近づ
けます。
現代を生きる私たちは
・動画は自由に再生速度を変えることができ
・ポチったものは翌日届き、
・日々の変化は目まぐるしい
速さの中で生きることを余儀なくされています。
そんな時代に生きる私たちだからこそ、
この「ゆっくりとエレガントな振る舞い」は
大切なのではないかと思います。
身近な例では
パソコンの打ち方、
キーボードを叩くように音を立てて打つ人、
一方、
静かに軽やかに打つ人。
打てた文字数は変わらなかったり、静かに打
ってる人の方がミスがなかったりすると、チ
ョッと笑えませんよね。
他には
駅の自動改札でカード読み取り部分に「バタ
ンッ!」と強く叩きつけるようにする人と優
しく触れさせる人。
他、
物の置き方・渡し方
歩き方など…..
音を立てないというのは、教わったこと以外
に私が気をつけるように加えたことです。
地味な心がけですが、続けることで、いざと
いう時に発揮する威力は大きいかな?
今スグ何かがガラッと変わるようなことじゃ
ないけれど、効果は確実に見えてきます。
あなたは日頃のご自身を振り返り
どんな態度が目に浮かびますか?
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
~自信を育て、幸せに導く小さな習慣~
「居場所、特にないですねぇ」
・
・
・
これは人間関係のご相談の中で
ある女性がフッ…と漏らされたひとことです。
カウンセリングが終結してから3年半が経つ
その方から近況メールを頂きました。
当時お聴きした内容を振り返ると
単身生活だけど両親の家は近く
仕事も問題なく、表面的には困ったことはない。
けれど
「時間ができても会いたい人がいない」
「友人は居るけれど、心の交流は難しい」
….このような内容でした。
そのような中で、
忙しい時には感じないけれど
時折、押し寄せる空虚な感覚。
40歳を前に言葉にしにくいものが込み上げ
る様子が伝わってきたことを思い出しました。
このような感覚については
独身、既婚者を問わず、しばしばお聴きする
内容です。
そんな時、
生きていく上で居場所を複数もっておくこと
の有用性についてお伝えすることがあります。
なぜなら
居場所と感じられる場は
心の止まり木というか、
一人じゃない感覚というか…
人生を歩む中で心強さのようなものを持たせ
てくれると思うからです。
複数の関わりを持つ有用性については、過去
に綴っているので、興味のある方は覗いてみ
てください。
≫≫ 人間関係を広げる意識の持ち方
とは言え、
そんな関わりをどうつくっていけばいいのか?
これに頭を悩ませる人は多いようです。
私自身、子育てから離れつつある時期、考え
たことがありました。独身時代からの友人は
居るけれど、その他には仕事関係の繋がりし
かないなぁ….と。
そんな頃を経て、
今は、居場所に恵まれていることを感じています。
気を楽にして人と関われる場を持ちたい
…..と居場所づくりを意識し始めた頃から、
私には心がけてきたことがあります。
それは
「続ける」ことです。
その場がコミュニティなら
ある程度の期間は通い続ける
相手が個人なら
ある程度長くつき合い続ける
「続ける」ことは、その場、その相手に安心
感や仲間感が伝わり交流の入り口になると思
うのです。
「そんなことわかってる!」
「当たり前やん!」
….という声も聞こえてきそうです。
ただ、
続けるって案外むずかしかったりします。
意識していないと、その時の気分や都合で足
が遠のいたりして、自然消滅していくことが
あるからです。
足が遠のく理由としては
複数人の場合、すでに輪ができていることも
多く、疎外感を味わったり
初めの興味が薄れてしまうなど
気持ちが萎えてしまうということ。
ホント、ありがちです。
初めから楽しい♪
….という人も居ると思いますが、すぐに馴染
めないということも珍しくないと思うのです。
それでも、回を重ねるごとに打ち解けてきます。
しかし、それが待てず途中で辞めてしまい、
友だちができない、居場所が持てないとおっ
しゃる方に出会ってきました。
この人とは合わない!
この場は絶対無理!
時間を埋めるだけで無意味な場だ!
というような決定的なことがあれば、続ける
ことはないと思います。でも、ちょっとした
居づらさなら、続けることで人や場にも馴染
んでくるようです。
学生時代なら毎日同じメンバーに会うのが日
常ですが、社会人になると職場の他では同じ
場所に通い続けることは少なくなります。
そういう意味で、居場所づくりは意識してい
ないと自然にはできないことが多いと思うの
です。
今回、メールを下さった方は、カウンセリン
グ終結の少し前から再開された書道を、今も
続けているとのこと。これまで2度挫折され
た書道。今はそれまでの書道に加え、アート
的な書道を始められたそうです。そこでは、
教室の後のお茶の時間を楽しめるようにな
り、プライベートな話ができる方との交流が
始まったとか....嬉しい近況報告でした。
私自身、飽きっぽい性分で続かないことの方
が多いです。
そんな中でも2009年から始めたこのメルマ
ガと、居場所を温めておくことについては意
識することで続けられているように思います。
飽きっぽく努力が苦手な自分をわかっている
からこそ、続けることへの意識を心に留めて
きました。
続ける努力をするのではなく、とりあえずは
「しばらくは続けとこ」的なものぐさな思考
です。
ひとそれぞれ居場所の持ち方、
温め方は違うと思います。
さて、
「居場所」というワードから
今、あなたの心には
どんな人
どんな場
どんなイメージが浮かんできますか?
年末の慌しい時季に入りますが
居場所への思いを振り返るきっかけにして頂
ければ嬉しいです。
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居場所づくりに必要なこと、意識したことありますか?
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先日、久々に友人に会いにお宅へお邪魔して
ビックリ。彼女(中国人)はいつの間にかユ
ーチューバーになっていました。中国料理を
作る様子がアップされたもので、毎週コンス
タントにアップされています。登録者数は
400人強と期待の域ながら、視聴数4.6万回
超えの回も!誰のサポートもなく自らスマホ
で作っているという彼女はもうすぐ還暦。
中国語と日本語の字幕をつけて、サムネイル
も分かりやすい!急に思い立ち、この4月か
らスタートしたらしい。食材の買い出しや
メニューについては頼りになる夫との共同作
業で、工夫しながら作っている様子。ハリの
ある日々が伺えました。
遠い誰かの言動に驚くこともあるけど、身近
な人の変容には良い刺激を受けます。世の中
は着実に動き、私たちも変化を余儀なくされ
ます。それを楽しみながら受け容れられたら
人生にも広がりが期待できる….と感じたひと
時でした。
▼彼女のYouTubeチャンネル
秀秀家苑
■ライスワークとライフワーク....意識してますか?
「 今日の仕事は、
楽しみですか? 」
このフレーズは今月初め
ネットで炎上したJR品川駅に掲示された広告です。
「働き過ぎて追い込まれた人々へ配慮に欠く
表現だ」とのことで掲載はスグに降ろされた
とか....。
確かに、複雑な思いが湧く人は多かったでし
ょうが、SNS出現以前であれば、即掲載終了
にはならなかっただろうと、時代を感じなが
らニュースを聴いていました。
「ビジネスに鼓動を」と、今後への躍動を伝
えたかった掲載側と、反感を抱いた人たちと
の心情のズレが露わになったようです。
そして、
品川駅コンコースが「社畜回廊」などと揶揄
されるなんて、なんともいえない気分になっ
た人も多いはずです。
こんな事態は東京だけなのか?
いや、
そんなことはないでしょう。
変化を追い風と捉えて進む側と変わらずに居
ることで現状維持が難しくなった側との哀し
い歪みが生じているのは東京だけではないで
しょう。
今月は
誰もが感じている時代の変化を
どう捉えるかについて考えるキッカケになれ
ばと、冒頭の広告を取り上げました。
ただ、
「時代の変化」と言っても
大そうに考えることはなく、自分なりの「軸
になる考え方を忘れないように」くらいの声
かけとして受け止め、面白がって反応できれ
ばイイのだと思っています。
なぜなら、個々人が大切にするものは、時代
が変わってもそんなに大きな変化はないと思
うからです。
さて、
変化を感じ、
それを面白がりながら行動に移すこととして
・転職するとか
・何か改革を起こすとか
そういうことではないようです。
それは、抗えない変化を受けて
この流れをどう「自分ごとにしていく」のか?
それがカギを握っているからです。
このことは、コロナ禍に
多くの人が迫られた生き方への問いに重なる
かもしれません。
そこで、
この問いに対する指針になると思ったのが
「土の時代から風の時代へ」という思想。
これは、占星術からきた考え方で、物質的な
もので安定し、満たされる「土の時代」から
目に見えないものの中に豊かさを感じる
「風の時代」への転換の時期を示すものです。
これは、
「寄らば大樹の陰」のような権威所属の思考から
「個人の創造性を発揮する」時代へ移行する
今を映しているようです。
私は占星術に傾倒する方ではありませんが、
この考え方は今の流れに沿っていると、納得
しました。
そして、
今月のタイトルに挙げた
「ライスワーク」と「ライフワーク」につい
ては、私自身がバブル終末期にリストラされ
たことをキッカケに考えさせられたことでも
あります。日々努力していたとしても、権威
者側の都合で、いとも簡単に切られてしまう。
今はわかります。
それが世の常だと言うこと。
リストラにショックを受けた私は、25歳以後
一つの場所に限定しない分散所属型の道を歩
んで来ました。私にとってはリスク回避の方
法になっていると思います。
自分以外の何かに自分の人生を左右されにく
い生き方は、自分で自分をコントロールしな
ければならない分、大変そうに感じられるか
もしれません。
ただ、
納得できない場所からはサッサと去ることが
できる気楽さがあります。これは自分勝手、
堪え性がないと表現することもできるので、
見方はそれぞれでしょう。
考え方は様々ありますが、
ある程度の年齢になると多くの人が振り返る
共通事項があります。
それは
人生の中で一番時間を割いている活動(仕事)
について、
自分はどう意識して来たか?
今後、それをどうしていくのか?です。
わかりやすく言うと
食べていくことを中心に考えるライスワーク
心の豊かさ充足に視点を置いたライフワーク
どちらを重視しているのか?
….ということです。
職種が問題なのではなく
活動への向き合い方です。
「いやいや、
そんなこと考える余裕なんてないよ」
という声も聞こえてきそうです。
確かに、
仕事は生活していくため
家族を養って行くためであることが多く、ラ
イフワーク的活動に意識を向けることは簡単
なことではないでしょう。
ただ、
基本的にはそうかもしれませんが、
このコロナ禍を経験し、考えが変わった人も
多いのではないでしょうか?
2年前には予想もしなかった事態が起こり、今
までと変わりない気持ちで居られる人は少な
いと思うのです。
目に見える高価なものへの執着
他者による評価への過敏さ
完璧を繕うが故の心身疲労
これらの
他人にどう思われるかを重視する無駄な妄想
が起こすメンタルダウンに限界を感じる人も
増えたのではないでしょうか?
そのせいなのかどうなのか、
≫車を持たない
≫家を買わない
≫必要な時、必要な分だけレンタルする
….など、物欲減少傾向に拍車がかかった感じが
します。
長寿を願う反面
何を糧に生きながらえるのかを考えないまま、
人生を進めることは、かなりリスキーになって
きました。
たっぷり時間を与えられたとしても
DVDを観て
本を読んで
音楽を聴いて
アウトドアに興じて….
それだけでは満たされない精神状態を
この2年間で実感した人も多いと思うからです。
時代は元に戻らず
私たちは引き返すことはできません。
いつの時も時代は変化を遂げていますが
ゆっくり流れていた時代を懐かしむより
「変化の時代に立ち会えているのだ」という感
覚を持てると気分は変わってこないでしょうか?
今後、あなたは
≫何を大切に生きていきますか?
≫その大切なものを受け取るには
どんな場で、どんな人と交流しますか?
≫その交流を続けるためには
どんなことを意識しますか?
これらを考えるには
日々の忙しさから少し距離を置く時間が要ると思います。
昨日の続きを今日に
今日の続きを明日に繋げていく日々ではありま
すが、それだけに意識を向けていると、自分が
本当に求めるものが見えて来なくなったりしま
すから。
そして、
どんなにIT化が進もうと
時間を止めるアプリは登場しないでしょうから
自らで心に耳を傾け
足もとを確かめる他ありません。
さて、
今年はあと2ヶ月あります。
時代の変化に立ち会っているあなたは
2022年に向けて、どんな準備をされますか?
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先月の編集後記でお知らせしたスタンドFM
の音声配信、今日でまだ9回目というサボり
ぶりです。聴く生活がVoicyとYouTubeに占
領されてるということもあり、スタFアプリ
を立ち上げない私がいます。(>_<)
自分が決めたことを実行しないというのは
本当にストレスフル。
そういうことで、ハードルをグン!と下げ
月1のメルマガは必ず朗読するとして、他は
ゆるゆるとアップします。
ですので、メルマガ読むのに目が疲れる
….という方は、スタFで聴いてみてください。
そんなあなたのために録音することを勝手に
励みにさせて頂きたいと思います。<(_ _)>
■「枠」を外す
すごいことをやり遂げた人
自分が諦めたことをやり抜いた人
自分がやってみたいと思うことを既に実現し
た人
そんな人を目にした時
あなたはどんな気持ちになりますか?
すごいなぁ
憧れるなぁ
頑張ったんだろうなぁ
.…..と相手を讃える気持ちを抱く反面
あの人は
私とは能力が違うから
私と違ってまだ若いから
…と勝手に相手の方が恵まれていることにし
て、自分ができない・やらない理由を肯定し
たことはないですか?
私はあるんです。
「なんと言っても
家庭環境が違うわ。親の姿勢が違うもん」など…
どこまで遡って言い訳するんだという感じ。
確かに音楽一家に育ち、音楽で身を立てる人
を見てそう感じることは、まぁまぁあるでし
ょう。
でも、それ以外にも無意識に自己弁護するよ
うに心の中でつぶやくことがあります。
そうして
トライする前に諦める自分を肯定して
その時の気分をやり過ごす。
そんな怠惰な自分を何度も感じてきたように
思います。
今月はそんな言い訳が吹っ飛ぶような記事を
キッカケに、自分を制限する「枠」を外すヒ
ントについてつぶやきます。
キッカケになったのは
VOGUEに掲載された
86歳のエバンジェリスト・若宮正子さんの
記事です。
最近聞かれるようになった「エバンジェリス
ト」というワードは「IT業界で近年注目を集
めている新しい職種のこと」だそうです。
若宮さんは30年前にパソコンを購入し、60
歳を超えてプログラミングを習得、2017年
にはiPhoneアプリを開発。記事にはアプリ
開発に至る経緯や冒険的に生きる姿勢、固定
観念を覆す思考など刺激的な内容が書かれて
います。
記事を読んで、この方の自分を制限する
「枠」の無さに感嘆しました。それも86歳
という、こちらとしては全く言い訳が立たな
い年齢です。だからと言って、奇抜な様子は
なく、一見普通のシニアです。
私たちは何かを行動に移すキッカケの一つと
して、自分と似た条件の人、また自分より悪
い条件の人ができたことは自分もできる、と
思う傾向があるそうです。
そういう理屈から
冒頭の私の言い訳を分解すると、自己弁護の
流れがわかります。
「この歳で言語を習得するのは無理」
「この歳で楽器演奏を習い始めるのは無謀」
….というつぶやき、
これらは、成果を上げている人の背景から、
自分との違いを見つけ、その人と自分には差
があることにするのです。そして、差がある
のだからできなくても仕方ない、という情け
ない言い訳…..あきらめる自分を直視するこ
とを避けているわけです。
今回、若宮さんの記事に多くの人が影響を受
けたことはSNSの発信をみてもわかります。
それは、
「銀行員」を経て、
母の「介護」を終え
自身が「高齢者」となるも
今なお前進し続けている姿勢が私たちに与えるもの
それが、
【自分を制限する「枠」を外す考え方】
死に支度さえ考えてもおかしくないハイシニ
アにもかかわらず、多くのシニアと一線を画
す発想が湧くのは、何が違っているのでしょう?
ここから
若宮さんの発言を抜粋します。
————————
社会のあり方が正しいならいいですけど、歪
んでいるかもわからない。…..(中略)….能
力を測る社会のものさしは刻一刻と変化して
います。…..(中略)….先に苦労しておけ
ば、後に良いことが待っているという「先憂
後楽」を若宮さんは「悪い思想」と指摘した。
「10歳の子は10歳のときにしかできないこ
とをやればいいのに、今の子どもたちは中学
の受験準備に追われています。しかし中学に
入ったら、いい高校に入れ。その次はいい大
学に入れ。いい会社に就職しろ。社会に出た
ら、結婚しろ。子どものために備えろ。老後
に備えろ。一生かけてずっと死ぬ支度をして
いるわけ。無駄だと思います。
全文はここ↓↓↓
—————————
若宮さんは、介護生活でも自宅に居ながら生
活を楽しむ方法として、パソコン通信を考え
られました。楽しいこと、楽しみたい気持ち
に素直に、あくまでもご自身のペースで行動
する姿勢、それが枠を外すことに繋がってい
るように思います。
パソコン購入は30年前。周囲にパソコンを持
つ人は居らず、だからこそ、その時に繋がっ
た人はユニークだったそうです。
シニア向けのアプリが欲しいと若い人に頼ん
だけれど「若宮さんがつくったら?」と言わ
れ作った….とのこと。
自分の「今の欲求」にとても素直。
この姿勢を私たちの普段の生活に重ねてみる
とどうでしょう?
大それた挑戦でなくてもいい、
ちょっとした変化を試みる類のこともそれに
当たるのでは?と思います。
関心のあるワードを調べる
使ったことのないものを試す
興味を持ったものにはとりあえず飛びつく
….そんな、ちょっと面倒なことをやってみる。
遠い先よりも
今感じることにビビッドに反応する。
そうすることで気がついたら枠が外れている
のだと思います。
興味を持ったことにイチイチ首を突っ込んで
たら、失敗もあるでしょう。でも誰かの挑戦
を見てるだけだと、失敗しない代わりに待っ
てるのはつまらない日常。
ビビッドに反応するために忘れずに居たいこと
それは
私たちにはいつも「自分自身を支配している
思い込み」があるということ。見えないだけ
に厄介な私たちの思い込み。
これは誰も振り払ってくれないのですものね。
「○○をやってみたい!」と思っても
「あれもこれもやらないといけない。モノに
なるか分からないことをこの歳から始めるな
んて時間の無駄」と理性で感覚を押さえ込む
時、ちょっと思い出してみてください。
「その思いは事実に基いてますか?」
「思い込んでるだけじゃないですか?」
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りぼーんのつぶやきを音声にしました。
今年の初めから考えていたことなのに、なか
なか始められずにいたスタンドFM。先ほど
録音済ませました。
目の疲労がひどい方や読むより聴く方がイイ
という方、流し聴きしてもらえれば嬉しいで
す。滑舌悪く、笑ってしまいそうな音声です
が覗いてみてください♫
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■ 編集後期 ■------------------------
「早や、9月も終わり、今年もあと3ヶ月」
という常套句。なんだか急かされているよう
で好きではないのですが、感じてしまうし、
口に出ます。「年頭に決意したこと進んで
る?」とかも、なんかイヤ….というより、近
年、私は年頭に決意しなくなりました。
というのは、「興味を持って、今熱中してい
ることは、将来的に必要になってくることな
のだろうなぁ」と自然の流れをぼんやりと信
じられているからだと思います。
計画的な歩みではなく、「こんなふうに生き
ていきたい」という在りたい自分像だけはハ
ッキリさせて、他は流れに任せるようになり
ました。
そうすると、人とのご縁が繋がり、そこから
導かれるものに自然に進む。
その道が正しいか、なんて全然わからないの
ですが、今はまぁ、それでいいか…という、感じです。
]]>
■不信感を手放したい時に
気がつくと、また疑っている。
グルグル グルグル グルグルと
繰り返し湧き上がる疑念。
ネガティブな感情の中でも不信感は底無し沼
のように疑いが繰り返される。心の体力消費
は大変なものです。
「そういう感情、経験ないなぁ」という人
….人生の時間を得してる感じがします。
不信感というと
誰かへ
何かへ
対象はさまざまです。
不信感について改めて調べると
「相手を信用できないという感情や考え方を
心の中に持つこと」とありました。
相手について
例えば
「首相の発言に不信感を抱く」など対象が身
近でないケースや自分以外の全ての人を信じ
られない….というようなトラウマティックな
出来事が起因した不信感もあるでしょう。
しかし、今回はその中でも
特定の相手が対象となる不信感についてつぶ
やきます。
結論から言うと、
不信感を手放すために効果的な手立ては
【対象の相手との間に境界線を引くこと】
これは私の実体感でもあります。
....ということで
ここからは境界線を引くとは何を意味して、
どういう効果があるのかをお伝えします。
不信な思いは、簡単に鎮まってくれず、嫌な
想像が繰り返し浮かび、心が自由になりませ
ん。そんな風になる対象は自分にとって重要
な存在であることが多いです。重要な存在で
なければ、気分を害したとしても長くは続か
ないからです。
重要な存在と言えば
パートナー、親・きょうだい、親友、仲間….
など本来、大切にし、大切にされたい相手が
挙げられます。
例えばパートナーなら
不倫発覚後、浮気相手との別れを宣言され、
謝罪があったとしても、それ以前の関係を取
り戻すのは難しいです。そして、パートナー
の外出時には、「またあの人と会っているか
もしれない」という疑いが湧くのは不思議で
はありません。
また、血縁である親・きょうだいの場合、特
に中年期以降は関係が難しくなることがあり
ます。きょうだいの生活格差、親の遺産相続
などで利害関係が伴うケースが見られるから
です。
このように、本来なら頼りにし合いたい者同
士であるが故に「こんな人であってほしい」
という期待が無意識の内に出来上がっている
のでしょう。
その期待が破られた時の悔しさや情けなさ、
哀しさは関係性の薄い人とは比較になりません。
ただ、どんな嫌な気分になっても、本人が持
つ感情はその人にとっては守りの役目を果た
してくれています。
というのも、
疑うことでこれ以上傷つくことのないように
防御しているとも言えるからです。
だからと言って、不信感を持ち続けるのは辛
く、無駄なエネルギー消費だということも分
かっています。だからこそ、何とかこの状態
に決着をつけたいと心底望みます。
改善の道を辿るため、お互い腹を割って話し
合えるならそれに越したことはありません。
それが難しい時、引きずってしまうのですよね。
不信感というのは、元はと言えば、「信じた
い」「○○であってほしい」という相手への
期待・願望があるから生じる感情です。
そこで不信感を手放す方向へ進みたい時は
【相手との間に境界線を引く】
この方法をおすすめしたいです。
これは、相手との間に築かれた依存や期待の
思いから離れるために、心の距離を取ること
を意味します。
同居状態だと顔を合わせるため難しいことも
ありますが、あくまでも心の距離の調整です。
心の距離を取るというのは「相手のことを考
えないように」と努力することではありませ
ん。(←コレは逆効果です)
では、どういうことなのか?
ここで言う「境界線を引く」というのは
相手の思いは相手のもの
私の思いは私のもの
と割り切り、それを踏まえた上で自分に集中
するという意味です。
どうにもできない相手への関心から離れ、動
かすことが可能な自分についてはポジティブ
な取り組みを進めるということです。
例えば
【自分の楽しみやチャレンジに意識を向ける】
相手を変えることは難しいけれど
相手にまつわる自分の気持ちを変えることは
なんとかなります。
そうして気持ちをスイッチした結果、
両手でも抱えきれなかった重たい気分が、い
つしか片手に収まるまでに小さくなっていれ
ば成功です。
不信感は簡単に無くならない、
だから、
サイズダウンできれば十分です。
こうすることで
不信感へ割く時間が短縮するだけでなく、自
分に集中したことで人生が一歩前進した気分
を味わえます。
「楽しみやチャレンジなんて無いわ」という
人は特に、人生の舵取りを見直すチャンスだ
と受け止めるとどうでしょう?
どんなネガティブな出来事でも、新しい自分
を発見するためのキッカケにしてしまう。
「自分発見!」
この心持ちから、強かさを身につけ豊かさ
へ向かう様子が伝わってきませんか?
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-
■ 編集後期 ■------------------------
夫を断捨離した友人は日々パラダイスだと爽
快な様子を聞かせてくれました。離婚届はま
だ提出していないけど、「もう戻れない。戻
るつもりはない」とのこと。3人の子を独立
させ孫も3人。収入も十分ある彼女は悠々自
適な生活。都合の良い時だけ家事・育児を手
伝い(手伝ったつもり)で夫業を果たしてい
ると勘違いしたままの30余年は滑稽でもあ
ります。夫を叩き出す計画は10年以上前から
聴いていたけれど、家族旅行などもしていた
ので本気にしてませんでした。我慢は子ども
のためだったんだ、と実行した彼女に「頑張
ったで賞」をあげたい気分になりました。
一方、夫に貯金を全て渡してしまった友人は
家を出たくても出られない…と動きがとれず
にいます。DV被害もあり、避難して生活保
護の道も考えられるけど、その選択はないら
しい。
お金は幸せの絶対条件ではないけれど、必要
条件だとつくづく感じました。
▼「恨みは一生、感謝も一生」のQuoraの記
事をツイッターに貼り付けています。
https://twitter.com/room_reborn/status/1428253439486697475?s=21
■ 編集後期 ■------------------------
あなたのおうちの掃除機は
サイクロン式?
紙パック式?
友人からたずねられ、初めて意識しました。
ウチは、10年以上前からサイクロン式です。
どのくらいのゴミが取れたかひと目でわかる
ので、好んで使っています。
この質問で気づいたことがありました。
それは、掃除をした後、毎回のゴミ捨てを止
められない自分がいることです。これは、私
が一度に収穫したゴミの量を確認しないと気
が済まなくなっていることを表しています。
そして、たくさんゴミが溜まっていると「ヨ
シヨシ」と喜ぶ私です。
日常のちょっとした喜びをこんな形でゲット
しているのか…と笑えてきました。
スーパーなどに商品を出しているメーカーは
定番商品に欠品を出さないよう、いつも注意
し、余るほど多めに陳列しているそうです。
これは、
いつも買っているお客様が、欠品を機に他メ
ーカーの商品に乗り換え、戻ってこなくなる
ことを避けるためだそうです。
このことは
私たちがコレだと決めると、それがルーティ
ン化(習慣化)し、変化しにくいことを表し
ています。
ほおぉ
そういうことかぁ….と、
いつも買ってるビヒダスヨーグルトが欠品し
ていたのをキッカケにらくれんのものに乗り
換えた時のことを思い出しました。
「ビヒダス」は168円
「らくれん」は98円
同じ量で、味の違いはわからない。
それなら….と、中身にこだわりのない私は、
以降「らくれん」を購入しています。
えー!
お得な買い物の話?
いえ、
違います。(笑)
習慣になっていることって、日々、
スムースに過ごす上では省エネでいいですね。
しかし、今回はそれを見直し、改めたことで
人生が変わるほどの変化を感じたクライエン
トさんのお話をご紹介します。
※ご本人のご承諾を得て個人が特定されな
い範囲でお伝えします。
ーーーー
これは、以前ご依頼のあった「人生を見直す
セッション」からのシェアです。
「何しろ今の自分を変えたい。でも、何をど
う変えたらいいのかわからず困っている」と
第一声。よくよくお聴きすると、「パートナ
ーから別れたいと迫られているが、理由を言
ってくれない。だから自分を変えたい」とい
うお悩みでした。
その方の希望は
パートナーが去っていかないように自分を変
えて、相手好みの自分になりたい…というご
希望でした。
そこで、相手の好みはひとまず横に置き、
今、よく考えずに日々こなしていること、
人生で繰り返していることをピックアップし
てみることになりました。
パートナーのため、というより、ご自身のた
めに振り返る作業として始めました。
可視化できるようにホワイトボードに書きま
した。
習慣になってることですから、なかなか出て
こなかったので、まずは起床から行動を辿り
ました。その後、職場、アフターファイブ、
友人・恋人関係など、いろいろ出てきました。
朝
「いつもの飲むヨーグルトを飲む」から始まり
「長年使用ブランドの下着を着る」
「同じような色の服を着る」
「恋人との別れはいつも相手から」
「友人との外出はいつも友人からの誘い」
・・・など他にもいろいろありました。
43歳だった彼女は長年変化のない行動や人
との関わり方にハッとしたようでした。
それはモノに対して、心地良さやお気に入り
感などのこだわりはなく、人間関係では相手
主動で成り立ってきたと気づいたからです。
彼女とのセッションは1回で終わりました。
その彼女から先日、メルマガのご感想と一緒
に近況報告を頂きました。
47歳になった彼女。
あの後、自分から彼に別れを告げたそうです。
習慣を振り返るまで疑いなく過ごしていた毎
日を細かいことから見直したとのこと。
まずは、
古い下着の多さに驚き、かなりの数、捨て
た…という話や、友人との関わりは映画の感
想を伝えることから始め、徐々に変化の範囲
を広めたようです。
パートナーとの別れについては詳しく書かれ
ていませんでしたが、良い意味で古い習慣が
一掃され、行動の幅が広がった様子が伝わっ
てきました。
4年前の80分セッションのその後を知り、私
は感慨に耽りつつ彼女から刺激を受けました。
そうして私も習慣を振り返ってみました。
どんな習慣が見つかり、
何を変えたのか?
ささやかですが、
朝のコーヒーを白湯に変えました。
何の気なしに私は、一日何杯もコーヒーをの
んでいたのです。そこでコーヒーは仕事の
休憩時、ホッとしながら味わってのむと決め
ると、自然と白湯を飲む回数が増えました。
今では「体調にも、この方がイイやん!」
という感じになっています。
彼女に比べたら、ホントささやか過ぎる変化
なのですが、カフェイン依存から離れられた
….とチョッとした満足です。
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がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
~自信を育て、幸せに導く小さな習慣~
-----■ お知らせ ■---------------
▼オンライン読書会
日 時:2021.7.24(土)午後8:00
場 所:ZOOM(オンライン)
参 加 費:無料
読みもの:
「下手くそやけどなんとか生きてるねん」
著者:渡邊洋次郎
▶︎読書会について
■ 編集後期 ■------------------------
最近メルカリにハマっています。自分にとっ
て不要なものが、誰かのお役に立つ。確かに
お小遣い稼ぎという点も魅力的なのですが、
他にちょっとした学びがありました。
それは、取引きには信用が大切ということ。
当然のことですが再確認できた感じです。
取引きが終わったら「良かった or 残念」の
評価がつけられ、評価メッセージも公開され
ます。丁寧な対応にはそれなりのメッセージ
が送られます。
商品紹介文の書き方、問合せへの対応に出品
者の特徴が出ます。そして、同じ商品でも良
い評価の出品者の方が早く売れます。
売主・買主、両者の名前・住所も知らせずバ
ーコード発送なので、どこの誰かを特定され
ない分、誠実さが見えてきます。
私は小さなお子さんがいらっしゃる購入者さ
んには、絵本やカードを添えて、取引を楽し
んでます。
短期間の取引きで、一期一会的ではあります
が、こちらの姿勢によっては温かさに触れる
こともできるなぁとダブルでお得な気分です。
「せっかくの時間が○○さんのせいでムダになった」
「○○さんの発言で気分が落ちてしまった」
など、気分を害することがあったとしても
いちいち口に出さない。
相手に原因があると思っても、そっと胸にし
まっておく。
それが大人だ・・・。
そんなふうに思ったことはないでしょうか?
いやいや、
それが普通でしょう?
…..と言う人が多いのかもしれません。
でも実は、ここに盲点があるようです。
というのも
これは無意識の自衛手段であることが多く、
それが自分の本質を貶めていることに気づく
ことは少ないからです。
今月はこの盲点を紐解いていきます。
——
「○○さんがあんなことするから失敗した」
「○○さんの発言で気分が落ちてしまった」
・・・と無自覚に
相手を悪者にして、自身の気持ちを収束させる。
・
・
・
年齢を重ねた人ほど、思い当たることは多い
かもしれません。
・
・
・
また、
こんなふうに気持ちを鎮められるからこそ、
争い少なく過ごせるのであって、自然に築か
れた有効な対人スキルとも言えます。
かくいう私も、友人から指摘されて気づいた
ことでもあります。
対人関係を振り返り、
相手が家族や特定の人であれば、思いをぶつ
け合い、ケンカに発展しながらもお互いの思
いを伝え合うことで相手の気持ちに気づくこ
ともできます。
一方、
相手が懇意な関係であっても他人の場合、そ
の場の空気を読んで、害した気分は自らで収
束させることがほとんどでしょう。
そうそう、そのとおり
そんなことは他人さんとの間ではありがちで
表面的に波風が立たないならそれでいいんじ
ゃないの?と受け流したくなります。
ただ、
表面的には争いにならず、「相手が悪い」と
決めつけたまま心にケリをつけて終えること
ができる一方、相手の欠点や落ち度を探り、
自身を正当化したことには気づきにくくなり
ます。
そこで、
この流れが、自分も気づいていない思考の癖
によって行われているとしたら、心の中を覗
いてみたくなるのは私だけでしょうか?
自分の知らない自分、
いわゆる「盲点」です。
盲点となってしまうのは
このスキルは短時間で気持ちを収め、心の筋
力の省エネができ、安易に使い繰り返してし
まうからです。
また、
対象の相手側がどうか?ということより、同
じようなことが起こった時、再び同じ方法で
気持ちを収めることしかできなくなるという
難点もあります。
このように心に纏った透明な不自由さは意外
に重いようです。
そこで、
この不自由さを見つける問いかけとして友人
から教わったフレーズがあります。
それは
『その時
自分の中で何が起きていたのか?』
この問いかけは、
相手との間に何が起きていたのか?ではな
く、「自分の中で」というのがポイントです。
心の中で相手を責めた表現(言葉)や態度を
反芻し、その時の気分を思い出しながら自身
の内側を振り返ってみる。
私の場合、
そこで出てきた内側の様子は
・相手を蔑む気持ち
・相手を追い詰めるような視線
・気づきを発言しないズルい態度
・・・などです。
見たくなかった、
向き合いたくなかった醜い自分が見つかりま
した。
・・・どうしてこんな気持ちが生じたのか?
これは相手側の問題ではなく
相手の言動をキッカケに自分の中の何かが触
発されたのです。
これに向き合うのは苦々しいことです。
しかしながら、
自分を誤魔化さず向き合ってみると醜い自分
に至る感覚が見えてきました。
「相手との能力の差に屈した感じ」
「相手に置いていかれた感じ」
「情けなさ、悔しさ」
・・・などです。
こんな感覚は、自分の中には無いものとして
排除しておきたい。
正直な気持ちです。
けれど、そうはいきません。
実際に在るのですから。。。
これらは直に見ることができないため、放っ
て置くことができ、都合良くもあるけれど
厄介でもあります。
厄介というのは、他責をくりかえすことで、
見たくない自分の本質に無自覚になるためです。
そうして成長の機会が奪われ、生きやすさか
らは遠ざかってしまいます。自己啓発本を読
もうが、為になりそうな動画をチェックしよ
うが、他責を重ねることで心に溜まったドロ
ドロの澱をそのままにしていては自己開発の
効果は上がりにくいでしょう。
人間生きていれば、そんなことの連続だ、仕
方ないこと。。。。
そうだとも思います。
ただ、
仕方ないこと….と「放っておくケース」と
「向き合うケース」の選択は必要です。
相手との関係はひとまず横に置き
まずは放置せず自分と向き合うひと時を持っ
てみてはどうか。。。
そうすることで
今後、誰かを責めたくなった時
「自分の中で何が起きているのか?」と
自問できることで、思考の方向は今までと違
ってくると思うのです。
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▼オンライン読書会
日 時:2020.6.26(土)午後8:00
場 所:ZOOM(オンライン)
参 加 費:無料
読みもの:
「下手くそやけどなんとか生きてるねん」
著者:渡邊洋次郎
▶︎読書会について
■ 編集後期 ■------------------------
それは、自分の本音や見られたくない部分を
伝えるには相手を信じる力が必要だ…という
こと。こちらがオープンになっても、相手か
ら表面的な対応でサラッと流されたら…と想
うと心は閉じてしまいます。肩透かしを喰ら
い、惨めな感じを味わう…なんてことはした
くないですから。。。じゃあ、オープンな人
にだけオープンに接するのか?…と考えると
それは違うかな?自分がある程度の素直さと
誠実さを表すことで、似た方向性の人と繋が
れるんじゃないか?そんな期待は持てるよう
な気がしています。
電車に乗ると乗客の多くがスマホ画面を見て
います。かくいう私もこの文章をその画面に
入力しています。
多くのことが便利になり、コロナ禍ではオン
ラインで対面する業務が広まり、いっそうの
時間短縮が可能になりました。
次の用事がある場所に行く道中がカットさ
れ、時間や交通費のカットにもなっています。
充実した生活、人生をおくる上で誰にとって
も外せない「お金」と「時間」が節約できる
のは大きなメリットです。
このメリットを前にしながら、急かされてい
る気分になるのは、ボーッとしがちな私だけ
なのか?と誰かにたずねてみたい….そんな思
いもあって今月はこの「大きなメリット」か
ら考えた「本当に大切なこと」についてつぶ
やきます。
まずは、質問です。
あなたは
「お金」と「時間」
どちらを大切にしているでしょうか?
・
・
・
「うーん、どちらも・・・」と答える人が
ほとんどだと思います。
また、
時間がたっぷりあると錯覚している若者と
人生の午後を感じている年代とでは
答えは違ってくるでしょう。
ただ、
こんなふうに比較するとどうでしょう?
お金は稼げるし、借りることもできる。
一方
時間は止めることができず、借りることもで
きない。
いやいや、
そう言われても選ぶのは難しい。
だって、お金は生活していく上で欠かせない
ものだし、あれば気持ちの余裕も違ってくる
ではないか・・・という反応が返ってきそう
です。
本当に、この究極の選択からも
時間の扱いは難しいことがわかります。
「時間」の使い方については
私自身、これまで何度反省しているか数えき
れません。時間は目に見えない分、無くなっ
ていく感覚が薄く、分かっていても流される
意志の弱さがあるからです。
そして、
その度に、立ち返る考え方があります。
あなたも一度は見られたことがあると思います。
何を優先するか、スケジュールに悩んだ時
「緊急度」と「重要度」によって4つの項目
に分ける考え方です。
■時間管理マトリックス
日々の時間を上記4つの項目に当てはめると
あなたは何に多く時間を使っているでしょうか?
「重要」「非重要」に分けると下記になります。
重要) 1:必須 3:価値・投資
非重要) 2:錯覚 4:無駄
先日私は、
「きのう何食べた?」というオンデマンド配
信のドラマにハマり、連日、寝る前の1時間
観ていました。
一話30分のこのドラマ、内容が濃いわけで
はないのですが、なんだか気分が緩んで、終
わる頃にはリラックスできた感じがするんで
すよね。一見「4:無駄」に該当しそうなの
ですが、私はこの時間を「3:価値」に入れ
ていました。
無意識にダラダラ観て時間を消費すると後悔
するのですが、「リラックスさせてくれる時
間」だと意識し、没入すると全く気分が違い
ます。
時間管理の方法は知っているものの、意識を
緩めると時間は無駄に流れ、後悔の波が押し
寄せることがありました。
「知っている」と「できる」とは違って、
習慣化が必要なんだと思い知らされることを
繰り返してきたように思います。
そこで
改めて心を傾けたいのが(3)の
『緊急でないけど重要(価値・投資)』です
・豊かな人間関係づくり
・健康づくり
・家族との時間
・自己啓発、将来設計
・リスク管理、金銭計画...etc
これらは自分や大切な人の人生と誠実に向き
合わせてくれる内容だからです。
▼陥りがちな時間の使い方が
1 → 2 → 4 → 3
(必須)→(錯覚)→(無駄)→(価値)
▼理想的な時間の使い方は
1 → 3 → 2 → 4
(必須)→(価値)→(錯覚)→(無駄)
緊急・重要度ともに上位の(1)は迷いませ
んが、問題は(3)です。それは、やらなく
てもスグには困らず先延ばしにしがちだから
です。しかし、人生を俯瞰して観たとき、
(3)を見過ごした後悔は取り返しがつかな
くなります。
そう考えると、
スグに感じられる目先の効果は魅力的だけれ
ど、それに気持ちを奪われていると「止める
ことも、借りることもできない時間」がなく
なった時、譲れないものの大切さを思い知る
のかもしれません。
時間がなくなる時というのは、
親の介護、自身の病気
家族の入院、不意の事故
など、人によってはまだまだ想定できる、
お金があっても心身の自由が奪われた時のこ
とです。
つまり
思いのままに動けなくなった時、
初めて本当の意味で時間の大切さが迫って来
るということ。
・
・
・
【本当に大切にしたい人、もの、ことに
時間をつかえているのだろうか?】
定期的に問い返したいフレーズです。
いつかやる・・・の「いつか」は来ないこと
がほとんどだと思うから。
それよりも
必ず来る避けられない終わりの時、
程よい気分で振り返りができるように
誠実な歩みを進めたいです。
さて、
ステイホームを余儀なくされるこのGW
あなたは何に時間を使いますか?
——— ■ りぼーんの綴りもの ■-----
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▼オンライン読書会
日 時:2021.5.29(土)午後8:00
場 所:ZOOM(オンライン)
参 加 費:無料
読みもの:
「下手くそやけどなんとか生きてるねん」
著者:渡邊洋次郎
▶︎読書会について
■ 編集後期 ■------------------------
先日、仕事関係でお世話になった方へ久しぶ
りに電話をしました。その方の同僚が出られ
他界されたことを知りました。
ダイビングが好きな彼は、海に潜ったままが
って来なかったそうです。
1年以上経って知った訃報でした。
人生の持ち時間はどのくらいあるのか?
誰にもわかりません。
それなのに、何の根拠もなく「まだ有る感
覚」を持っている私です。
この連休に改めて「3:価値」を見直してみ
ようと思っています。
——
○今月のつぶやきを書いていて胸に染た曲
人生の扉(竹内まりや)
つらい
しんどい
何もしたくない
こんな時あなたはどんなふうにしていますか?
誰にでも経験あるネガティブな気分
「時間を無駄にしている」
「こんな状態から早く抜け出したい」
友だちとおしゃべりして吹き飛ばせるならそ
れもいい。
アルコールでストレス解消的に気持ちが戻る
ならそれもいい。
しかし、いつもそうして回復するのは難しい。
できるだけ、自ら立ち上がり
早く、通常の生活に戻りたい!
寄せては引く気分の波、
人生は安定した状態ばかりではありませんから
・いつものこと….とやり過ごせる波、
・ちょっと手強い波、
・一人で乗り切るには難しい荒波
さまざまです。
今回は、中間の「ちょっと手強い」と感じる
波についてつぶやきます。
落ち込みの原因となる理由があるなら対応の
しようもあるけれど、その検討がつかない時
は厄介ですよね。
今日お伝えするのはカウンセリングでしばし
ば挙がるトピックです。どんな場合にも当て
はまるとは言えませんが、参考になれば嬉し
いです。
━━━
しんどい時、
大抵の人が「すべきことをしたくない」気分
になりますね。
こんな気分だし
「〜〜するのやめとこう」
「〜〜へ行くのやめとこう」
「〜〜の約束ことわろう」
…という感じで予定を見送ったり、先延ばし
したくなります。
そうすることで気分が落ち着き、元に戻れ
ば、その時に合った対処法だと思います。
でも、
「無駄に過ごしてしまった」
「こんなことではダメだ」
と罪悪感が湧くようなら益々つらい。。。
そこで思い出したいのが
「自分の気分は自分で選べる」ということ。
何者かによって気分が落とされているわけで
はなく、「こんな気分だから、〜〜しなくて
いいか」と行動を選択し、その状態を温存さ
せていることもあるという事実。
コレは無意識の内に
「〜〜しない、しなくていい」と目的を立て
ているということ。
「できない」と思っていることが、実は「し
ない」という目的を立てていると気づくこと
は大きな発見です。
目的だなんて、そんな大袈裟な・・・
と思いますよね。
でも、
心の中を覗いてみると
在るのです「やらない」という目的が。
「掃除しなくていいかか」
「ご飯作らなくてもいいか」
「メールの返信、明日でいいか」
など、こんな小さなことも入ります。
・・・というか、ささやかなことが多いかも。
その目的を果たすために今の気分を選んでい
るとしたらどうでしょう。
目的を変えることが気分を選ぶことにつなが
るなら、希望が持てませんか?
「選ぶ」と意識することは主体的で、自己コ
ントロールできている感覚につながります。
たとえ、誰かの言動によって気分を害されて
も、それはキッカケであって、ずうぅっと気
分を落とし続けるかどうかは選択可能だ、と
思えると気分に変化が起きそう。
自分の時間、自分の人生、なのだから、
何かによって、こんな気分にさせられている
という感覚は手放し、自ら心地良い気分を選
べる感覚を忘れずにいたいです。
このことを意識にのぼらせることは、つらさ
の渦中に居ると難しいものです。
今、もしあなたがその渦中にいらっしゃるな
ら、このメールで思い出してもらえれば嬉し
いです。
では次、
どうやって気分を選び取っていくのか?
まず、
できるだけ簡単な身体を動かす用事を
目的に置いてみる。
そして、
スグに実行に移す。(時間を置かない)
「えー
こんな気分の時に無理ー」
という声も聞こえそうですが、あと少し読み
進めてください。
私たちの心の中には気分の引き出しが複数あります。
今はつらい気分の引き出しが開いた状態です。
そこで
ひとまず、その引き出しを半開きのまま、他
の引き出しを開けるつもりで行動だけを変え
てみる。心は伴わなくて構いません。
「気分よくやろう」なんて考える必要はないです。
こんなふうに
ほんの数分先の目的を立てる。
そしてそれは
できる限り、簡単にこなせる内容であること。
身体を動かすと、その行動に引きずられ否応
なしに気分は動きます。
つらい時、
・何もしないという選択もあり!
・誰かに頼るという選択もあり!
・自らで立ち上がるという選択もあり!
とにかく、
自分の時間、それに続く人生は
何かによって動かされるのではなく自ら選択
しているという感覚は心を自由にしてくれます。
悔しい、悲しい、寂しい、
嬉しい、楽しい、ワクワクする、、、
などのあなたの中の気分の引き出しは多様です。
さて、次はどの引き出しを開きますか?
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今月のつぶやきを20代の頃の私が読んでい
たら「性格なんやからでけへんわ」と一蹴し
てたと思います。
ネガティブ思考が強かった私ですから。でも
今はハッキリわかることがあります。心の体
力を省エネしてたなぁって。
それというのも、心を外向きにすることより
内向きにすることは使うエネルギーが少なく
て済むから。楽してたんです、私。
しんどい時、選択するのチョッと力が必要だ
けど、慣れるとまあまあできるようになった
感じです。歳をを重ねて、自分のいいように考
えるオバちゃんになったせい?あるかもですが。。。
小学生の頃のこと。
「今回はよくできた!」・・・と
喜び勇んで持ち帰ったテストを見せると
「平均は何点やったん?」と母からきかれた。
平均点が高いと知った母から
「みんな良かったんやね」と返ってきた。
なんてことない親子の会話です。
でも、
こんな些細な会話からも私たちは平均という
感覚を刷り込まれているのではないだろうか?
今月は、この「平均」という感覚から改めて
感じたことをつぶやきます。
━━━━━━━━━━━
冒頭のエピソード、
母からの
「みんな良かったんやね」という言葉に
意気消沈しながらも当然の反応だと感じ、
問題などと思ったことはありませんでした。
ただ、
改めてこの反応を振り返ると
「前より手応えあるデキなのか?」
を問うてはおらず
「平均点より上か下か?」
「クラスの中でどうだったのか?」
が判断されています。
クラスみんなの点数が良かったのだから
自分の点数が高くてもデキとしては大した
ことはない、と私自身も思い直す感じでした。
そしてこういう親の反応を私も受け継いだの
か娘にも同じ反応をしていたと思い出しハッ
としました。
幼い頃の何気ない親子の会話から空気を吸う
ように平均感覚が養われていくのかもしれな
いと思いました。
良し悪しは別にして
いろんな意味で平均がベースとなり、
そこが居場所と化していく日本人の国民性。
・平均より上の学校
・平均より上の収入
・平均より上の住まい
・平均寿命を全うするための平均貯蓄額
・・・など、
平均という感覚に揺さぶられる私たち。
所属の中では
平均より下でも上でもなく、突出しない様子
を醸し出す術も身につけなければ居場所確保
が難しくなることが多いです。
社会に出て
「え?これっておかしくない?」と疑問に思う
ことがあっても、周囲を見て湧き上がる違
和感をスルーしたことはないですか?
「みんな、何も反論ないの?」
「(違和感を持つ)私がおかしいの?」
・・・問題意識を持つ人は面倒な人。
そう思われることを危惧して疑問を口にせず
アイデンティティは薄まっていく。
そうして場に馴染むようどんどん丸くなり
どんな方向にも転がれる人が出来上がるのか
もしれないし、その方が日本社会では生きや
すかったのかもしれません。
ただ、
これは過去形になりつつあります。
なぜなら
平均化によって足並みが揃い、成長した日本
ではあるけれどコロナ禍を経験したことで
以前にも増して多様な社会へと拍車がかかっ
たように感じるからです。
・男性 or 女性 or その他
・障害を持つ or 持たない
・車所有 or レンタカー利用
・テレビニュース or ネット上での選択的情報入手
加えて
・出勤 or 在宅
在宅ワークはメンタルヘルスの懸念がありな
がらも能力によっては、時間が自由に使える
などメリットもあります。
・組織に所属 or 仲間と一緒に or 一人起業
など働くスタイルも選択できる時代になりつ
つあります。
これまで当たり前に強いられて来たことも選
択可能になりました。
逆に言うと、選択しなければならなくなりま
した。
「選べる自由・選ばなければならない負担」
平均感覚を持ち、周囲と同じ選択をしていれ
ば生きていける時代から、自ら情報を取りに
行き、自分の頭で考え、行動する時代に入り
ました。
見栄やプライド、周囲からの見る目を最優先
に考えていると、引いては寄せる波のように
迫りくる生きづらさを越えられない日がやっ
て来ます。
「あなたはどう感じますか?」と聞かれて、
「みんなと同じです」なんて答えることは出
来ない多様性が求められる社会。
私は何に囲まれて暮らしたいのか?
私は何に心地良さを感じるのか?
私はどんな場所を巡りたいのか?
私は何に時間を使いたいのか?
私は誰と過ごしたいのか?
私はどんなふうに歳を重ねたいのか?
私は何を目指しているのか?
正解なんてない、
まずは自分の感覚を拠り所に思いを巡らせよう。
これらの問いは
・時間ができたら
・お金が貯まってから
・子どもの手が離れてから
・・・といつまでも後回しにできないこと。
人生100年時代と言われるものの
死ぬ直前まで快調でいられる人は少ないはずです。
人生の正午を過ぎると、
精神はともかく、身体的老いは避けて通れず、
そう考えると
実際の可動域はそんなに長くないのかもしれません。
さて、
あなたの平均感覚
これから どう扱っていきますか?
━━━━━━━━━━━
編集後期
━━━━━━━━━━━
最近、講談師の神田伯山(36)にハマっています。
彼を知ったのは襲名前の神田松之丞時代に出
版されていた「絶滅危惧職 、講談師を生きる」から。
でも、しっかり講談を聴いたのは今年に入ってから。
爆発的に売れているので知ってる人も多いと思います。
臨場感が伝わる音響効果が発達した昨今、
人の語りでここまで心震わせるのは感動ものです。
伯山の動画を紹介した友人から感想のラインがありました。
「全話、聴いたよ.
きゃあああああ
ほんまは、こんな恐ろしい話はきらい
でも、引き込まれて、全部聞いてしまった
あまりのうまさ
そして、やっぱり人間を描いている」・・・と。
まだお聴きでない方はどうぞ↓↓↓
「畦倉重四郎」連続読み
三十代の姉妹お二人
背格好も同じくらい
ファッションも似ている。
なのに印象にかなりの違いがある。
なんでだろう?
ちょっと気になりながら話をしていました。
初めはな〜んとなくの違いが
10分も経たない内に明らかになりました。
それは何か?
お二人が同じ動作を時間差でなさった時のこ
とです。
それぞれからものを受け取るシーンです。
お姉さんが私に両手で封筒を渡してくれた瞬
間に気づきました。
妹さんが先に渡してくれた時は片手で、何も
思いませんでした。
ただ、同じ動作を十数秒差で
観ることができ違いを感じました。
もちろん、
片手で渡されて気分を害することなどありま
せん。
ただ、こんな些細なことで印象が変わってく
るということに驚いたのです。
そして、
姉妹と対面してからの数分を振り返り、
ペンの受け取り方、
紙のめくり方など、
私はお二人のちょっとした所作の違いを無意
識下で受け取っていたのだと感じました。
その後
私もお相手に物を渡すことがありました。
目上の方に両手で渡す時と
友人に片手で渡す時、両場面で意識しました。
些細な所作の違いですが
こちらの気分が違うことを感じました。
印象形成というと
相手からどう観られるかがフォーカスされが
ちですが、それだけではないようです。
例えば
なんとなく
1)老けて見える
2)粗雑にみえる
3)だらしなく見える
・・・というのはふだん無意識にしている
1)猫背ぎみの姿勢
2)音が出る動き方をする
3)あごを前に出している
・・・などが影響しているのでしょう。
ただ、
無意識だけれど、その体の状態に私たちの気
分は影響されます。
1)背筋を伸ばした姿勢は
→シャンとした気分に
2)音を立てない所作は
→丁寧な気分に
3)あごを引いていると
→まあきちんとした気分に
どうでしょうか?
なんとなくしていた振る舞いが
自分の気分に影響して
相手に抱かせる印象にも繋がるということ
当たり前のことですが忘れがちです。
コロナ禍では特に
マスクによって顔からの印象が伝わりにくく
なっています。
口角を上げる他、微妙な表情など
顔の下半分の動きによって紛れていた顔以外
が与える印象が大きくなりました。
本来、こんなことがなくても
気持ちよく過ごすために振る舞いには気を付
けたいのですが、ついつい忘れがちです。
そこで、コロナ禍を逆手にとって「何となく」
やっていた振る舞いを見直してみてはど
うでしょうか?
これは、自分の体調や気分を左右することで
もあるし、相手の印象にも繋がるのだと思う
となおざりにはできないと感じたわけです
ただ、
通常自分がどんなふうに振る舞っているかに
ついて自分ではわかりにくいものです。
そこで私についてどんな印象を持っているか
二人の友人に聞いてみました。
一人は「COOLでムダをしない」。
もう一人は「ふと いなくなる感じ、
そして ふと帰ってくる。スナフキンのよう
な感じ」という返信が来ました。
※スナフキンはムーミンに出てくるあの人
違う違う、
そういうことを聞きたかったのでは(笑)
でも「私のイメージはどんな感じ?」ときい
た私が悪かったのです。
今度会った時には
「私の印象を作ってる態度で気になることな
い?」ってたずねてみようと思っています。
あなたも身近な方にたずねる時は、ちょっと
工夫なさってくださいね。
そして
ご自身の所作を意識して
気分の変化を感じてみるとどうなるか?
ちょっと観察を楽しんでみてください。
よく利用するエレベーターを降りた所で
顔見知りの人から
「ねぇねぇ、知ってる?
あの人、エレベーターで女性を触ったんだって」
と声をかけられました。
私は「へ〜そぅ・・・」と聞き流しました。
のちに、また別の人から同じことを聞きました。
この一件は数年前のことらしい。
声をかけてきた二人目の人に詳細をたずね
るつもりで「(その現場を)見たの?」と
きいてみました。
すると、
直接見たわけではなく、被害に遭ったのが
身近な人でその女性は泣いて出てきた、と
のことです。
ウワサを立てられているその方は足の不自
由な高齢男性で通常でも少し身体が傾いて
います。加えて、その方については所属も
名前もわかっている人であり、かつ、その
エレベーターはひっきりなしに多くの人が
乗り降りする場所にあります。
さて、
その男性はよろよろと倒れそうになった拍
子に女性に触れたのか?
また、倒れるのを装って本当に触ったのか?
真相はわかりません。
女性は泣いていたというのだから触られた
のかもしれません。
それにしても数年前のこと、
言い伝えなければならないほどのことなの
か?・・・と私は閉口しました。
ただ、
伝えて来たこの2人には何の悪気もないはず。
エレベーターでその男性と一緒になる私に
気をつけてね・・・と注意を促したつもり
だったのでしょう。
とはいえ、
視点を変えて男性の立場になると人権侵害
にはならないのだろうか?
もちろん、その男性のそれまでの行いなど
周囲に与える印象が良くなかった可能性も
あります。
そうだとしても、広める必要のある情報だ
ろうか?と訝しく思いました。
そして、少し趣は違いますが、
私に声をかけてきた女性たちの反応が最近の
トピックに挙がる薬物依存者へのバッシング
問題と重なりました。
「悪いことをしたのだから」
「みんなも言っているから」
・・・と真相や本人のその後の変化を知る
ことなく非難を続ける。
言う側に大意がなくても
言われた側はひどく傷つくだろうし
反論の機会さえありません。
この「大意の無さ」に思考停止状態を感じるのです。
要するに
自分の発信が相手の人権を大きく傷つける
範疇であることに無頓着だということ。
「言う側 vs 言われる側」は
「多数 vs 少数 又は一人」であり、
逆になることはないでしょう。
こう考えるとどうにも理不尽な気がします。
・
・
・
・・・と
まるで他人事のようにつぶやく私が、これ
まで発信側に居たことはなかったかと言え
ばそんな事はありません。
こう言うことを意識するようになったのは
ご相談を受けるようになった30代後半以降
のことです。
正面から声をあげない人、
あげられない人の悔しさ、怒り、恨みなど
悲痛な言葉を聴かせてもらうようになった
からです。
声をあげない人、
普段から口数が少ない人が
他の人より思いが少ないのかと言えばそう
ではありません。
お悩みを聴く中で
そのような方は思いを溜め込んでいること
が多く、カウンセリングの場では多弁さす
ら感じることがあります。
では
誰かを傷つけるかもしれない内容に気づく
にはどうすればいいのか?
・
・
・
それは
ネガティブな内容を伝え聞いた時、
「チョッと待てよ
それは真実なのか?
憶測が混じって大袈裟になっていないか?」と
心の中でつぶやいてみよう。
コレは
マスコミが発信する部分的に切り取った発
言や文章に対する反応も同じです。
悪意の有無に関わらず、
誰かのフィルターを通した伝達内容である
ことを忘れずにいるだけでも私たちの反応
が変わってくるのではないかと思います。
良かれと思って言ったこと、
そんなつもりじゃ無かったのにという発信、
それが他の人を傷つけることもあるという
こと、私自身中年に入って実感するように
なりました。
さて、
あなたはご自身を振り返って、何か心に<
br /> ひっ引っかかることはありませんか?
■ りぼーんの綴りもの ■-----
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▶︎著書
がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
~自信を育て、幸せに導く小さな習慣~
-----■ お知らせ ■---------------
▼オンライン読書会
日 時:2020.12.26(土)午後8:00
場 所:ZOOM(オンライン)
参 加 費:無料
読みもの:今月のつぶやき(上記)
★来年1月から———————————
下記書籍を半年かけて分かち合います。
「下手くそやけどなんとか生きてるねん」
著者:渡邊洋次郎
——————————————————
▶︎読書会について
■ 編集後期 ■------------------------
一昨日(11/21)は大人の読書会だった。
リボーンのつぶやきを読んで、思いついた
ことを分かち合う時間です。ただ、つぶや
きは話のキッカケであって1ヶ月の振返り
を兼ねてゆるゆるしたおしゃべりを楽しむ
場としてオープンしています。
日頃会うことのない者同士だけど、
話しを進めると、困っている根っこの部分
が似ていたり、誰かの発言に対し「それ、
今日ネットで読んだことと通じてる!」と
いった感じの面白いこともありました。
単なる偶然に見えて、そこに繋がりを感じます。
ご相談をお受けする時もお困りのそのこと
単体ではなく、その方の中の繋がりを感じな
がら聴かせて頂きます。
その方の背景にある人生に連なるストーリー
を辿る視点が私のカウンセリングを支えてい
るなぁ・・・とそんなことが浮かんだひと時
でもありました。
]]>
カウンセリングの中でクライエントさんが
「職場の同僚がカタカナワードを頻繁に使
い、その意味が理解できない。上から目線
を感じ毎日気分が悪い」と言うのを聞き、
ある講演会に行った時のことを思い出しました。
それは、前列に座っていた女性2人の会話です。
「難しいことば使う人やなぁ。意味わからへ
んわ」・・・と講演者に対する不服そうなつ
ぶやきです。
確かに、お話の中に耳慣れないカタカナワー
ドが混じっていました。私もその単語の正確
な意味は知りませんでした。ただ私はこの公
演者のファンだったので知らない単語も興味
深く聴いていました。
帰宅してその単語を調べると解説文の中にも
意味のわからない単語が出てきました。
そして、その単語を調べ、やっと理解できま
した。
こんなふうに書くと、マメな人だと思われる
かもしれませんが、以前は私も冒頭のクライ
エントさんのように自分のわからない難しい
言葉を使う人が鼻につく傾向がありました。
私は長い間
万人に理解できる解説こそが良いのだと信じ
ていたところがあります。
井上ひさし氏の有名なフレーズ
「むずかしいことをやさしく、やさしいこと
をふかく・・・」の影響があったかもしれま
せん。
でも、それが
ここ10年くらいで徐々に変わってきました。
それは、劇作家 平田オリザ氏の講座を受講
した時に聞いた「不親切理論」というのが
キッカケです。
その理論は、懇切丁寧に説明しないことが結
果的に相手のためになるということ。不親切
な発信を受けた側が不足部分を調べることで
得るものがある・・・というような感じでした。
ただ、それを聞いた10年前は、正直「面倒だ
なぁ」というのが本音でした。
平田氏のその講座は連続講座だったのです
が、開催場所がいつもと違っていても、その
詳細が丁寧には知らされなかったからです。
不親切そのものです。おかげで、事前に開催
場所の周辺を調べたり、参加者と待ち合わせ
場所を打ち合わせする等、手間がかかりました。
でも、時間が経つにつれ、その「不親切」も
悪くないと思うようになりました。
それはネット検索などでわからない事を調べ
ることが未知の領域への関心につながり、
探求への欲求やトライしたいことが増える
と実感するようになったからです。
ただそれも、面倒くさがりの私にとっては、
便利なツールがあればこそであり、紙の辞書
だと調べる手間を惜しんでいたと思います。
文明の利器に感謝です。
文明は便利なものを生み出し、今はかゆいと
ころに手が届くサービスが多くなりました。
その技術革新は驚くほどめざましい。
その傾向もあってなのか、
便利なことが当たり前になり、わかりにくい
ことや不便なものを嫌厭しがちな人も多いよ
うに思います。
確かに
「分かりやすさ」や「便利」は私たちに「助
かる感」や「ラク」をもたらしてくれます。
でも一方で
私たちは手間という名の大切な機会を奪われ
ているのではないか?
その手間の最中に見つけられたかもしれない
未知の領域へ架かる橋を素通りしているので
はないか?・・・ということ。
そんなわけで
「わかりにくさ」や「不便」が、「知」への
入り口に繋がるという視点を持つことで、
気分が変わってきませんか?
視界を広げたり、人生を深めるキーワードを
逃さないようにしたいものです。
ただ、
便利な検索ツールが興味を引き出すキッカケ
になる一方、便利なものを無意識に多用してい
ることが頭と体の退化に繋がりかねないという
こともあります。
それでは
便利 vs 便利 のジレンマを抱えることになる
のでしょうか?
いやいや
このジレンマの解消法を知っていれば大切な
機会を逃すことも少ないはず。
その解消法は「選択」を意識することです。
無意識にではなく、
意識的に、主体的に
取捨選択する「便利」は、
高齢社会が加速する私たちの人生に
重要 かつ 有効で強い味方になってくれます。
ただ、
熟年者の中には便利だと知りながら、新しい
ものを取り入れる柔軟さが持てず、準備への
手間を惜しんで、今までの習慣にしがみつく
人を見かけることがあります。
「手間を感じる今」と「開ける未来」を天秤
にかけ賢い選択をすることも大切な課題かも
しれません。
ともあれ
急激な変化にさらされる私たち、
時代の進化に呑みこまれないよう、
自分のスタイルを忘れずに居たいです。
そのためにも
退化に繋がりそうな「便利」は調整しながら
未来を開いてくれる「便利」は上手く取り入れて
楽しく進んでいきたいですね。
・
・
・
さて、あなたは周囲の「便利」を
どんなふうに選択していらっしゃいますか?
┏━━━━━━━━━━━━━━━◆
┃お知らせ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■オンライン読書会
日 時:2020.11.21(土)午後8:00
場 所:ZOOM(オンライン)
参 加 費:無料
読みもの:今月のつぶやき(上記)
▶︎読書会について
┏━━━━━━━━━━━━━━━◆
┃りぼーんの綴りもの
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▶︎こころの辞書
▶︎著書
がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
自信を育て、幸せに導く小さな習慣 Kindle版
┏━━━━━━━━━━━━━━━◆
┃編集後記
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━
最近オンライン開催のイベントが増えました。
料金も手頃で参加しやすいです。
その中でちょっと気になることがあるのです。
それは通信状態に不具合が出た時のクレーム。
参加者からの
・ピントが合ってない
・聞こえにくい
・・・など。
不具合が発生した直後にチャットで知らせる
方が居ます。そんな人に限ってお顔は出さず
お名前もハンドルネーム。
主催者側から
「すいません、調整中です」の返信。
不具合に一番気づいているのは主催者側であ
ることが多く、慣れない機能にあたふた対応
している様子が目に浮かびます。
少し時間を置いて
「ピントが合ってないようなのですが」とか
「少し聞こえにくいかも」という感じなら
主催者側に伝わる印象も違うだろうに。
今更ながら、伝え方って大切だなぁ。
最近、娘に意見を求められたことから信頼
関係について頭を巡ったことがありました。
今月はその話から私の振り返りも兼ねてつぶやきます。
━━━━━━━━━━━
「お母さん、
大麻についてどう思う?」
本当に時々ですが娘から意見を求められるこ
とがあります。
幼い頃の「なんで、なんで・・・」ではなく
大人になるとこちらの生き方や人生観を測る
ような問いが飛んできます。
そんな時、私は普段の顔で居ながら、心の中
では姿勢を正します。
「薬は良くない」・・・なんて当たり前の答
えを求めていないのはわかります。
大麻への多様な視点がどの程度あり、それに
対し、どんな見解を持っているかを聴きたいのだ・・・と。
以前、娘との会話で
「大阪には今でも行政の手が入らない売春宿
が残っている」という話になり、その現状を
どう感じるか、と尋ねられたことがあります。
私は注意を促すつもりで
「そういう所には近づいてはいけない」とい
う内容を伝えました。
そうすると娘は、
「ああいう所があるから性被害者は、まだ
今の程度で抑えられているのだ」と私の薄っ
ぺらな注意などとは別の角度の話を繰り広げました。
ドキッとさせられた一瞬でした。
一方、
私も壮年期に入った今も両親に相談を兼ねて
尋ねることがあります。
相談というより、こたえを出した上で自分の
見解が間違っていないか?・・・と確認のよ
うなものです。人生にそう何度もないような
問いで、答えにくい内容です。
そんな時の父と母の反応の違いから
私は、信頼度にも繋がる向き合い方の重要性
を感じたことがあります。
・・・というのも、
私の問いに対して
母は、こちらの顔色を伺うような質問はせず
飾らない自分の意見を伝えてくれます。
押し付けるというのではなく、ただ
「私(母)はこう思うょ」という発信です。
一方
父は、母に任せているかのように何も言わず
スルーしたり、返してくれたとしても一般論
的な意見です。
私は両者のこういう態度を受けて
「答え」ようとするより
「応え」ようとする態度の方が関係性を育て
る上では大切なのだと気づきました。
どういうことかというと
一般的に大多数の人が賛同するような当たり
障りのない「答え」より、こちらの思いを
しっかりと受け止め、率直な意見を示す態度、
つまり「応える」その姿勢が胸に響くということ。
正解があることなら悩みも少ないけれど、
人生には正解のない問いを抱えることの方が
多く、確認のため意見を求めたくなります。
そして、こういうことは、誰にでも相談でき
るものではありません。
そのため、相手がどんなふうに向き合ってく
れたかが後になっても印象として残るような
気がします。
両親共に私のことを大切に思ってくれている
はずなのに、反応の違いで全く別の感情が湧
き上がったということです。
返ってきた意見が正解かどうか・・ではなく
面倒がらずに心を遣って考えてくれたことが
伝わってくる態度が心強さや生きる支えに繋
がるのだと感じるようになりました。
では、私自身はどうなのか?
・
・
・
いざ問われてみると私こそ怪しいものです。
正しいことを恥ずかしくないように・・・
などと「答え」を探すことがあるからです。
相手が大切な人であればあるほど、為になる
返答を・・・と変な邪念が無意識に湧き上が
るのかもしれません。
そんな時、
「答える」より、真摯に「応える」姿勢を思
い出したいと自戒を込めて綴りました。
大切な人からの問いに
あなたはどんな姿勢でこたえていますか?
┏━━━━━━━━━━━━━━━◆
┃お知らせ
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■オンライン読書会
日 時:2020.10.17(土)午後8:00
場 所:ZOOM(オンライン)
参 加 費:無料
読みもの:今月のつぶやき(上記)
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┃りぼーんの綴りもの
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┃編集後記
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━
ずいぶん以前に書いた本が電子化されました。
当時、出版社からは4000冊限定という依頼
で何にも考えずお引き受けしました。それが
思いの外スグに完売。結局、大して広まらず
に無くなるんだぁと思っていたのですが、文
明の利器によって復活。バージョンアップし
たものではなく恥ずかしさもあります。
ただ、何年経ってもお伝えしたい根本的な内
容は変わらないので電子化での再販は嬉しいです。
ご興味のある方は一度覗いてみてください。
がんばりすぎる人の「心のゆるめ方」
自信を育て、幸せに導く小さな習慣 Kindle版
▼書籍の詳細はこちらに綴っています
内容の詳細
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
お知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■オンライン読書会
日 時:2020.9.19(土)午後8:00
場 所:ZOOM(オンライン)
参 加 費:無料
読みもの:今月のつぶやき(上記)
読書会について
http://reborn.jp/book-2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後期
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
安倍首相の辞意表明の会見を観ました。
各社の質問者、さまざまでしたね。
内容もさることながら、質問の仕方にセンス
の有無が問われと感じました。相手が応え
られるように質問できないものか・・・と。
国民が見守る中、覚え切れない数の質問を
しても、された方は覚え切れず、結局ききた
いことが聞けないのに・・・。
質問者も緊張していたのだろうけど、やはり
相手を想う気遣いは忘れずにいたいと自分を
振り返るひと時にもなりました。
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
お知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■オンライン読書会
日 時:2020.8.22(土)午後8:00
場 所:ZOOM(オンライン)
参 加 費:無料
読みもの:花嫁(5分程度の動画)
木陰の物語シリーズ (著:団 士郎氏)
読書会について
http://reborn.jp/book-2
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後期
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今日はまるで梅雨が明けたような暑さで真夏
の到来はスグそこと言った感じです。
身にこたえる暑さをなんとか工夫して乗り切
らねば、と身構えています(笑)
最近・・・ということはないのでしょうが、
睡眠の大切さ叫ばれていますね。夜型で睡眠
時間が短い人も多いと思いますが、脳の疲れ
を取るつもりでしっかり眠りましょう。シン
プルですがとっても大切だと私は早寝早起き
を実践しています。
私がクライエントさんからお聴きする中に
「友だちがいない」
という悩みが含まれていることは多いです。
また、それをおっしゃったあとに
「こんな私と話していてもつまらないと思いますし」
・・・と続くこともあります。
「友だちがいない」というのは
具体的にいうと
「気持ちを話せるほどの相手が居ない」とのことです。
普通に、
何てことない話や楽しい話ができる人は
居るけれど、辛いことや困ったこと、
生き方についての話題などを分かち合う友人
が見当たらないとおっしゃるのです。
確かに
単に世間話をするだけの相手ではなく
ちょっと込み入った話や心が触れ合う会話が
できる相手、いわゆる「シンユウ」の存在が
見つからないのは寂しいかも知れません。
逆に
何てことない話をキッカケに気持ちがほどけ
心のつまづきを話せる人がいると、しんどい
ことがあっても、立ち直りが違います。
ただ、
そう思いながらも、日々の雑務に追われ
友人関係を振り返る時間が持てない人も多く
いらっしゃるでしょう。
そこで今月は
「シンユウ」についてつぶやきます。
・
・
・
・親友
・心友
・真友
あなたは今、
どなたのお顔が浮かびますか?
「シンユウ度チェックスケール」などは存在
しないと思うのですが、ちょっと使えるかな
と思える問いが浮かびました。
・
そこで質問です!
・
あなたは今、
「300万円を借して欲しい」と頼まれて
理由を訊かず二つ返事で貸してあげられる
相手は誰ですか?(家族は除きます)
この金額については
学生さんなら3万円や5万円かもしれないし、
子育て中の方は30万円かもしれない。
経営者なら1000万、3000万かもしれない。
金額の価値基準はそれぞれかと思います。
とにかく、
簡単には出せない額と想定してください。
ポイントは
「理由(使途)を訊かずに二つ返事で」という
ところです。
この質問は、
私が寝入りばなにフッと思いついた問いです。
友人(先輩女性)にこの質問をすると
二人の顔が浮かぶ・・・との返答でした。
そして、貸す理由として
「その二人なら絶対返済してくれる」という
そんな信頼めいたものではないことはすぐに
気づいたそうです。
なぜなら
「間違いなく返済可」と信用できる人は
他にも居るからだといいます。
もう少し訊ねてみると、
彼女にとって、その二人は
返済への信用度という世間一般尺度を
突き抜けた存在だ、と思いが至ったそうです。
というのも、その二人は
彼女がどんな状態に陥ったとしても見捨てず
それまでと同じように接してくれる存在だと
思えたからだ、と。(例えば、服役するとか)
ただ、実際のところ
その二人に訊ねたことはなく、自分の勝手な
考えだ・・・と笑って居ました。
とはいえ
自分勝手にでもそんなふうに思える存在が
居ることを羨ましく思いました。
一方、
世間一般に言われる浅い関わりというと
例えば、職場の人、
同僚とは毎日会うけれど、心触れ合うような
関係を築くのは難しいのが普通です。
というのも
職場は仕事が主な活動なわけですから、仕事
以外のすきま時間に交わされる内容は差し障
りのない話題がほとんどだと思います。
そして
それは業務を円滑に運ぶため、心の距離を
適度に保つのに必要なコミュニケーション
スタイルだとも思います。
ただ、
そのような場所での雑談では親しく話す相手
はできても、心情を分かち合う所までは難し
く、意味はあるけれど表面的なものが通常だ
と思います。
それでは
単に時間を共にするだけの相手ではなく、
心通わせる関わりを築くにはどんなことに
心がければよいのでしょう?
・
・
・
まずは、
自分の気持ちを言葉にできることが必要です。
これは、饒舌に話せるという意味ではなく、
あなたが
「今、どんな考えを持っているか」
「何を希望しているか?」・・・などを
あなた自身が自分の気持ちを認識し
それが相手に伝わるような関わり方をすると
いうことです。
日常的な場面でいうと
あなたの心を映すような話題に触れた時、
例えば、
映画や本の感想を聞かれたり、講演会に
参加した後に意見を求められた時に素直な
気持ちを伝えるというようなことです。
もし
言葉にならず返答に困っても
すぐに答えられない状態であることを伝える
など、こちらの気持ちがわかるような態度を
示すことができれば大丈夫です。
逆に
相手からの問いかけや話題をスルーしたり、
軽く扱う態度は確実に関係を遠ざけます。
人間関係は
ふだん考えていることが言葉や態度となり
それが相手に伝わり、関係の質につながります。
日本社会では
相手の気持ちを察するための心の遣い方が
重視されますが、それが過剰になると自分で
も自分の考え、欲求がみえづらくなります。
そして、的を得ない繕った返答となり
結局、表面的な関係に終始することになりかねません。
・
・
・
カウンセリングでは、クライエントさんから
「私には伝えられるような意見が出てこない」
という嘆きにも似た発言をきくことがあります。
そんなとき私は、
「うまく伝えようと焦らず、今の気持ちを実況
中継するとチョッと楽になりますよ」とお伝えします。
例えば、
相手の投げかけに対し、興味はあるけれど
上手く言葉にできない場合、そのままを伝えます。
「その話題に興味があるんだけど
うまく伝えられる言葉が見つからない」
と返してみる。
でもここで、
「興味も湧いてこない」と言うクライエントさんがいます。
そんなとき私は、
「興味が湧いてこなくても
関心を寄せることはできませんか?」
と提案します。
というのも、
相手の発言に対し、関心を寄せてみると
心の流れに変化が起きることが多いからです。
「へぇ、そうなんだ、
私はこれまで興味なかったんだけど、
チョッときかせて・・・」
と軽い感じの応えでイイのです。
興味を持たれて気分を害する人はないだろうし
興味を持ったこちらも見聞が広がるキッカケ
にもなり両者にデメリットはありません。
・
・
・
シンユウと呼べる人はいないけれど、十分に
充実した幸せな人生が送れているという方は
本や自然を愛でること等で上手く人生を歩ん
でおられるのだと思います。
反対に、
誰かと分かち合いの時間を持って人生を楽しみ
たいと願いながら、まだ相手が見つかっていな
いという方は、今後の関わりを工夫することで
希望につなげてもらえると嬉しいです。
私は
・何を話すことが多いかな?
・何に時間を遣っているかな?
・何にお金を使っているかな?
など自分に興味を持つ。
そして
繋がりたい相手の興味に対して関心を寄せてみる。
そんな態度を心がけていると
これまでの関わりでは至らなかった話に花が
咲くかもしれません。
満足できる関係を一気に作り上げることは
難しいですが、自己発見、自己開発も兼ねて
上記のことをチョッと意識してみて下さい。
・
最後に、
私自身、誰かに対し「シンユウ」という表現
を使うことはこれまでなかったです。
「あなたは私のシンユウよね」とか
「シンユウで居てね」など、
敢えて口にすることを好みません。
今回は、友だちについて改めて考えたので
このような表現になりましたが、
「心友」「真友」は、振り返ってみると
まぁ、そういう存在なのかな・・・という
感じだと思っているからです。
人生の折り返し地点をずいぶん過ぎた年齢で
はありますが、シンユウ的存在との巡り合わ
せにはまだまだ期待して生きていきたいです。
※関連ページ
っています。疲れがとれないと感じるよう
になったのは40代半ばくらいからかなぁ?
身体的な活動量は少ないのに、すごく疲れ
逆に、すごく活動したのにそんなに疲れな
いということがあります。
これをみると、身体の疲れというよりも
脳の疲れだと感じるようになりました。
いろんなことを一気に片付けようとして
結局、一つ一つが満足に仕上がらない
なんてことがしばしば。。。
人は一瞬一瞬の間に一つのことしかできず
複数のことを同時にしようとすると、切替
えの時に多大なエネルギーが使われ、それ
が脳に負担をかけているらしいのです。
スイッチングコストをかけるよりも
やっぱり、目の前のことに意識を集中させ
丁寧に完遂させるのが心にも体にも良いと
いうこと、ホント最近実感してます(汗)。
Stay Homeが緩やかに解除される中
あなたは今どんな思いでいらっしゃいますか?
状況によって人それぞれ
いろんな不安を抱えられたと思いますが、
中でも
【 いつもそこに在る 】
【 いつもそれができる 】
という状態が奪われた不安は多くの人に
とって相当な負担になりました。
私自身、生活は大して変わらないのに
気持ちがザワザワしたのは
いつも在る状態が一変したことで
安心感が奪われたのだろうと平常の大切さを
つくづく感じる期間でした。
私たちは、ふだん自覚していない安心感を
「何かから」
「誰かから」
感じられていることで穏やかさや
生きる力を保てているのだと思います。
このことから今月は
生きる力の素でもある「安心感」について
再確認の意味も込めてつぶやきます。
今月、ちょっと長くなります(>_<)
既に不安なく人生を歩んでいるよという方は
スルーして下さい<(_ _)>
・
・
・
それでは、まず最初に質問です。
「あなたは今
・何に対して
・誰に対して
安心感を持っていますか?」
・家族の笑顔?
・友人との語らい?
・ペットとのひと時?
いきなり聞かれても答えられないくらい
当たり前のものとなっているかもしれません。
特に
身近な人との間に流れるホッとする感覚や
温かい見守りは安心感の素でありながら
気づきにくいものです。
私たちは大人になると
自分の力だけで日々を築いている感覚に陥
りがちですが、実はこの安心感がいつも
私たちを支えてくれています。
ほどよい安心感が、その人の安定感となり
それが好奇心、冒険心、挑戦に繋がります。
・
・
・
「安心感」を具体的に言うと
安らぎを感じる居場所のようなものでしょうか。
そこには
優秀だから高評価する・・・とか
得になりそうだから一緒に居る・・・とか
そんな損得勘定はなく、
その人の存在自体を大切に思う
変わらぬ温かさがあります。
この感覚について心理学用語では
「心の安全基地」と呼びます。
・
・
・
またまたここで質問です。
あなたが何かにトライしようとした時
「失敗したらどうしよう」
「どうせダメだ」
・・・という思いが湧き、実行するのを
諦めてしまったことはありませんか?
そしてそんな時
能力的に同程度の人や経験の浅い人が
スイスイとそれをこなしていく姿をみて
悔しい思いをしたことはないでしょうか?
「そんなこともあったなぁ」程度なのか?
「いつもそんなふうだなぁ」という感じなのか?
後者であれば、
生きづらさを感じてきたかもしれません。
こうなる理由は一つに絞れませんが
意志を行動化するのが難しい理由として
「心の安全基地」の希薄さがあります。
未来に対し「大丈夫!」と思える力や
根拠が明確でなくても何となく大丈夫と
思える自信は、その人の安全基地の状態に
関係しています。
心の安全基地は
生まれた時から在るものではなく
身近な大人(主に母)との愛着関係によって
育まれると言われています。
・
・
・
例えば
・親の気分次第で対応をコロコロ変えられたり
・出来、不出来の条件付き(親の価値観)で
可愛がられていたら
安全基地は築かれにくいということです。
愛着関係というのは
母親が示す子どもへの態度、反応によって
築かれる信頼関係です。
そして
そこで築かれた信頼が安全基地となり
自分の自信、社会への信頼へと繋がるわけです。
もしあなたが
・なぜだか対人関係がうまくいかない
・何事にも保守的になってしまう
・好奇心を持ちづらい
という状態を感じているとしたら
不安定な安全基地のもとで「生きる力」が
うまく発揮されていないのかもしれません。
・
・
・
子どもの頃、私たちは、
母親が世界の全てのように感じていますから
影響が大きいのは当然です。
しかし、
大人になると世界は広がります。
簡単ではないけれど
意識することで自ら安全基地を築くことができます。
・
・
・
例えば
「ダメだったらどうしよう」
・・・と失敗をイメージする人は
「失敗した自分を他人がどう評価するのか?」
という心配が湧いていることが多いでしょう。
このような
他人へ抱くネガティブな感覚を変えていく
ことは、安全基地をつくる第一歩です。
これにはまず、
(1) 相手との比較評価を改める
相手と自分を比較評価していると
相手も同じように自分を評価していると感じ
その結果、
評価に耐え得る自分なのかが心配になり
行動に移しづらくなるからです。
このような心の動きによって
行動をストップしてしまう流れが考えられます。
(このカラクリについて参考ページ
≫≫ 自分を知る方法(投影) )
その次は
(2) あなた自身があなたの親になる
ためらう自分の背中をそっと押すように
信じて見守る親の気分で自身に温かい目を
向けるということです。
これまで何度も経験したシチュエーション
「失敗したらどうしよう」という心の声が
聞こえる場面で、それをスルーせず
まず
「私が相手を比較評価しているから
相手からも評価されているように
感じているにすぎない」ことを思い出し
そして
「誰もが自分を厳しく評価しているわけでは
ない」と自身にツッコミを入れてみましょう。
このように
自分で自分の親になれたら、
「上手く行く・行かない」はひとまず横に
置きトライする自分の姿勢にエールを送ります。
・
・
・
え〜〜!
自分で自分にそんなことできるの?
・・・という声が聞こえてきそうですが
大人になれば
自分のお世話は自分でできます。
やってみましょう。
これまで、
不安な自分を放ったらかしにしてきたなぁ
・・・という方は是非、試してみてください。
追記)
あなたが誰かの安全基地になるような
関わりを持つと、この行程がグン!と
スピードアップすると思います。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
りぼーんの綴りもの
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━━━━━━━━━━━━━━━━━━
お知らせ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━
オンライン読書会(仮)
先月お知らせしていたオンラインの集いは
5/16(土)午後8時から1時間ほど開きました。
3人のご参加でした。
オンラインでの集まりは初めてという方が
お二人。事前の質問で「1対1の会話なら想像
つくけど複数人だと指名されるの?」などの
ご心配のメールもありました。
私自身、主催するのは初めてだったので、
場の雰囲気でぼちぼち進めようと、大して
プランも立てず臨んだので指名という感じで
はなかったです。
慣れないシステムの中なので、初めは違和感
がありながらも、まあまあゆるやかな雰囲気
の中、ご参加頂けたのではないかな?と思います。
6月は下記の日程で行います。興味のある方は
下記フォームからご連絡ください。
開催日時:2020.6.20(土)午後8:00
読みもの:今月のりぼーんのつぶやき
参 加 料:無料
オンラインアプリ:ZOOM
(無料で簡単に使えるアプリです)
ご連絡は ≫≫ コチラから
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編集後記
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生まれて5回目の夏を迎えるワンコを初めて
サマーカットに連れて行きました。
うちの子は全盲のためとっても怖がりです。
毎月、同じトリマーさんに爪切りをお願いし
今年やっとのことでサマーカットができました。
私以外の誰かとも仲良くなってくれるのは
ただただ嬉しいです。
]]>
つい最近
お味噌が冷凍保存できることを知りました
私の実家では
お味噌はいつも冷蔵だったので
冷凍室で保存できることは
私としてはかなりの驚きでした。
・
・
・
「なになに?
それがどうしたの?
そんなこと大したことではないじゃない」
そう、確かにその通りなのです。
ただ、
この一件でハッとしたことがありまして・・・。
今月はそれをつぶやきます。
・
・
・
私がハッとしたのは
お味噌が冷凍できるということより
無意識のうちに何十年も
お味噌の保存は冷蔵なのだ・・・と
勝手に信じて冷凍した経験がなかったことです。
この『勝手に信じていた』ことへの驚きです。
・・・というのも
「実家では〜〜だったから」
「これまでこうして来たから」と、
思考や習慣についても同様に
「勝手に信じている」ことがあるのでは?
と不安になったのです。
「勝手に信じている」ことは
そうしていること自体、
その本人が気づきづらいから厄介です。
今回は
お正月に使った白味噌が余り
「冷凍できたらいいのになぁ」と
「味噌 冷凍」とネット検索し
たまたま知ることができたけれど、
思考や習慣はそう簡単にはいきません。
また、
場面は違いますが
こんなこともありました。
役所で書類に記入していた時のことです。
「マイナンバー」記入欄に書き込んでいると
同じ用紙に記入中の隣の人が
「マイナンバーを書く必要ありますか?」と質問しました。
職員さんは
「いいえ、別に要りません」と答えたのです。
「え〜っ!!」と
心の中でかなり大きな声をあげました。
「記入不要」への驚きではなく
「何の疑問も持たず」に記入していた自分に
ハッとしたと同時に、呆れてしまった感じです。
・
・
・
お味噌冷蔵保存の一件と
マイナンバー記入の件
この2つは全く別件ですが共通点があります。
それは、
知らず知らずの内に
「たぶんこうだろう」
「〜〜するのがあたりまえ」という
私が勝手に作った前提の上で行動していたことです。
この前提は無意識の内に思考を縛り
そこから続くレールに乗って行動する私。
「ボーっと生きてんじゃねーよ!」
と自分で自分に喝を入れたい気分になりました。
あなたは
知らない内に勝手に信じていること、
思い当たりませんか?
まあ、
そういう訊かれて
すぐに出てこないのが厄介なところなのですが
やはりこういうことは少ない方がいいですよね。
そこで、あなたにも
そんなことがあるかもしれないと仮定して
話を進めさせてください。
・
・
・
まずは
その状態に気づくためには
気づくための姿勢を意識する必要があります。
その意識を立てるために
こんな心がけはどうでしょうか?
1)「みんなが言っているから」
「周囲が黙ってるから私も」
「これまでこうして来たから今後も同じで」
というようなフレーズが心に浮かんだ時
2)自分でもよくわからず、
根拠はハッキリしないけれど
目の前の流れが
どうもしっくりこない時
こんな感じの時は
一旦、立ち止まり(流れを止め)
“予定調和” や “同調圧力” “前例” “前提”
“自分の中の常識” を振り払うためにも
「ホントにそれでいいの?」
・・・と改めて自分に問うてみる。
急いでいる時や
誰かに急かされている時は特に
心の中でしっかりと
「いいの?本当にそれで」とつぶやいてみる。
そうして、
その時に聞こえてくる
自分の素直な声に耳を澄ます。
「え?」・・・と
都合が悪くなるような応えや
自信の持てない不確かな答えが返って来る
かもしれないけれど
一旦、受け入れてみる。
そして
勇気を持ってその答えを採用してみる。
湧き上がる感覚が教えてくれる答えは貴重です。
・
・
・
お味噌の冷凍保存から話は拡がりましたが
自分の中の当たり前を信じ過ぎていると
発想は固定化し、思考は収束の方向を辿りやすくなります。
逆に
当たり前を疑う姿勢でコトに当たると
発想の自由度は増し、思考は発展的に
拡がっていきます。
あなたは
「固定化・収束型」or「自由・発展型」
どちらへ歩みを進めますか?
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りぼーんの綴りもの
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▼Twitter
https://twitter.com/room_reborn
▼こころの辞書
http://reborn.jp/dic
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編集後記
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映画「プリズン・サークル」を観て来ました。
受刑者同士の対話をベースに
犯罪の原因を探り、更生を促すプログラムを
日本で唯一導入する島根県の刑務所で撮られ
たドキュメントです。
私たちは毎日のように犯罪報道に触れます。
その中でも酷い犯罪に対しては心動かされます。
そんな時、私たちは
加害者の背景に目を向けることなく
「どんな酷い子ども時代だったからといって
みんなが犯罪を犯すわけではないのだから
加害者は罰せられて当然だ」
・・・と一方的に攻める姿勢になりがちです。
そして、刑に服すよう一般社会から隔離する
ことを当然と考えます。
でもこの映画を観て、
罪を犯した人が単に罰を与えられるだけで
更生の道を歩むのは難しいという思いが一層強くなりました。
犯罪被害者ご本人、ご家族の思いを考えると
簡単に答えが出る話ではありません。
ただ、それでも
身体の痛みと感情を切り離さなければ
生きていけないほどの体験を味わった人に
刑罰を負わせるだけで繋がる未来はどんなものか?
という疑問が湧いてきたのです。
刑罰を科すことは、単にその場しのぎの対処でしかなく
長年負った深い心の傷は置いてけぼりです。
これでは
平和で豊かな国とは程遠い行く末しか見えて来ない。
そんな課題を投げかける作品でした。
ご都合がつく方は是非ご覧になってください。
≫≫≫ プリズン・サークル公式サイト
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りぼーんのつぶやき
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■ポータブルスキルは人生の杖
先日ラジオを聴いていて
「ポータブルスキル」というワードが耳に留まりました。
これは職種や職場が変わっても活かせる
「持ち運び可能でどこでも通用する能力」
という意味だそうです。
人生100年時代、
一つの職場で勤め上げる人は少なくなりました。
「ライフスタイルを考えながら歩む人生」
この時代に生きる私たちにとって
特に大切な視点を表しているなぁ
・・・と思いながら聴いていました。
この「ポータブルスキル」というのは
資格のように示しやすいものだけでなく
簡単には測れず、自分でも気づきにくいものです。
例えば
1)人との関わりで必要な力
→コミュニケーション力
2)自分自身との関わりで重要な力
→健康維持力(例:安眠、運動、食事摂取)
→自己啓発力(例:知的刺激、質問、挑戦)
→自己肯定力
これらは
周囲の影響を受け、育まれるものでもあり
どの力が高いから人間的に優れているとか
そういうものではありません。
ただ、その中でも
3つ目に挙げた「自己肯定力」については
おおよその人が重要なスキルだと感じるのではないでしょうか。
自己肯定するというのは
「自分のことを尊重し
ありのままの自分でいい」
と自分を受容できることをいいますが
これが難しいのですよね。
自分の苦手なことや欠点はすぐに思いつく
のに強みを挙げようとするとなかなか出てこない。
それでも
普通に生活できている時はまだいいのです。
それがひと度
失敗したり人間関係に行き詰まると
この自己肯定感の度合いによっては
ド〜ンと気分が落ちてしまいます。
「うまく人の輪に入っていけない」
「テキパキ仕事がこなせない」
「いつも要領が悪い、自身が持てない」など、
短所だと感じる部分に焦点を当て、心が折れてしまう。
そんな経験はありませんか?
私たちは体調が思わしくないと安静にし
悪化すると病院で治療してもらいます。
回復に時間がかかるようなら
家族に支えてもらったり、ヘルパーさんに
来てもらうなど外に助けを求めることもあるでしょう。
しかし、
気持ちの問題はそう簡単にいきません。
誰かに分かってもらおうと、伝えることで
共感や優しさを感じられたとしても
相手が代わって解決できるものでもなく
結局は自分で引き受けるしかないからです。
自分の心のお世話は自分でする。
自分のヘルパーは自分なのです。
誰か(何か)にどうにかしてもらおうとする
欲求が行き過ぎると依存に繋がりかねません。
そこで
あなたがあなたの強力なヘルパーになるために
ポータブルスキルを意識することはとても有効です。
先にも書きましたが、
測ることの難しい能力は
当たり前過ぎて気づかなかったり、
分かりながらも過小評価して、
能力とみなしていないこともあります。
そんな訳で
ポータブルスキルを意識するためには
まず、自分にはどんなスキルがあるのかを
洗い出すことが必要になってきます。
これをするには
日常の中で普通にこなしていることにも
目を向け、「大したスキルじゃない」と
一旦スルーしたようなささやかな事柄でも
ピックアップすることが大切です。
また
周囲の人が評価してくれているのに
あなた自身は否定しているような事柄、
そういう内容にも目を向けましょう。
これまで見過ごして来た自分の力を
「私はこういうことが出来てるなぁ」とか
「私にはこんな力もあるのだ」と
意識することが自己肯定できる心の力に繋がります。
その心の力は
窮地の時、あなたがあなた自身を支えるため
大切な心の杖になってくれます。
・
・
・
さぁ、明日から師走です。
少し時間のかかる作業になりますが
この1ヶ月間でスキルの洗い出しをして
2019年を締めくくり
自己肯定感アップの準備をして
2020年のスタートを切ってみませんか?
スキルの洗い出しの時、
参考にしてもらえるようなフォームを作りかけています。
(大晦日に間に合うように完成させようと思っています)
フォームを利用してもらうことで
ポータブルスキル洗い出しへの
モチベーションを少しでもアップして頂ければ
という思いで居ます。
興味がある方は下記から覗いてみてください。
ホントまだまだ作り始めたところで全然できていません(汗)
ポータブルスキル洗い出しお手伝いフォーム(案)
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編集後記
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念願だった暗闇体験、やっと行って来ました。
6年越しです。
時間が経過しても目が慣れることのない
一切の光を遮断した純度100%の暗闇の中
盲人女性のナビで視覚の無い世界を体験!
私が体験したのは一人参加限定の企画で
集まった人(5人)が疑似家族になり、
助け合いながら暗闇の中、60分間を共にするものです。
スタートしてすぐの頃は皆
「ホントだぁ。何も見えない、え〜っ」
と初めからわかっていたことなのにこんな調子。
それが徐々に
「ここに20?くらいの段があるよ!」
「あ、何か顔に当たった、気をつけて!」
「テーブルがあるわ、
この辺でお茶するのかな?」
と先行く人が状態を声に出し、手を添えて
くれるなどメンバー同士の自然な助け合いが続きました。
白杖の突き方や人に触れる時のマナーを
教わって入ったものの、そんな注意など
吹っ飛んでいました。私は隣の人の手を握り
辺りを確認しながら、初対面とは思えない
チームワークの中エキサイティングな
ひと時を過ごしました。
最後に、ナビしてくれた女性が
大切なメッセージを伝えてくれました。
「見える世界でも
こんなふうにできませんか?」と。
すぐには言葉にできない思いが湧き上がりました。
体験終了後、メンバーと夕食をご一緒して別れました。
興味ある方は是非♪
ダイアログ・イン・ザ・ダーク
3年前、娘が私に無断で
眼球の無い生後2ヶ月の保護犬を引き取って来ました。
眼球がないので、もちろん目は見えません。
小さいから可愛いくはあったのですが
目が見えない、言葉の通じないワンコを
どう扱えばいいのか?気分は複雑でした。
あれから4年が経とうとする今、
家での行動は特に不自由なく
外出時は私の足首に鈴をつけ
ワンコはその音を頼りに歩きます。
気づきの発端は
そんなワンコを散歩させる道中でのことです。
信号で止まっている時など
近くの人がワンコの顔を二度見することがあります。
目の無いことに気づき
サッと違う方を向く人も多いのですが、
不思議そうにワンコの顔を覗き込んでる人も居ます。
そんなとき私は
「この子、目が見えないんです」と伝えます。
この時の反応が大きく3つに分かれます。
1) 多くの大人は
「そおぉ〜」とか
「かわいそうに」と言いながら表情を曇らせます。
2) 子どもの場合、
近くに居る友だちに
「目ぇ見えへんねんて。
でも、カワイイなぁ」とか言います。
そして、
3) もう一つの反応
「お母さん(私のこと)と一緒に居られて幸せやねぇ」
とワンコの方を向いて声をかけます。
どのリアクションが良い悪いではなく
この三者三様の反応を観て
もの事は捉え方によって
本当に気分が変わるものだと感じるのです。
1) の「かわいそうに」と同情混じりの反応
3) の「幸せやねぇ」と犬に語りかける反応
元々の条件(変えられない状態)ではなく
今の環境をプラスに捉えた(3)の発言に
私はとても嬉しくなります。
ワンコを引き取った当時、私自身
1) の「かわいそう」と
3) の「幸せ」の
感情が行ったり来たりしていたことを覚えています。
「かわいそう」と思うと
気分は一気にブルーになり
犬を飼うこと自体が負担に思えてきました。
一方
目が見えないなら見えないなりに
ワンコとの暮らしを楽しもうと
お互いが快適に過ごす方へ目を向けると
ワンコへ接する時の工夫などアイデアが湧いてきました。
「そんな考え方は
受け止める人の性格によるものじゃないの?」
・・・と思われますか?
いいや、
それがそうでもないのです。
このような考え方は
気質や性格など、
そんな変えにくいことではなく
単に考え方、思考の向け方のクセなのです。
困ったことや辛いことが起こった時
一度コレを試してみてください。
まず
1) 目の前のマイナスに感じる出来事を
自分の力で
「変えられること」と
「変えられないこと」に分ける。
分別するのです。
そして
2)「変えられないこと」についてはそれ以上考えない。
最後に
3)「変えられること」については
自分の希望や理想を思い浮かべ
それに近づくため少しでも
工夫できることやアイデアなどを考える。
・
・
・
シンプルでしょ。
人の悩みが深くなるのは
「変えられること」と「変えられないこと」を
分別する (1) の作業を忘れてしまうからです。
これをクセづければ自ずと悩む時間は減ります。
私たちの周りには
このクセをつけるための機会はたくさんあります。
例えば、
・友人が悩みを打ち明けてきた時
話を聴いてあげて、こう質問する。
「今の話の中であなたの力で変えられないことは何?
じゃあ、変えられることは?」
→「変えられること一緒に考えない?」
・職場の会議で
一つの問題に対する意見がグルグル回っている時
→現状で「変えれること・変えられないこと」を分ける
→その場に居る人たちで変えられることは?
→変えられる中で一番簡単に手をつけられそうなことをピックアップする
など、
困ったこと、停滞していることを見つけたら
まずはその問題を
「変えられること」と「変えられないこと」に
分けてみる。
変えられないことに頭を悩ませる時間を
使っていることがアホらしくなったら、
問題はすでに大きくクリアしています。
今、
「時間がない!」とバタバタしている人
早速コレやってみてください。
┏━━━━━━━━━━━━━━━◆
┃りぼーんの綴りもの
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━
主な発信は文字数制限のあるTwitterを使っています。
ブログはその補足として書ききれなかったことや
投稿した後に思ったことなどを綴っています。
▼Twitter
https://twitter.com/room_reborn
▼ブログ
http://reborn.jp/blog
▼こころの辞書
http://reborn.jp/dic
┏━━━━━━━━━━━━━━━◆
┃編集後記
┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━
今年の台風も大変な被害がありました。
これを読んで下さっている中にも
被害を受けた方がいらっしゃるかもしれません。
被害が深刻でありませんようにお祈りし
心からお見舞い申し上げます。
先日、友人と海岸を散歩しながら話題に上ったのが
「命には限りがある」ということ。
当たり前だけど、日々の暮らしにその意識が薄れています。
天災もそうだし、病気も、予測なくやってきます。
準備したり、気をつけていても
それを上回る影響を受けるのが人生なんだと
感じるようになりました。
そこで友人が言っていたのが
「先延ばしにしないように」ということ。
明日も来週も来月も来年も
当前生きていると思っている自分が居ること。
改めて自戒しています。
美味しいものを食べたいとか
贅沢をしたいとか、そんな希望は浮かんでこない。
心動く場所へ・・・と、
来月の予定を調整中です。
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りぼーんのつぶやき
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■不満が続いてしまう時
「なぜ、あの人は◯ ◯ してくれないの?」
相手に対して
「なぜ、どうして」…と繰り返す自分に
ハッとすることがあります。
「あぁ、
また “ くれない族 ” になっている」
・・・と。
くれない族 …?
この表現を
どのくらいの人が覚えているでしょう(笑)
日本語俗語辞典を見てみると
あった!あった!… “ くれない族 ”
80年代のドラマから流行語大賞になった
「◯ ◯ してくれない」という言葉をよく言う人
のことを表現する俗語です。
「◯ ◯ してくれない」だけに限らず
「なんでそんなこと言うの」
「なんであんなことするの」
…という思いも同じ。
このセリフの裏には
「どうしてもっと ◯ ◯ してくれないの」
というような自分への気遣いを求める
思いが隠れています。
結局、相手がこちらの思いを
満たしてくれないことへの不満であり
「◯ ◯ してほしい」という願いの表れですね。
今月は
この願望が不満となって充満した気分から
どうすれば抜けられるのかについて呟きます。
まず、
心の中で不満が溜まっているのは
→相手がその不満に気づいていない
→相手に気持ちを伝えても思い通りにしてくれない
…こんな状態が続いているからのようです。
そして、そう思えば思うほど
「私はこれだけやっているのに…」と
自分の正しさを証明するような言葉が続く。
こうなると相手を責めて
自分を正当化する悪循環にハマってしまいます。
状況を伝えて分かり合えればいいけれど
言った後の相手の反応を想像すると言えない。
また過去に、
伝えて嫌な思いをしたことがあれば、それが
思い出されてとてもじゃないけど伝える気に
なれない。
人間関係の中のあるあるです。
・これだけ言っているのに…とか
・私の態度を見てわからないの?…とか
・この状況見たら普通は察しがつくよね
…など、
こちらの勝手な思い込みが心を占領すると
火に油を注ぐようにムカムカ気分は続きます。
本当は思いやりのある人で居たいし
その方が気分もイイはずなのに
相手が折れてくれるのを待つ自分が居る。
うすうす気づいていながら
ままならないのが我が心....トホホ。
……では、
そういう気分から抜け出し
ふっと肩の荷が軽くなるような思考に
たどり着くにはどうすれば良いのでしょう。
・
・
・
まず
私たちは人とうまく行かない時
「私は間違っていない、それなのにあの人は…」
という思考から考え巡らせていることが多いです。
しかし
相手との関係もさることながら
それと同じくらい、いやそれ以上に
心の中で自ら起こしている自己正当化が
ムカムカ気分を一層強くしていることには
私たち自身、気づきにくいようです。
自分の正しさは自分が生きるために
長年かかって築き上げたものですし
自分の中の常識ですから
その中にどっぷり浸かった状態で
ムカムカから抜け出すのが難しいのは当然です。
そこで
だれかとうまくいっていないと感じる時
下記の流れを辿ってみることで
これまでの展開にチョッとした変化を起こしてください。
→まず事態はどうであれ、素直に
「私、誰かを責めていないかしら?」
「私、自分を正当化していないかしら?」
…と気持ちを振り返る感じで自問してみる。
そして、
誰かを責めているとしたら
→心の中で
「そんな自分も居るのだなぁ」…と
そっとつぶやいてみましょう。
ダメな私…などの反省は要りません。
ただつぶやくだけ。。。。
とにかく、そうつぶやくことができたら
次は
→対象になっている相手側の目になって
相手の前に居る自分を観察し
相手の思いを想像してみる。
このように想像を巡らすことは
どっぷり浸かっていたムカムカ気分から
離れやすくなります。
もちろん
これで問題が解決するわけではありません。
状況は何一つ変わらないだろうし、
実のところ、その方が多いでしょう。
さらに
事態がこちらの思っているとおり
相手に非があれば
責める気持ちが起きても仕方ないと感じるでしょう。
でも、
ここまでの流れを辿ることができれば
相手を責め続けても問題解決にはならない
…と自然に思えてくるはずです。
それは、
相手へ向いていた責める気持ちを
自分への問いかけに変えることで
状況は何も変わらないのに
心の中に吹く風が微妙に変わって来るからです。
そうして
相手の気持ちや言動は相手のものであり
どうすることもできないけれど
自分の気持ちは何とかなるものだ…
という心境に至りやすくなります。
日々、
気に沿わないことはこちらの調子に
関係なく起こります。
でもそれは、
私たちの気分を決定づけるものではなく
単にキッカケに過ぎないと思えると
問題自体はなくならないものの
ムカムカのサイズダウンが期待できます。
こんな流れをつくることができれば、
次に同じような事態が起きた時
早い段階から不満が大きくならずに
すむように思います。
人とのトラブルを感じた時
チョコッと試してみてください。
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■りぼーんの綴りもの
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https://twitter.com/room_reborn
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編集後記
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今月は6年ぶりに再始動するアリスのコンサートへ
行ってきました。
ツアータイトルが
「ALICE AGAIN 限りなき挑戦 OPEN GATE」
70代なんて年齢を感じさせないほどの
エキサイティングなステージ。
昔は70代といえば、老いたイメージでしたが
今は違いますね。ステージに立つ人に限らず
生き方によって70代以降の暮らしにグンと
違いが出る様子を身近でも見かけるようになりました。
好きなことを長く続け、それを通して人と
繋がってはる様子を感じます。
人生100年時代って言いますけど、
私自身
ただ長生きすることに喜びを感じないだろうし
生きていて良かった…と思えるような豊かな 繋がりを求めています。
それには、体力と合わせて
やはり人と関わる心の筋力も 必要だ…と感じています。
そんな意味でも、
最近とみに、素敵な70代に注目しています。
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りぼーんのつぶやき
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■役目と役割
あなたは、ふだん
頼まれごとに対して
「役割をこなすタイプ?」
「役目を果たすタイプ?」
・
・
・
え⁉︎ ....なになになに?
「役割」と「役目」って同じじゃないの?
いやちょっと違う感じかなぁ?
でも、具体的に何が違うの?
・・・なんて
何となく分かっているけれど
正確に説明するには難しい。
そんな感じでしょうか。
でも、その違いを知っているからって
何がどうなるの?
そう、
そこが肝心です。
そこがクリアになれば
物事への関わり方が変わってきます。
....というより
言動が進化すると言った感じかな。
---------
まずは例え話でイメージしてください。
あなたが大阪駅で
旅行者と思しき人から道をたずねられたとします。
例1)
旅行者:とりあえず◯◯駅まで行きたいのですが....
返答A:◯◯駅なら△△線に乗れば行けますよ
旅行者:ありがとうございます
例2)
旅行者:とりあえず◯◯駅まで行きたいのですが....
返答 B:とりあえず?
どちらまで行かれるのですか?
旅行者:ウキウキ公園です
返答 B:そこなら◯◯駅より◇◇駅を
目指す方が早く着きますよ。
M線の◇◇駅から徒歩3分ほどで着きますから
旅行者:えっ?そうなんですか!
助かりました、ありがとうございます!
↑↑↑↑↑
この違い、伝わりましたか?
求められたことに応えたという点で
返答Aはしっかり役割を終えています。
しかし、
どちらが相手の役に立てているか
・・・となると返答Bであることは明確ですね。
割り当てられた役をこなすA
相手の目的まで考えて役を果たすB
あなたは
Aタイプ? or Bタイプ?
比較してみると
似てるようでかなりの違いを感じます。
「役目」と「役割」
少し心を遣うことで相手の目的に近づくなら
お役に立てるようBの姿勢を心がけたいものです。
このことは職場でも同様、
上司の指示に対し、役割に留まらず
役目(指示の先・目的)をイメージしながら
役割を務める。
そうすると
指示されたこと以上に自分のできることが
見つかるかもしれません。
このように
自ら考える行程を挟むことで
「与えられた仕事」ではなく
「自分ごと」としての思考が芽生えやすくなります。
従うだけだと思考を働かすことは少なく済み
一見ラクな感じですが、それが続くと
面白みのない時間の連続になってしまいそうです。
自分で考えるのって面倒だったり
周囲から「余計なことだ」と思われる
…なんて心配になるかもしれません。
でもこの姿勢を意識していることで
「義務感」や「やらされ感」は薄れます。
そして結果的に
実行内容は同じだったとしても
目的を意識し、見通しをつけて動くことで
自分自身のモチベーションがアップします。
私たちの人生
楽しいばかりの毎日ではないし
日々をルーティンな連続と感じることもあるでしょう。
そんな日々に
「役目」と「役割」について
ちょっと意識を立ててみる♪
「しっかり “ 役割 ” を務めるためにも
“ 役目 ” を意識してコトに当たる」
こんな姿勢も心がけつつ
令和元年、残り三分の一を
乗り切っていきましょう〜♪
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■りぼーんの綴りもの
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▼Twitter
https://twitter.com/room_reborn
▼ブログ
http://reborn.jp/blog
▼こころの辞書
http://reborn.jp/dic
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編集後記
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あぁ、今日で8月もおしまい。
年々暑くなる日本の夏は
今年も猛暑の上に大雨で大変な被害がありました。
夏真っ盛りの時季より、
涼やかな風を感じる今頃の方が
疲れを感じたりしています。
そんな折、
今月は「役目」と『役割」について
自分のためにも整理してみたくて綴りました。
意識していないと、いつのまにか日々が
表層的になり、薄っぺらな感覚に辟易となります。
涼しくなる頃
残り三分の一年を「こなす」というより
楽しみながら進んで行こう…と
ゆるゆるの休日にちょっぴり来年を想っています。
++-------------------------------------------------------------------------++
りぼーんのつぶやき
++-------------------------------------------------------------------------++
■大きな力の前で私たちは…
人は一人では生きられず
意見の違う人たちとも一緒に時を過ごし
色々なことを進めていくのが現実です。
そんな中で
「これには従えない」…と感じるような、
意見を異にする場面もあります。
そういう時
私たちはどのように反応しているでしょう?
・
・
・
対等な相手ならば、意見を交換できても
立場や人数的にこちらが劣勢の場合
発言すること自体ためらわれるかもしれません。
そんな時の切り抜け方として
「長い物には巻かれろ」とか
「寄らば大樹の陰」などという表現があります。
この状況を想像してみると
思考のスイッチをオフにして
イエスマンに徹する様子がうかがえます。
このような態度で居れば
その場は波風が立たず、周囲とも今まで通りの
関係が続けられるようにも感じられます。
…が、しかし、
その後の気持ちを想像するとどうでしょう?
心の中にはザワザワ感が湧き起こり
自身の心に波風が立っているのではないでしょうか?
納得できないことに従ってしまった言動が
誰か(何か)に対する不義だったり
自分が大切にすることへの背信行為であれば
新たな苦しみを抱えることになります。
まぁまぁまぁまぁ…
誰もがしていることだから、
これまでの慣例だから仕方ない、
…と一旦は自分の本心を打ち消してみるものの
たとえ表面上の自分は繕えたとしても
本心を知る自己を欺くことは難しいです。
....とは言え、
私たちはいつも強く正しくは居られないし
大きな力、強い立場には屈してしまいそうになるのが普通です。
しかし、そんな気持ちを抱えつつも
できるだけ後悔少なく在りたい私たちは
何を拠り所に方向を見出せばよいのでしょう?
・
・
・
まずは改めて
「自分が大切にしたいもの(こと)は何なのか?」
「どんな役目を感じて意志を曲げられないのか?」
…など自問してみる。
そこから導かれたことが
自分一人の胸に収めておいて良い事かどうか
しっかり吟味する。
この流れをすっ飛ばして
[反論する]か[黙っておく]か
…の二者択一に心が奪われると
その時の感情に流された言動により
不本意な立場に追いやられるなど
後悔することになってしまいます。
大切にしたいことや果たしたい役目を
見失わないためには、
面倒でも自問の時間を飛ばさず考える。
そうして
「ここは黙っておこう」という判断に至れば
グッと堪えて黙する態度を貫く。
一方
「伝える必要がある」という判断に至れば
その後は、相手への伝え方に智恵を遣う。
・
・
・
「成熟した大人の姿勢」が試されるところです。
・
・
・
単に我が身のためでなく
「自分のささやかな言動が
社会を創る一旦を担う」
…という広い視野に立つ意識が持てると
大きな力や優勢な立場、他いろんな事をも
包み込むような心持ちで向き合えるように思うのです。
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■りぼーんの綴りもの
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編集後記
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この時季、毎年口に出るのが
「梅雨が明けるとやっぱり暑い」という呟き。
ウチはベランダからすぐの所に緑が観える分
蝉の鳴き声がものスゴいのです。
この声がなければ暑さも少しは和らぐかも
と感じられるほどの大合唱(汗)
でもこの大合唱で夏を感じ
これが消えゆくことで秋を感じるのだから
風情の一つなのですよね。
朝はエアコンを切り
扇風機を回し、この合唱の中で朝食を摂る。
「これも幸せなのだ」
…と呟き返しています。。。
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りぼーんのつぶやき
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■人間関係で困った時....
「人間関係って難しいなぁ」
....というつぶやきは 口に出さなくても
誰もが経験ある感覚だと思います。
いろんな関係を紡ぎながら日々過ごす私たち、
その中でも長期間に及ぶつき合いでは、
越えなければならない問題が起きることもあります。
家族関係
夫婦関係
親子関係
友人関係
職場での関係
通常のやり取りが続いている時には、
わからないことも、問題が起きると
その対応によって相手の本質が見えやすくなります。
それというのも、トラブルへの対応では
いつもなら見えにくい、その人ならではの
傾向が表れやすくなるからです。
「その人ならでは」というのは
その人の価値観に通じるものです。
何かを判断する時の大切な基準であり
その人の信条とも言えるものです。
また、そんな事態には
相手の信条が見えやすくなると同時に
自分の対人姿勢にもハッと気づくことがあります。
よく、
咄嗟の時の言動は、
素の自分が出る…と言われますよね。
それと似ています。
例えば、
家族の中で
病気や失業、子どもの不登校…など
穏やかな日常がひとたびトラブルに
見舞われると夫婦関係が試されます。
そして長年連れ添った夫婦でも
「こんな一面もあったんだぁ」なんて
相手の言動にショックを受け、
人生を揺るがす事態に発展することも
珍しくないですね。
友人同士や同僚、上司・部下の間柄も
関わりの中身は違っても
両者の間に困難と思われる事態が起きると
その関係が試されます。
パワーバランスもあるだろうし
価値観の違いにより
事態の理解に誤解が生じることもあるでしょう。
そのような、
ある意味、関わりの危機に対して
お互いがどう向き合うのか?
対人姿勢(心の筋力)が問われるところです。
・あいまいな態度で交わすのか
・しっかり話し合いの時間を持つのか
・一旦、冷却期間を置きながら
相手を大切に思い、今後を考えるのか
・一層の事、関係を絶ってしまうのか
....どんな言動にでるかで
両者の人生態度が見えてきます。
そこで今回お伝えするのが
このような事態へ対応する時のポイントです。
それは
【 「試されている」という視点 】です。
この視点を持つことで目の前のトラブルに対し
「厄介な問題だ」から「心の筋力を試す機会だ」と
心のつぶやきを変えることができれば
ネガティブに感じていた問題が
未来を拓くチャンスだと捉えることが期待できるからです。
→気分のままに感情をぶつけてしまったり
→気になりながら何もせず時間だけが過ぎたり
自分の捉え方に無自覚なまま対応すると
大切な相手との間に後悔を残すことになりかねません。
捉え方によってその後の言動にが変わり
相手との関係に影響し未来が変わります。
たとえ相手との関係を絶つとしても
無自覚に「ただ成り行きで」結果的にそうなった
というのではなく、自覚した上での選択であれば
後悔は少なく済むと思うのです。
さて、あなたは
今月の内容に重なるような相手が思い浮かぶでしょうか?
そして、捉え方を自覚することで
その相手との未来はどんなふうに変わっていくでしょう?
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編集後記
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今朝、友人から
「G20、テロなく終わって、よかった、という感じ。
大変な準備や警護だよね。
それでも、顔を合わすのに意味があるんだよね、きっと」
....とラインがあった。
そして私は
「ほんとテロなく無事終了してよかった。
多くの人のご苦労の賜物よね」と返したものの
実のところ、私は
交通機関の混み具合ばかりが気になって
恥ずかしながら多くの人のご苦労にまで
気持ちがいってませんでした。
また、今回のサミットで何が話し合われたのか?
開催の目的って何?
なんて、今頃になって確認している有様です。
サミットの目的は
「世界経済を力強く成長させていくこと」
らしいけれど、動画を観る分には
首脳たちの目の動きなど、そこから
推察する感情面の方が興味があったりします。
動画を検索していて2014年のG20での
ランチの場面を見つけました。
安倍首相の所在無げな様子が見て取れます。
今回は主催国の首相としてどんな感じだったんでしょう?
ランチの様子
↓↓↓↓↓
https://youtu.be/EtZDrPcy6Tw
政府インターネットテレビ
https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg19198.html?t=103&a=1
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りぼーんのつぶやき
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■「忙しい」の中身を考えたことありますか?
体調を保ちながら仕事をし
休日には友人と会ったり
自宅では愛犬とまったりするなど
ほどほどに調子よく過ごしながらも
ふとした時、
私の頭にこの問いが浮かびます。
「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」
これはクセなのでしょうか、
中学生くらいから続いています。
普段の生活でこんなことが話題にのぼるのは稀だと思うのですが、
全く考えたことがない….という人は少ないと思います。
皆同じように裸で生まれ
そして、死んで骨になる私たち。
環境は違えど、
始まりと終わりの点では同じです。
ただ、その間の過ごし方によって、
当然ですが、人生はそれぞれに違ってきます。
誰しも自分の人生を実りあるものにしたいと願い
「生きがいって何?」
「充実の人生とは?」
….などと考えます。
しかし、
多くの人は日々の雑務に追われ
明確な答えに辿り着かないまま
時間は過ぎていきがちです。
このように流れる人生の時間を
哲学者パスカルは「気晴らし」と呼んだそうです。
人は皆、死から目をそらすために行なっている
さまざまな活動に興じていることを「気晴らし」
この表現を知り、私は
かなり合点がいきました。
なぜなら
「アレもやらないと、コレも….」と
忙しがっている時間というのは
実は死ぬまでの「時間つぶし」じゃないの?
….などと不謹慎な考えを抱いていたので
よく似た考えの偉人の存在に嬉しくなったのです。
・
・
・
「忙しい」というワードについて
例えば
メール等の挨拶文として
「お忙しい中、○○○ですが….」と
相手の予定をよく知らなくても
このフレーズは使われますよね。
「忙しい = 活躍している = リア充」
ということなのでしょうか、
こう言っていれば、失礼はないだろう的な常套句
のように思われます。
私たちの多くは意識するしないに関わらず
「充実した人生を送りたい」….と希望し
その未来にフィットする活動を探して生きています。
しかし
その活動が生み出す時間(忙しさ・気晴らし)が
果たして
・充実した時間(忙しさ)に繋がっているのか?
・バタバタするだけの空虚な忙しさになるのか?
そんなことを考えながら
「忙しい」という漢字の成り立ちに納得がいきました。
それは
「心」を「亡くす」と書いて
→「忙しい」と読む所以についてです。
「心の余裕」を「亡くした」状態を
「忙しい」と解釈するとしっくりきます。
忙しくしていることで
「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」
なんてことを考える隙を作らないように
しているのかも….と皮肉って考える私がいます。
そんな皮肉った考えはさて置き、
私たち大人はルーティンな忙しさに
大切なことへ向き合う心の余裕を持たず
精彩を欠いた日々を送っていることさえ
気づかずに居たりします。
一方
人生に不慣れな子ども時代
私たちは様々な発見に喜んだり、驚いたり
心を動かしながら日々を送っていました。
では、大人になったら
もうそんなふうにはできないのか?
...というと、そうでもないようです。
私たち大人は子どもと違い、
「命の期限」を意識することで
時間の使い方を選択できるからです。
命の期限まで、単に生存のためだけに働くのか?
残り時間を消化試合に使うか否か?の選択です。
年齢を問わずイキイキと過ごしている人は
いろんなことに関心のアンテナを巡らせ
挑戦を続けています。
他人の目に映るその価値など、関係なく
何か新たな創造へと繋げる姿勢を
継続している人がイキイキと見えるのでしょう。
新たな創造といっても、
これまでの生活を一変する必要はない。
日々、ルーティンな忙しさを抱えつつも
まだ見ぬ未来の自分をイメージして
ささやかなステップさえ忘れなければ
豊かさへの階段は続いてゆくのだと思います。
そして時々は
・今、自分は何を選択しているのか?
・今、感じている忙しさの本質は何なのか?
・最近、心を動かすことを意識しているのか?
….など
単なる生存ではなく、生きている感覚を
確かめつつ歩んでいきたい。
自戒を込めて綴ってみました。
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編集後記
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ここまで読み進めて下さり、有難いのひと言です。
私個人の心情(信条)をつらつらと綴った内容
あぁ、めんどくさい....という感想もあったことと思います。
このようなことを書いている矢先
川崎での事件が飛び込んできて、命や人の悲しみについて
改めて大きく気持ちが動きました。
どんな悲惨なことが起きても、時は止まることなく流れます。
世間では誰かの結婚や出産の慶事があり、TVではコーナーが
変わるとアナウンサーは笑顔で話します。ニュースをみて
ひと時、心を傷める世間も当事者の孤独な思いに至る事は
できません。時は無常だなぁと思いながら、過ぎた時間は
二度と戻らないことを今更ながらかみしめています。
最後に
まだ、読了していないのですが、友人が教えてくれた本を ご紹介します。
・実験思考 著:光本 勇介
Kindleでは無料で読めます。
突飛なアイデアがいっぱいで頭が刺激されます。
発想の転換には良いかなぁ….と、そんな感じです。
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りぼーんのつぶやき
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■悪口の本質
新元号に変わる前日にこんなタイトル?
そう思いながらも
新年度スタートからひと月経つ今だから
大切かな….と感じ、この内容にしました。
・
・
・
「他人の悪口なんて言ったことはない」
「いやぁ、言ってしまうことあるかな」
・
・
・
あなたはどうですか?
悪口のつもりじゃなくても
自分の何気ない発言が
いつの間にか誰かの批判に繋がっていた、
なんてことはないですか?
発言を振り返ると
→自分の意見が正しい….と話すあまりに
それが相手への批難になっていた
→周囲につられ、同意してしまったことで
誰かを追い詰める結果となった
….など、
意図しない方向へ流された経験も含め、
誰かの悪口を言ってしまったこと、
思い当たる人は多いと思います。
特に集団での人間関係は
・誰かの陰口が相手との共感を生み
特定の人との距離が近くなったり、
・そこに居ない人の悪口で場が盛り上がる
….など
屈折した形ではあるけれど誰かへの攻撃が
関係づくりや連体感に一役かうこともあります。
新年度に入り、新しい関係づくりでは特に
周囲に馴染む為にいろんな方法が使われます。
その中に
自分を守る術として相手を貶(おとし)める
という後味の悪い手段もみられます。
最近は「ディスる」という表現が浸透し
否定や批判について
軽く受け止められる傾向もあります。
※ディスる:ディスリスペクト(disrespect)の略
ただ、
その本質を知ると、とてもじゃないけれど
軽く受け止める気持ちでは居られなくなります。
そこで
この手段の本質を見極めることで
・他人への批判が口に出そうな時
・逆に誰かに言われた陰口で傷ついた時
など、気持ちの立て直しに役立てて下さい。
悪口や批判を聞かされている相手は
ネガティブな内容を聴きながら
実は、もう一つの耳(心)で
話し手の視点やタイプを読み取っています。
例えばこんなふうに
→この人はこういう事を気にする人なんだ
→この人は自分の意に沿わないことを
こんなふうに批判する人なんだ
という感じで、
聞き手は悪口の的となる人について
聴いているようで、実は話し手についての
人となりもしっかりとキャッチしています。
そう考えると
人をディスってしまいがちな人は
人を悪く言いながら
実は自分をディスってるとも言えます。
一方、
自分の陰口を知り凹んでいる人は
確かに気分は良くないでしょうが
凹み過ぎず、かつ応戦など考えず
静観する余裕を持ってみてはどうでしょう。
相手はあなたの悪口を言いながら
自分自身をディスっていることに気づいてない。
なんとも滑稽に見えてきます。
最後にもう一度
他人を否定、批難してしまいがちな人へ
その否定や批難がどんな意味を持つのか?
….を今一度考えて見る。
その意図について
自分の【〜〜べき 】に沿わない相手や
【自分の常識 】から外れる意見への攻撃心
によって生まれる思考ではないか?
….と振り返ることができれば
自身の傾向を知るチャンスに変わります。
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編集後記
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今回のつぶやきを読み返して思うこと
それは、
私自身が他人をディスることがあるということ。
口にこそ出さなくても
私の常識から外れる人を批判する感覚は
まだまだ残っているなぁ….と。
自分の「〜べき」って気づきにくいし直しにくい。
知らない内に湧いて来ているから….。
そう思うと、誰かに腹が立ったり、
それが元で悲しくなったりするのは当たり前でもある。
でもその後、自分を戒めたり
逆に、「やっぱりコレが私だから….」と
その傾向を直さないと決めたり、
行ったり来たりの人生は続きます。
自分の傾向を振り返り、直せない所は
仕方なく、ほどほどに温存させながら
うまく智慧を使って生きていきたいです。
元号が令和に変わっても
生きやすさへの気づきは私の関心事です。
次号からもおつき合い頂けると幸いです。
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りぼーんのつぶやき
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■知らないことは恥ずかしい?
「知らないことは恥ずかしくて
物知りな人ってスゴイ!」
こんなふうに思っていないだろうか?
強く意識しているつもりはないけれど
いつの間にか根付いている思考は
当たり前すぎて気づきにくいものです。
でも
そういう考え方こそ選択や判断に影響して
私たちの言動につながっていることは多いようです。
例えば
こんなことはないですか?
誰かの発言の中に初めて聞く言葉や
意味のつかめない表現が出てきた時
「こんなことも知らないの?」
...なんて思われたくないから
→質問はしない(しにくい)
→わかったフリをして話を聞き続ける。
もちろん
話の腰を折らないという気遣いの態度は
必要だし、あとで意味を調べ
理解を深めるなら問題はないでしょう。
でも
その場しのぎの態度で繕ったまま
相手の伝えたい事をスルーしているとしたら
どうでしょう?
私自身、中年以降思うようになったのは
多くの知識を持っていることは有益だけど
知らないことを素直に聞き返せる術を
持っていることはもっと有益だということ。
歳を重ねれば重ねるほど
無知な自分を思い知らされます。(私の場合)
解らないことをそのままにしておくことで
もやもやが蓄積され、より解りづらく
頭の整理が難しくなります。。
『知らなければ、尋ねれば良い、
解らなければ、理解を助けてもらえば良い』
40代ぐらいからかな?
こんなふうに思えるようになり
肩の力を抜いて人と付き合えるようになりました。
そして最近特に思うのは
人間関係の中では
自分を繕わずオープンにした方が
相手から受け容れられやすい....ということ。
物知りな人は
確かにお役に立つことが多いだろうし
尊敬され、重宝がられるでしょう。
しかし、だからと言って
そうでない人がバカにされるということ
にはならないはずです。
・「初めて聞く言葉なのですが
教えてもらえますか?」
・「その単語、聞いたことはありますが
はっきりした意味がわからなくて」
・「何となくわかるのですが、
具体例があれば教えてもらえますか?」
……など、こんなふうに
ものを尋ねるというのはその件について
「理解したい!もっと知りたい!」
という姿勢が伝わることでもあります。
就職の面接などでも
質問された意味をつかみかねる時
「〜という理解で間違いないでしょうか?」
と聞き返し、確認した方が
的外れな答えにならず印象良く伝わると言われます。
知っていることは大切だけど
知らないことにどう反応するかで
自分の姿勢が相手へ伝わるのなら
知らないことは大切な機会を
もたらしてくれるとも言えます。
大切な機会、
あなたはどんなふうに捉えていますか?
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編集後記
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「平成最後の….」という表現が流行りのようになっています。
元号が変わったからといって
私たちの生活に直接大きな影響はありませんが
それでも節目が感じら気分が新たになる気がします。
5年後、10年後、
「元号が◯◯になった年
〜〜なことしてたよねぇ」
なんて、思い出すキッカケにもなりそうで
例年より思い入れの強い新年度になりそうです。
さて、新元号がわかる明日の今頃
みんなどんな感想抱いているのかなぁ。
ちょっと楽しみです♪